III.新しい家族
キードゥル88年3月
「ここ、どこ?」
「クリスティーネ様っ!目覚めたのですか!?」
目を開けると、金髪の女性がこちらに駆け寄ってきた。今寝転がっている場所から起き上がると、小さな手が見え、銀髪がサラリと落ちてきた。
(……どういうこと!?というか、誰!?)
「お、お加減は……?」
金髪の女性は怯えたようにこちらに若緑の瞳を向ける。
「だ……」
思ったより高い声が出たことに驚く。それでも、言葉を紡いだ。
「大丈夫です。あの……」
「な、何でしょう?」
「貴女は、誰ですか?」
すると、女性は目を見開き、「は?」という声を漏らした。
女性は立ち上がり、一目散にお部屋の外に出ていってしまった。声をかける間もなく。
でも、扉を開けたままだ。そこから、廊下の内装が見えた。青緑色の布が掲げられている。
(……ということは、ヒサミトラール?)
青緑色が象徴する領地――ヒサミトラールはエミリエールと敵対している領地だ。領主一族同士の仲は特に悪いため、貴族もあまり関わろうとしない。隣の領地でありながら、その領地間での輸出入は全く行われていない。
ただ、ここがヒサミトラールであると仮定すると、城の可能性がある。そうでないことを祈りたい。だが、エミリエールよりはいいのではないだろうか?
この小さな手。鏡に移る銀髪に、水色と紫色のオッドアイ。可愛らしい顔立ち。あぁ、なんて恵まれている幼女なんだろうか。
(……転生)
それ以外はあり得ないだろう。なんてことだ。
……人間には、生まれ変わりたくないと、そう願ったのに。神というものはわたくしの望みをかなえてくださる気はないらしい。〈光の女神〉シャルフェールにも〈闇の神〉ディードジェスタにも何度も願ったのに。
それに、この体の持ち主――“クリスティーネ”……だっただろうか。
あり得る可能性としては――
1.アイシェの魂がクリスティーネに宿り、クリスティーネの身体を乗っ取って魂を追い出した。
2.クリスティーネが死に、その死体にアイシェの魂が入り込んで、操れるようになった。
3.アイシェという人物を生きたのは元々夢で、クリスティーネの身体が本当の魂の場所。
4.記憶がないだけで、元々零歳から転生していたが、ここで記憶が蘇った
こんなところだろうか。
1、2は今が何年で、クリスティーネが何歳なのかが分かるまでは本当かが分からない。アイシェが死んだのはキードゥル82年。そして、今が何年なのか――。
とりあえずは、保留だ。
そして、3はあまりなさそうというのが、予想だ。
(あれを、夢だとは到底思えないもの……)
それと、4はどうだろうか。1と2の年齢のことも関わってくるだろうが、これまで蘇っていないとなると、それなりの衝撃があったのか。神の気まぐれか。
(真実は神に聞かなければ分からないわね)
考えるのをやめてしばらくすると、金髪に緑色の瞳の少年と先程の女性がやってきた。その後に、侍従らしき男性も走ってやってくる。
金髪の少年は怪訝そうな、疑うような、面白そうな顔をしている。十二、三歳くらいだろうか。
眉を下げて、金髪の少年を見上げると、彼は目を見開いた。
「……フィルオーナ、これ、どういうこと?」
「わたくしにも分かりません。ただ事実として、記憶喪失をしている、ということしか」
「なるほどね。アイリス様は?」
「お忙しいとのことです」
少年はフゥと息を吐き、「まぁ、仕方ないね」と言う。
それから、少年はがベッドに近づき座って、チラリと見る。顔が整っていて綺麗だ。
「で、君は本当に記憶喪失なの?前も嘘をついてそんなことを言っていたけれど」
(……嘘でそんなことを言う子がいるんですか!?)
この体は少なくとも社交デビュー前の五歳以下だ。そんな子が嘘でそんなことを言うのだろうか?
そんなことを心の中で考えつつ、少年の緑の瞳に目を合わせ、真剣な顔を作る。
「……はい。ここがどこなのか、今が何年なのか、わたくしが誰なのか、貴方やあの女性が誰なのか、全く分かりません」
「……ふぅん。今のところ、嘘ではないのかな?ま、とりあえずはいいよ。ここはヒサミトラール。現在、キードゥル88年、3月11日。私はヒサミトラールの第一領子、ミカエル・ヒサミトラール。あっちの女性は君の仮介添え、フィルオーナ。その隣の彼は私の仮介添え、レックスだ。あの二人は夫婦だよ。で、君はクリスティーネ・ヒサミトラール。ヒサミトラールの第二領女だ。現在六歳」
(やはりヒサミトラール……。ヒサミトラールはエミリエールと対立していますもの。会うことはない、ということで、安心しておきましょう。……で、わたくしが領女。また?せめて、政治にはあまり関わらない上級貴族、欲を言えば中級貴族くらいが良かったです)
「フィルオーナ、レックス」
『はい』
「木札とペンを持ってきてくれる?レオンに頼んで」
『かしこまりました』
レックスとフィルオーナが部屋を出て行った。しばらく、沈黙が流れたが、ふいにクリスティーネの声だけが響いた。
「……お母様はアイリス様。お父様はヒサミトラール領主であるレトルート様、ということですか」
「ふぅん、よく知ってるね?記憶喪失ってどういうこと?」
……ぅあっ!心の中で言っていたつもりだったのにっ!
クリスティーネはミカエルに問い詰められる。緑色の瞳がクリスティーネの顔に勢いよく近付く。
ミカエルはコテリと首を傾げて貴族からは「天使」だと言われる笑みを浮かべた。
「ね?どういうこと?」
「ひぅぁ……っ」
どうやら、天使の笑顔はクリスティーネには恐怖でしかなかったらしい。緑色の瞳にクリスティーネの目に涙が浮かぶのが見える。
(……どうしよう、この体、涙がすぐ出てきます。アイシェだったら、こんなことで涙は出てこないのに。我慢できるのにっ!)
その時、レックスとフィルオーナが戻ってきた。ミカエルがスッとクリスティーネの顔から離れ、ニコリと微笑む。
フィルオーナはクリスティーネが涙を流す姿を見て怪訝な顔をした。
「ご、ごめんなさい、この体はすぐ涙が出てきて……」
「ミカエル様が泣かせたのですか?」
「……そうっちゃそうだね」
ミカエルが少し考えてそう言うと、フィルオーナが「えっ!?」と声を上げてこちらに近づく。
「大丈夫ですか?ミカエル様はご自分のせいだと思うなら、もう少し悪びれてください。この方が“他人のせいで”泣くだなんて、よっぽどのことでしょう。レックス、一度ミカエル様とお部屋を出てくださいませ」
「……分かった。ミカエル様?」
「む、分かったよ。“この子”をよろしく」
ミカエルはそう言って、ベッドから立ち上がる。扉の目の前で、クリスティーネに含みのある笑みを浮かべ、お部屋から出て行った。
出て行った後、フィルオーナが呟くように言い放つ。
「……貴女は、以前とは全く異なる人間なのですね」
「……っえ?」
「以前の貴女は、とても我が儘で、城に勤めに来ている者たちにも冤罪を吹っかけ、お金を奪っていました。あげく、その後に『冗談ではありませんか』と言っていましたが、お金も返さず悪びれる様子もございませんでした」
(……六歳の幼女がそんなことをしているだなんて……怖い子供もいるものですね。……ということはこれから、わたくしがそれをしなければならないのでしょうか?いえ、流石にそれはありませんよね)
前のクリスティーネの真似をする必要はないだろう。
だが、これからはクリスティーネ・ヒサミトラールとして生きなければならない。それは、自分がその悪行をした人間にみられるということ。自分が覚えていなくても、相手は覚えていて、それをしたクリスティーネを恨んでいるということ。
……ちゃんと、しないと。
「……一度、説明は後にしましょうか。もうすぐ夕食のお時間です」
「……あの、出席者は……?」
「領主レトルート様、領主夫人アイリス様、第一領子ミカエル様、第三領女リュードゥライナ様です。リュードゥライナ様は一歳になります。本日は全員いらっしゃいますよ」
(……リュードゥライナ様は知らない……。でも、一歳なら大丈夫でしょう)
「……そういえば、ミカエル様は何歳なのですか?」
「十歳です」
(……十歳……!年齢の割に大きいですね。もう少し上かとも思いましたが、仮介添えがいることを考えると納得だわ)
十歳ということは半月ほどでミカエルは貴族学院に入学だ。
貴族学院には皇族から下級貴族まで、レッフィルシュット皇国に住む全ての貴族の十歳から十七歳の成人まで通うことになっている。
「フィルオーナ様、食堂に案内してくださいませ」
「かしこまりました」
フィルオーナについて行って、食堂に行った。エミリエールの城と構造はあまり変わらないらしい。
「……あ、いえ、クリスティーネです」
フィルオーナがノックをして、クリスティーネたちは食堂の中に入った。
領主レトルート・ロード・ヒサミトラール、領主夫人アイリス・リエ・ヒサミトラール、第一領子ミカエル・ヒサミトラール、第三領女リュードゥライナ・ヒサミトラールが座っている。
ヒサミトラールの領主夫人――アイリスは不安そうな何かを怖がっているような顔をしている。
ミカエルはとてもご機嫌らしい。ニコニコと楽しそうだ。
リュードゥライナはアイリスは似たような顔立ちで、こちらを見て少し怯えた表情をした。
……怖がられている。
実は、アイシェは子供好きだ。小さい子には甘い自覚がある。こうして怖がられてしまうと悲しい。
「ご、ごきげんよう、皆様」
「遅かったのね」
「申し訳、ありません」
アイリスに席を促され、クリスティーネは座った。
フィルオーナに給仕をされ、少し落ち着かない気分になる。
(……こんなことをされたのは生まれて初めて……。いえ、わたくしは転生していますから、この場合はどう表現すべきなんでしょう?)
「フィルオーナ」
「はい」
レトルートがクリスティーネの後ろに控えているフィルオーナに声をかけた。
「クリスティーネが記憶喪失と報告にはあったが、本当のことか?」
「はい。ご自分のことも分かっておられないようでした。過去のこともなかったようなもの。……ですから、今のクリスティーネ様と前のクリスティーネ様を同一視しないでくださいませ」
「……其方がそこまで言うとはな。うむ、とりあえずは様子見だ」
「かしこまりました」
今度はその様子を黙ってみていたアイリスが怪訝なお顔で口を開く。
「本当に記憶喪失になることで、人格まで変わるのものなのですか?わたくしは……精一杯優しい子に、賢い子に、ミカエル様を補佐できる子に、育てていたつもりでした」
アイリスは少し震えた声でそう言った。
(……本当に、クリスティーネ様って、どんな子だったんだろう)
「……アイリス、其方の言い分も一理ある。だが、本当のことはきちんと判断しなければなるまい。そうであろう?」
「わたくし、少し感情が荒ぶっていたようです。申し訳ありません、レトルート様。ごめんなさいね、クリスティーネ」
「……い、いえ」
ほんの少しだけだが、アイリスの雰囲気が和らいだことに安堵する。
(……あ、言っておかなければならないのでした)
クリスティーネは言おうと決めていたことを思い出した。
「あの、発言をお許しいただけますか?」
クリスティーネは軽く手を挙げた。
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