第5話・真実を読む

 中学校に上がっても、満君の悩み相談は止まらなかった。少ししんどくなって、先生に愚痴を言うようになった。しかし、いつも最後に言われることは決まっていた。

「まあ、満にも色々あるんだろ。お前は優しいからな。支えてやってくれ。」

 クラスで孤立している満君を気にかけてやってくれと、満君は任せたと、優しいお前を頼りにしていると。何度相談しても終着点はそこだった。

 思春期ということもあって、親に相談するのはなんとなくできなかった。満君はクラスの違う僕のところに休み時間になると毎回のように顔を出した。

「俺の事睨んでくる奴がいるんだよ、酷いと思わないか?」

「俺を揶揄う奴がいるんだよ。俺に何してもいいって思っているんだよ、彼奴。」

「また物隠されているんだよ。数学のプリントも理科のワークもないんだよ。」

 いじめられているという報告を逐一僕にしてくるのだった。小学校の頃のように、ただ純粋に、助けてあげたいと思えたらどれだけよかったか。しかし、その気持ちとは裏腹に、満君の話を聞くたびに僕の心には濁った感情ばかりが湧きあがった。

 話を聞くことがどんどん面倒くさくなり、授業が終わって廊下を見たときに教室の外に満君の姿が見えるとまたか、と気分が重たくなった。でも、僕は、優しいから、優しくいなければならないから。頼りにされているから、笑顔で、親身になって満君の話を聞くんだ。

 中学三年生になって、進路を決める季節になった。僕は、中学生になってからの二年間、ずっと満君に付きまとわれていい加減うんざりしていた。

 そこで僕は、満君が選ばないであろう県内トップの高校を受けることにした。僕が受ける高校が出願時期まで満君にばれなければ、高校では満君と離れることができる。僕にとって『満君に優しくしなければいけない』ということは、今や呪い同然になっていた。

 志望校を満君に知られないようにすることと、自身の学力向上を心に誓って、自由を夢見て、僕の中学生活最後の一年がスタートした。

 しかし、その誓いの一つはすぐさま打ち砕かれることになった。満君は先生や僕の親に、僕の進路を聞きまわり、いつの間にか僕の志望校を知っていた。ばれたのなら志望校を変えればいいかと言うと、そんなに簡単な話ではない。親には満君のことを相談していないし、志望校を選ぶ基準が嫌いな人と離れるためなど、言えるわけがなかった。願書を提出するまでに何度か当たり障りない理由で志望校を変えたが満君の執着心は想像を超えており、逃げ切ることは叶わなかった。

 卒業式の日の僕の顔はひどくやつれていたと思う。ホームルーム後、僕はこんな思いをするならわざと試験で不合格になればよかった、などと考えながら椅子に座って教室内を眺めていた。

 中学校最後の日をある人は泣きながら、ある人は大勢と写真を撮りながら思い思いに過ごしていたが、僕の心には感動や、未来への希望などという清らかに透き通った感情は湧いてこなかった。ただ、卒業後に始まるであろう地獄の日々を想像して、呆然としていただけだった。

 クラスメイト達が一緒に写真を撮ろうと言ってくれたが、ぎこちない笑顔を作ることが精一杯だった。満君が僕のクラスの前まで来て、写真を撮ろうと言ってきた。もちろん拒否はできなかった。僕たちは肩を寄せ合い、カメラに映った。その間も僕の心には陰鬱な感情が渦巻いていた。

 当初の予定では、今日をもって僕はこの呪いでがんじがらめの檻から自由になるはずだったのに、どうして僕も、満君もあの高校に受かってしまったのか。満君が帰りにカラオケに行こう、と言ったが、丁重に断った。どうせお悩み相談会になるのは目に見えていたからである。


 高校生になって驚いたことがあった。なにせ満君と同じクラスだったからだ。こればっかりは自分の運のなさを恨んだ。隣の席でなかったのがせめてもの救いである。

 入学式終わりの最初のホームルームは自己紹介だった。端の席の生徒から順番に名前、出身校、好きなもの、という流れである。ぼんやりと聞いていると、満君の番になった。

「えっと、津川 満です。出身中学は第一中学で、好きな食べ物はメロンです。よろしくお願いします。」

 満君の自己紹介もぼんやりと聞き流し、自分の番を持った。

「名前は日村 優助です。出身中学校は第一中学校です。好きな食べ物は、」

 はっとして一度口をつぐみ、言い直す。

「好きな色は、赤色です。これからよろしくお願いします。」

 好きな食べ物を好きな色に言い直し、席に座った。自分の行動が満君の言葉に左右されたことに少し気分が悪くなりながら、最初のホームルームは終了した。

 しばらくしたら友達が二人できた。二人ともあっさりとした性格で、満君と一緒にいる時と比べて、十倍、いや百倍気が楽だった。気が付けば僕は満君を避け、その二人と一緒に行動するようになっていた。『優しい優助君』というフィルターを通して見られることがなくなった今、僕の中に満君に優しくしなければならないという感情もなくなっていた。満君はめげずに僕に話しかけ、僕にあしらわれた後はいつも少し離れたところで僕をじっと見ていた。

 夏休みが明けたころ、僕は放課後、満君に呼び出された。二人きりで話がしたいと言われたため、友達を連れていくこともできなかった。面倒だが、断ったり無視をしたりすればもっと面倒くさい。そう判断して指定された場所に行くと、すでに満君は一人で立っていた。

「満君、どうしたの、急に。」

 僕が先に沈黙を破った。ぎこちなく用件を尋ねる。目は合わせない。やはり二人きりになると、今まであしらってきたことへの罪悪感に襲われた。自分のためとはいえ、今までの満君を考えると、僕にいじめられたと思っているに違いない。満君は僕を見つめ、ゆっくりと口を開いた。

「最近さ、俺の事、避けているよね?」

「あ、いや、その、避けている訳じゃなくて、仲のいい友達が他にもできて、話が合うからそっちといつも一緒にいるだけだよ。」

 二人の間に気まずい空気が流れる。満君は僕の言葉を聞いて少し考え込む素振りを見せる。

「そっかあ。まあ優しい優助が人をいじめるわけないよな。でもさ、俺最近一人なんだよなあ。孤立してる俺を見て笑っている奴もいるし。ねえ、また一緒に居ようよ。このまま俺一人ぼっちでいじめられたら死んじゃうよ。」

 灯台下暗し、一番分厚い『優しい優助』フィルターを通して僕を見ていたのは、中学の先生でもなく、親でもなく、満君だったのだ。

「うん、分かったよ。一人は寂しいもんね。」

 妙に圧を感じる満君の瞳は、『死んじゃう』の一言の真実味を増し、僕は頷かざるを得なかった。

 二年生になって、僕が満君に感じることは面倒くさい、や、うざったいだけではなくなった。気色が悪いと感じるようになってしまった。

 いじめられていると被害妄想を長々と聞かされ、ことあるごとに僕について回り、僕が他人と仲良くすれば、死にたいなどと病んだアピールを執拗に繰り返す。自宅にいても、何度も電話をかけてきては長々とした話を聞かされる。電話に出ないことが続くと、次に会った時には寂しい、孤独だ、と訴えてくる。おかげで学校でも、家でも碌に落ち着くこともできやしない。

 時間が経つにつれて、満君の悩み相談は被害妄想に加えて、僕への妬みも含まれるようになってきた。

「いいよなあ、優助は。人気者だもんなあ。俺みたいに悪口言われたり、避けられたり、睨まれたりしないもんな。俺も優助みたいだったらよかったのに。」

 何が『優助みたいだったらよかった』だ。なにもいいことなどない。一人の厄介な友人のせいで、交友関係も、時間の使い方も縛られる生活のどこがいいというのだろうか。

 満君の悩み相談はあまりにも長く、うんざりだった。しかし、傍から見ればずっと一緒にいる僕たちは大親友に見えていたらしい。

「お前と満って仲いいよな、いっつも一緒に居るけど話尽きねえもんなの?」

「お前らってなんか似てるよな。だからか、一緒に居ると居心地いい的な?」

 僕と彼奴が仲良し?僕と彼奴が似た者同士?どこがだよ、僕は彼奴に合わせてやっているだけだ、と叫びたいのをぐっとこらえて、まあね、と笑みを張り付けた。

 授業中も、僕は教科書の問題を解くことではなく、人生の問題を解決する方法を考えていた。僕の理解者はどこにいる?彼奴のおかげで一緒に居たい友達との交流時間を制限され、勉強時間を削られ、毎日学校でも家でも話を聞かされ、毎日電話がかかってきたり、ついて回られたりするせいで彼女の一人も作れない。

 でも僕が彼奴から逃げたら、彼奴の中で僕は彼奴をいじめたことになる。そうしたらまた呼び出されて、優助が俺をいじめるなら俺の居場所はもうどこにもないよな、なんてぶつくさ言い出すのだろう。いい加減僕に依存するのは勘弁してほしいものだ。ぐるぐると回る考えの中で、僕は一つ、いい事を思いついた。

『満君が、二度と僕に口をきけない、頼ることもできない状態を作ればいいのでは?』

 正気も生気も失った僕は、これ以上深く考えることはできなかった。彼から解放されたいその一心で、紙を用意し、ペンを用意し、思いを紙に綴る。

 そして部活がない日の放課後、いつもの様に満君に夕方まで教室で話を開かされていた僕は授業中に書いた紙をポケットに忍ばせ、トイレに行くと言って教室を出た。

 教室から出て、二、三歩歩いた僕は、すかさず廊下を走り出し、階段を駆け上がる。

 後ろから、俺もトイレー、とのんびりした声が聞こえるが無視をする。僕の足音に気が付き、どこ行くんだよ、と歩いて追ってくるのも無視をする。

 そして勢いに任せて屋上のドアを開けて、紙をポケットから取り出し、靴をそろえて柵を越える。息を整えて、街並みを眺める。

 眼前の空と街は夕焼けの赤に染まっていて、こちらにおいでと誘っているかのように見えた。被害妄想ばかりで、自己中心的で、悲観的なくせに変なところだけ頑固でこだわりが強い。そんな奴との付き合いからやっと解放されると考えるとすがすがしい気分になった。

 髪が風に靡いてさらさらと揺れた。後ろで自分を呼ぶ声がしたが、無視をした。そうして僕は、自由な世界に向けての第一歩を下へと踏み出した。落ちてゆきながら、ずいぶん昔に聞いた言葉を思い出す。

『お前もアイツといるのやめといた方がいいよ。』

 うん、松村君、君の言ったとおりだったよ。後戻りのできない状態で少しの後悔を感じながら、僕は大好きな赤色と混ざり合った。

 

 読み終わった俺の心臓がどくん、と大きな音をたてる。突如、今まで忘れていたすべての記憶が鮮明に思い出される。

 優助が高校に入ってから急に俺をいじめだしたこと、その後優助ともう一度仲良くなれたこと。それからしばらく経ったタイミングで、急に優助が屋上から身を投げたこと、優しい顔が台無しになっていたこと。

 そして、彼の遺書に書かれていた言葉。

『今度は君のいない世界に生まれることができたらいいな』

 うめき声と嗚咽が口から漏れる。手ががたがたと震え、 持っていた本は鈍い音を立てて床に落ちる。俺は頭の整理が追い付かず床に蹲るが、本が視界の端に映り、俺は反射的に本を部屋の隅に向かって投げ飛ばした。動悸と汗が止まらず混乱している状態だが、俺は懸命に考えをまとめようとしていた。

 優助は俺のことが嫌いだったのか?俺のこと、友達と思ってなかったのか?優助が死んだのは、俺のせいだったのか?

 違う、違う、違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがう!

 優助を追い詰めるようなことはしていない。優助だって嫌な顔をしたことなんてなかったじゃないか。優助は勝手に死んだのだ。俺は、決して何もしていない。そのはずだ。

 落ち着こうと頭で考えていることとは裏腹に、真実を思い出した自分の心は決壊寸前だった。声にならない叫び声をあげながら、俺は身をよじる。

 投げ捨てた本は土産に直撃していたらしく、箱の形は無惨に潰れていた。俺の顔も土産の包みと同じく汚らしくなっていたが、その原因が涙なのか汗なのかもわからなかった。体力が尽きるまでのた打ち回り、泣きわめき、そのまま俺は魂が抜けたように、床に仰向けで寝転がった。

 土産の上にあったはずの本はもう姿を消していた。

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