第四章

因習村と澪

 生贄として死んだはずの娘の帰還、突如現れた謎の商人、そして再度蛇目神社へ向かった男たちがいつまで経っても戻らない状況に、村人たちはいまだ混乱の最中にあった。

 そんな中、白李は澪を抱き、村の入り口に足を踏み入れる。

 男たちの帰りを待つ村人や消えた商人の行方を案ずる村人たちで、夜が更けても村はざわついていた。


「誰かが! 誰かが来るぞ!」

「男に抱かれている娘は誰だ!?」

「誰か、もっと明かりを持ってこい!」


 暗い山中からやってきた二人を見ようと、村人たちが光を集める。だが、澪の姿を認めた瞬間、水を打ったように村人たちが静かになった。


「……誰か、この中に傷を手当てできる者はいないか」


 白李が問いかけるも、村人たちは顔を見合わせるばかりだ。それどころか、恐怖に慄き、うわあと声を上げて逃げ出す者まで現れた。


「傷に塗る薬でもいい。誰か、いないかと聞いている」


 近くにいた村人を睨みつけ、該当の者を呼んでこいと言外に伝える。

 逃げ出せば殺すと言わんばかりの圧に、腰を抜かしながらも対応したのは奇しくも浅葱家の者だった。


「わ、わかりました。うちは薬屋ですので、薬なら……ありますから……」

「すぐ案内しろ」


 白李が歩けば、まるで蜘蛛の子を散らしたかのように村人たちが道を開ける。

 その様子を澪は薄目で見ていた。


(頭が、くらくらする……)


 腕の傷の痛みこそなかったが、やはり止血がうまくいっていないのか、頭がぼんやりとする。

 白李と話している相手の言葉で、浅葱家の者であることは理解したものの、誰と話しているのかまではわからなかった。

 白李が浅葱家へ向かう間も、村人たちのざわめきが耳に入ってくる。


 ――あの商人だ。

 ――商人が抱いているのは生贄の娘ではないか。

 ――どうして生きているんだ。


 そんな声が聞こえてくるも、白李が村人を人睨みすれば、そんな小言も聞こえなくなった。


「ど、どうぞ、こ、こちらにお上がりください」


 白李は何も言わず、浅葱家の敷居をまたぐ。騒ぎを聞きつけてやってきた使用人たちが、ひっ、と小さな悲鳴を上げる中、よく聞き慣れた声がして、澪はそちらに顔を向けた。


「姉さん……! 姉さん!」

「ね、ねこ……」


 薄く唇を開き、駆け寄ってきた寧々子の名を呼ぶ。

 涙を零しながら寧々子が手を握り話しかけてくれるが、それ以降、澪の意識はぷつりと途絶えた。




 ◇


 嗅ぎ慣れない薬品の匂いと部屋の空気に、澪はゆるりと瞼を押し上げた。

 あまり見慣れない天井だ。しかし、まったく知らないというわけでもない。

 幼い頃、よくこの天井を見上げていたものだ。寧々子と一緒に。


「澪」

「姉さん!」


 左右同時に声がして、顔を覗き込まれる。覚醒しきっていない脳みそがなんとか像を結び、白李と寧々子を捉えた。


「よかった! 姉さん、よかったわ……!」


 目尻に涙を溜めて泣きつく寧々子に、ここが浅葱家であると実感する。

 白李も安心したように表情を緩めると、澪の頭を撫でた。


「もう目を覚まさないかと思ったわ……!」

「……心配かけて、ごめんなさい」

「いいえ、謝らないで。姉さんは何も悪くないもの……」


 子どものように泣きじゃくる寧々子の背を撫でようと手を伸ばす。その伸ばした左腕には、包帯が巻かれていた。


「傷は縫ってある。薬も、ここにあるものを使わせてもらった」

「そうなのですね……」

「お前の家は薬屋だったのだな」

「……はい。とはいえ、私は本当の娘ではありませんので、薬に関することは、なにひとつ知識を持ちませんけれど……」

「お前の妹がいろいろと手解きをしてくれた。いい妹だな」


 義妹を褒められ、澪は自分のことのように嬉しくなる。

 寧々子は自身に対する賛辞に謙遜しつつも、白李に頭を下げた。


「いえ、私は大したことなどしていません。むしろ白李様。姉さんをここまで連れてきてくださり、ありがとうございます」


 深々と頭を下げる寧々子に、澪も一緒になって頭を下げようと体を起こす。

 しかし、起き抜けだったこともあり、不格好にも体が崩折れた。


「澪、無理をするな」

「ですが、私からもお礼を……」

「いい。結果的に、怪我を負わせてしまったんだ。礼を言われることなど……」


 白李と澪の押し問答を見ていた寧々子がくすりと笑みを零す。寧々子に笑われた二人は、はっとして視線を逸らした。


「とても仲が良いのですね」

「そんなことはない」

「そうよ、寧々子。白李様は、私のことを拾ってくださって……」


 何を言ってもいまひとつ寧々子に伝わる気がせず、妙な恥ずかしさを覚えてしまう。澪は頬を染めながらも、本当に違うのよ、と寧々子に言った。


「そういうことにしておきます」

「寧々子……!」


 最後までくすくすと笑われ、澪は何も言えなくなってしまう。白李も白李で何も言わないため、ますます分が悪かった。


「このあとはどうされるのですか?」

「俺たちは天城町へ戻る」

「天城町……。聞いたことがありませんね」

「山を越えた先にある町だ」

「そうなのですね。四ツ谷村で育った子どもたちは基本的に村を出ることはありませんから……。世の中は、知らないことでいっぱいだわ」

「えぇ、本当に」


 澪とて、痣さえなければ村の外へ出ることもなく、一生をここで過ごすはずだった。天城町の存在を知るも、白李に出会うことも、不思議な力を目の当たりにすることもなかったのだ。

 今まで村人たちによって迫害されてきた心の傷は、そう簡単には治らないし、生贄として選ばれたことも許してはいないけれど、白李に出会えたことだけはよかったと、いまは心の底から思えた。


「それで、いつ発たれるのですか?」

「あと数時間後には発つつもりだ。長居しても、仕方がないからな」

「そう……。早いのね」


 寧々子の顔が曇る。だが、寧々子もここに澪や白李が長居することは、よくないことだとわかっていた。


「でしたら、傷によく効く薬を用意しておきます」

「ありがとう」


 寧々子が悪い顔で、倉庫に忍んでくるわと言って、澪が口元を緩める。

 昔から、寧々子はお転婆な子だったことを思い出していた。


「それで、父と母のことなんだけど……」


 父と母と聞いて、澪の体がぴくりと反応する。

 ここは浅葱家だ。いつか話題にのぼるだろうと思っていたけれど、やはり避けては通れないようだった。


「父と母は、今のところ大人しくしているわ。姉さんの育ての親とはいえ、家族のように扱ってこなかったんですもの。何も言う資格なんてない。姉さんがこのまま白李様と村を出ていくことになっても止めやしないわ」

「……そう」


 むしろ、両手を挙げて喜びそうだと思って胸が痛む。

 この家に、澪の居場所はなかった。寧々子の優しさしか、この家にはなかった。

 だから、澪はここに居続けるべきではないと理解している。

 だけど、と思う。

 白李と結婚しているとはいえ、仮初の関係だ。縁談の話が落ち着くまで妻でいてくれと言っていたけれど、いつまでとは決められていない。

 たとえば、いまこの瞬間、お飾り妻を解任される可能性だってある。むしろ、すべてが解決した今こそ、解放するにはふさわしい――。


「たとえ養母が止めようとも、澪は俺が連れて行く」

「白李、様……?」

「澪は俺の妻だ。妻を連れ帰るのは当然のこと」


 きっぱりと言い切った白李に、寧々子も、そして澪も驚く。寧々子に至っては口元を押さえ、目を丸くしていた。


「えっ、うそ。姉さん、結婚していたの……?」

「えっと……」

「それなら早く言ってよ……!」


 黙っているなんて酷いわ、と言って寧々子が頬を膨らませる。

 こうしてはいられないと寧々子は立ち上がると、ばとばたと座敷をあとにした。

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