思い出調整サービス

浜野アート

思い出調整サービス

S氏の業務効率は、過去の記憶によって著しく低下していた。半年前のプロジェクトにおける、彼自身の判断ミス。そのデータが繰り返し再生されるせいで、彼の思考は頻繁に停止した。


そんな折、彼はネットで「メモリー・オプティマイズ社」の広告を目にした。


『不要な記憶(バグ)は、パフォーマンスを低下させます。当社のデフラグ・サービスで、あなたの人生を最適化しませんか?』


クリニックを訪れると、白衣を着た技師が、事務的な口調で説明した。

「施術は簡単です。除去したい記憶データを指定していただくだけ。あとは当社のシステムが、あなたの脳内ネットワークから該当ファイルを完全に削除します。ごく稀に、関連性の高いデータも一緒に整理されることがありますが、パフォーマンス向上のためのだと思ってください」


S氏は、例のプロジェクト失敗に関する全データを削除するよう依頼した。椅子に座り、目を閉じると、かすかな機械音がしただけだった。


目が覚めると、頭の中は静かだった。プロジェクトの件を検索しようとしても、該当するファイルは見つからない。それどころか、その時一緒に働いていたチームメンバーの顔や名前まで、ぼんやりと霞がかかったようになっていた。彼は、技師の言っていた「自動最適化」だろうと、好意的に解釈した。


効果はすぐさま数値に表れた。彼の業務効率は35%向上し、社内評価も上昇した。彼はこのサービスを気に入り、定期的に自身の記憶をメンテナンスするようになった。取引先での失言を消せば、その取引先の担当者の名前が思い出せなくなる。気まずい会食の記憶を消せば、そのレストランの場所が分からなくなる。だが、些細なことだった。パフォーマンスの低下に繋がりかねないネガティブなデータが消える恩恵の方が、はるかに大きかった。


彼の人生は、成功体験と肯定的なフィードバックだけで構成された、完璧なデータベースとなった。彼は常に穏やかで、合理的だった。


ある日、彼は廊下で元上司とすれ違った。元上司は、彼を呼び止め、興味深そうに尋ねた。


「君かね、例のサービスを利用しているというのは」


S氏は、何のことだか分からず、ただ穏やかに微笑んだ。

「何かございましたでしょうか?」


元上司は、少し残念そうな顔で言った。

「いや。君はもう覚えていないだろうが、半年前のあの大失敗の後、君が見せたリカバリー能力は高く評価されていたんだ。君はチームのメンバー一人ひとりに頭を下げ、彼らの得意なことを完璧に把握して、見事にチームを立て直した。あの失敗があったからこそ、君は本当の意味で『人を見る目』を学んだんだ。次のプロジェクトリーダーに推薦しようという話もあった。だが、失敗のデータそのものを消してしまった君は、今やそのチームメンバーの名前すら覚えていないそうじゃないか。リスク管理どころか、人をまとめる能力の根幹まで失ってしまった。実に、惜しいことをした」


そう言うと、元上司は去っていった。


S氏は、一人その場に残された。彼の頭の中には、完璧に整理された、輝かしい成功体験だけが並んでいる。リーダー推薦の話を聞いても、喜びも悔しさも感じなかった。なぜなら、その感情の起点となるべき「失敗」と、それに付随する「苦労して人間関係を再構築した経験」というデータが、彼のデータベースには存在しないのだから。


彼は何も感じないまま、次の業務へと向かった。彼の歩き方は、以前と変わらず、極めて効率的だった。

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