「黎明の檻」
高 神
第1話 耳障りの良い言葉の果てに
選挙特番のスタジオは熱気に包まれていた。各党本部からの中継が画面を埋め、アナウンサーの声が高らかに響く。
「ただいま確定しました。極右翼政党〈黎明の会〉、単独で衆議院過半数を突破!」
その瞬間、党本部に詰めかけた支持者たちの歓声が爆発した。紙吹雪が舞い、握手を求める手が乱れ飛ぶ。壇上に立つ党首・神谷蓮司は、満面の笑みで両手を高々と掲げた。
「皆さんの意思が、ついに国を動かした!」
「古い政治を終わらせ、新しい日本を創る!」
力強く、しかも耳に心地よいその言葉は、疲弊した国民にとって救済の響きを持っていた。物価高、不安定な雇用、増え続ける治安不安。閉塞感に苛まれていた家庭にとって、神谷の言葉は現実を一瞬だけ忘れさせ、未来への期待を描いてみせた。
テレビの前に座る佐伯真理子も、同じように拍手を送っていた。三十代半ば、派遣社員として働く彼女にとって、この国はあまりにも生きづらかった。家賃の値上げ、保険料の増加、職場での不安定な立場――。「国民を守る」という言葉が胸に沁み、思わず頬が熱くなる。
隣の部屋から父の声が飛んできた。
「やっとだな。口先ばかりの政治家じゃなく、はっきり言ってくれる人間が必要だったんだ」
真理子はうなずきながらも、心のどこかで微かなざわめきを覚えていた。あまりに滑らかで、あまりに心地よい言葉の連なりが、どこか現実離れしているように感じられたのだ。しかし、その違和感はすぐに拍手と歓声の渦にかき消された。
夜が更けるにつれ、〈黎明の会〉の勝利は決定的となった。参議院も同時に掌握される見込みだと報じられ、キャスターは「戦後初の完全与党体制」と語る。解説者たちは笑顔で「政治の安定」を強調し、国民の支持を当然の結果として称賛した。
しかし、画面の隅には小さなテロップが流れていた。
〈一部の候補者、差別的発言や暴力的言動の過去を指摘されるも、支持層には影響せず〉
その文字に気づいた者は少なかった。華やかな勝利の映像と熱狂の声が、すべてを覆い隠していたからだ。
街の居酒屋でも、会社員たちが盃を交わしながら盛り上がっていた。
「やっと変わるな、俺たちの国も」
「外国に舐められないようにしてくれるだろう」
「そうそう、もっと強い日本にしてほしい」
酔いに任せた声に、誰も異を唱えなかった。異を唱えることは場の空気を壊すだけでなく、自ら孤立を招くと直感していたからだ。
深夜零時。
国会議事堂前には報道陣のカメラが並び、煌々とライトが照らす中、神谷蓮司が再び壇上に現れた。勝利宣言を高らかに読み上げる。
「この国を取り戻す! 皆さんと共に!」
その瞬間、真理子の胸に、またも言いようのない不安が走った。
取り戻す? 一体、誰から?
しかし彼女は、その疑問を言葉にできなかった。周囲があまりに歓喜に満ちていたからだ。
――そして翌朝から、この国の空気は少しずつ、しかし確実に変わり始める。
翌朝、街は普段と同じように始まった。通勤電車は相変わらず混み合い、コンビニの前では学生が立ち食いをし、交差点では信号待ちの人波が動き出す。
だが、空気の底にはかすかなざわめきがあった。
駅前の売店に並ぶ新聞の一面はどれも同じ見出しで埋め尽くされていた。
〈黎明の会、歴史的勝利〉
〈神谷政権、完全与党へ〉
通勤途中のサラリーマンたちは、それを手に取っては満足げにうなずき、あるいは同僚と笑顔で語り合った。
「やっと国が変わるな」
「景気も良くなるんじゃないか」
新聞をめくると、神谷の笑顔と「新しい日本」というスローガンが鮮やかに躍っている。その光景は、まるで未来が約束されたかのように人々を包んでいた。
一方で、街角のカフェでは、若い女性が友人と小声で話し合っていた。
「ちょっと怖くない? 昨日の演説……」
「でも、みんな喜んでるし。反対なんて言ったら変な目で見られるよ」
その会話はすぐに途切れ、沈黙のままカップを持ち上げた。
正午過ぎ、テレビは臨時ニュースを報じた。
「本日、神谷蓮司党首は首相官邸を訪れ、内閣組閣に着手しました。第一次神谷内閣は、速やかに発足する見通しです」
画面には、官邸前に集まった報道陣と、旗を振る支持者たちが映し出されていた。彼らは「神谷!」「黎明!」と声を合わせ、日の丸を振り続けていた。
午後には、新内閣の最初の記者会見が開かれた。
神谷は、選挙のときと同じ笑みを浮かべ、朗々と語る。
「我々は、国民の声に応える政府をつくります。まず最初に、治安と生活の安全を守るため、法改正に着手します。街の秩序を乱す行為には、断固として対処します」
その言葉に、会場の記者たちは大きくうなずき、拍手すら湧き起こった。
だが、同時にSNSには「不穏分子の取り締まり」という言葉が流れ始めていた。
夜のニュースは「神谷政権、国民の支持を背景に力強い一歩」と題して報じた。
歓喜の声、拍手、笑顔。
しかし、その映像の陰で、ある人々の声はすでに掻き消されつつあった。
真理子は、会社からの帰り道に街頭ビジョンを見上げた。そこには、国旗を背に演説する神谷の姿が映し出されている。
「取り戻そう。誇りある国を」
拍手の効果音が流れる映像に、真理子の胸のざわめきは昨日よりも強くなっていた。
それでも彼女は、その感覚を誰かに言うことはできなかった。
――空気は、確実に変わり始めていた。
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