推し危機一髪

第11話 推し危機一髪(1)



 少しは迅くんとの距離が縮まったかと思われたが、私の同担拒否発言によって初日の距離感に戻ってしまった。いや、多分私のせいなんですけれども。

「迅くんいってらっしゃーい」

『…………』

「…………」

 冬馬くんに抱き上げられて右の前足を上げられて招き猫のような状態になって死んだ目をしている私と、そんな私を哀れそうに迅くんが見つめ合う。

 冬馬くんだけがニコニコと笑って楽しそうだ。

 今日は迅くんが用事があって午後から出かけるそうで、冬馬くんは逆に午後から休みらしい。

 冬馬くんは今日が年末最後の休みと言っていた。年末最後の休みが一日の半分だけとか悲しすぎる……。

 だがしかし、彼は今や飛ぶ鳥を落とす、もしくは破竹の勢いを持つアイドルグループのメンバーだ。全国民が毎日彼を求めていると言っても過言ではない。……いや、ちょっと過言すぎたかも。

 少なくとも全世界にいる一条冬馬のファン達は、毎日彼の姿を拝めることを望んではいるが、それはそれとして社会人として年末年始はきちんと休んで頂きたいという気持ちがある。

 仕事から帰って来た冬馬くんに「一緒に迅くんのお見送りをしよう!」とケージから引っ張り出されてしまった。

 抵抗するも怪我をさせるわけにはいかないので、結局生ぬるい反撃できず、推しの手に捕まってしまった。

「……あんま構いすぎると嫌われんぞ」

「分かってる分かってる」

 見かねた迅くんが軽く忠告してくれるが、それを聞く冬馬くんではない。

 いろいろと言いたいことはありそうだが、言っても意味がないと思ったのか、迅くんは大きく深くため息をついて「いってきます」と言って出かけて行った。

『…………』

「なにして遊ぼっかー!」

 ふんふんふんと鼻歌を歌いながら冬馬くんは私を抱えてリビングに戻るが、私は迅くんの出て行った後の玄関扉に釘付けだった。

 玄関扉は向こうからカリカリと爪で引っ掻くような音がして、ドアノブが小さくガチャガチャと音を立てていた。

 あれが聞こえていないし、視えていないのか、と絶望的な気持ちで冬馬くんを見上げる。

「?」

 しかし冬馬くんには私の伝えたいことが全くもって伝わらないので、ただただ推しと見つめ合うだけと言う状況だけが出来上がってしまい、緊張が一気に全身を突き抜ける。

『ぎぃやあああああ!!』

「えっ、えっ!? あだだだだ……!!」

 無我夢中でもがいて冬馬くんのなんとか腕の中から脱出する。

 誰だ、美人は三日で慣れるとか言った奴。全然慣れねぇじゃねぇか。どう責任とってくれるんだよ。

 フローリングで滑りながらも、全速力でリビングを走り抜け、もはや住み慣れてしまった違法建築ケージへと逃げ込む。

「ええ~せっかく仲良くなれたと思ってたのに~……」

 後を追いかけてきた冬馬くんがケージを覗き込んでくるが、目を合わせたら負けと言わんばかりに毛布に頭から突っ込んで一切の情報を遮断する。

 やがて私はテコでも出てこないと悟ったのか、冬馬くんはケージから離れて別のことをし始めた。

 最初は遊ぶ気満々だったようだが、やはり仕事が忙しいようで冬馬くんは何かの台本を読み始めた。ぶつぶつと呟きながら、身振り手振りをして動きを確認している。

 何の台本だろう。映画かな、ドラマかな。どんな仕事だとしてもうまくいってほしい。

 猫になる前も、きっと努力家な人なんだろうなぁと思っていたけれど、やっぱりそうだった。

 予想外のことと言えば、私が思った以上に不思議ちゃんというか、ふわふわしていたということくらいだ。

 冬馬くんの集中を乱さない様、ケージの中で静かにしていたのだが、

『…………』

 玄関の向こうから聞こえる爪で引っ掻くような音が気になって仕方ない。

 頼むから迅くん早く帰って来て。

 しばらくすると、カリカリと引っ掻く様な音はガリガリと強い音になっていって、玄関の向こうのやばい奴が近付いて来ていることが分かった。

 やばいやばい。まじでやばい。ここに乗り込まれたらどうなんの?

 冬馬くんはしばらくは大人しく台本を読んでいたが、少し時間が経つと何かを探すような素振りをし始めた。

 戸棚や冷蔵庫を開けて中を確認し、うーん、と考え込む。

 なんだろう、なんかすごく嫌な予感がする。

 冬馬くんは自分の部屋に行って、すぐにこちらへ戻ってきた。その手には長財布が握られている。

「僕ちょっとお腹すいちゃったからコンビニ行ってくるね」

 アカーン!!

 思わず脳内に関西芸人を召喚してしまった。

 いやいやダメだって! 外にやばいのいますって!

 声を大にして言いたいのだが、霊力ゼロの冬馬くんにはにゃおにゃおと鳴いている様にしか聞こえていないらしい。

「えー、寂しいのー? すぐ戻ってくるから大丈夫だよ~」

 必死に訴えるも、ケージ越しにちょんちょんと額を撫でられて終わった。

 はああああ!! 私の推し罪深い~!! ……じゃなくて!!

 推しの尊さに悶え苦しんでゴロゴロしている間に冬馬くんは出かけてしまった。

 どうしよう、どうしよう……!

 とりあえずケージから出て玄関扉の前に立つ。

 さっきまでは扉越しに変な音がしていたのに、今はシンとしている。気のせいかは分からないが、さっきまで扉の向こうにいた「もの」の気配が感じられない。

 絶対に冬馬くんに憑いて行ってる。

 猫になる前は幽霊なんて全然視えなかったし、霊のことは全然詳しくないが、この予感は当たっていると確信できた。

 どれだけ待っても冬馬くんは帰ってこない。実際時計を見たら三十分くらいしか経っていないけど、こんな都会でコンビニに行くのに三十分もかかるか……? いや、レジが激混みして、とかありがちなことが原因ならいいんだけれど、今は嫌な予感しかしない。

 ジリジリと焦れて玄関の前で冬馬くんが帰ってくるのを今か今かとウロウロしながら待っていた。

 すると、ガチャガチャと扉の鍵を開ける音がした。

 冬馬くんが帰ってきた!

 ホッとして扉に熱視線を向けると同時に扉が開いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る