【前の持ち主】

天竺牡丹

第1話・嫌なことは忘れて

 小学校二、三年生くらいの男児二人が仲良さげに教室で話している。

「なあゆうすけ、今日は家の前の公園で遊ぼう!学校から帰って着替えすませたら公園集合な!」

「うん。いいよ、みちるくん。三時くらいでいい?じゃあまたあとで。」

 そう言って優助は俺に向かってにこり、と微笑んだ。


 スマートフォンのアラームの音で目を覚ました俺は、ベッドからもそもそと緩慢な動きで起き上がり、アラームを止める。画面には『2024年3月13日6:30』と表記されている。

 なんだか懐かしい夢を見たな、俺のたった一人の友達だった優助。誰に対しても分け隔てなく接し、当時いじめられていた俺にも笑顔で話しかけてくれた。俺にとってそれがどれだけ嬉しかったことか。何度も話し、遊ぶうちに俺たちは親友と呼べる間柄になっていた。会いたいなあ、高校で離れてからどうしているのだろうか、などとぼんやり考えながらカーテンを開ける。

 窓の外を見るとそこには見慣れない風景が広がっている。そう、俺は昨日から異国の地に旅行に来ているのだ。理由は仕事に疲れたから。俺は優助と遊びほうけたあの頃とは打って変わって仕事に追われる日々を送っていた。

 ただ一つ、あの頃と変わらなかったのはいじめられているということだった。俺はそれに耐えかねてこの間、勤めていた会社を辞めたのだった。

 今回の旅行は、いじめてきた奴らのことを忘れるために計画したのだ。しかし忘れる、とはそう簡単なことではない。ふとした時にあいつらの顔を思い出してしまう。ああ、思い出すだけでむしゃくしゃする。俺は何もしていないじゃないか。

 

 いじめの主犯は俺と同い年の松村という名の上司だった。そいつの取り巻きのような奴らがあと二人。本当に社会人のやることか、と突っ込みたくなるような、幼稚ないじめを繰り返すのだ。

 いじめは、貸したボールペンが返ってこないというものから始まった。所謂借りパクというやつだ。

 俺も最初は気にも留めなかった。うっかり忘れてしまうということは誰にでもあることだ。百円ショップで買った俺のポールペンなんか、似たようなものを持っている人も多いのだから。上司も借りたことを忘れて自分のものと勘違いしているのかもしれない。そう考えた俺は、返してください、と言うこともなくその件をほったらかしにしたのだった。

 それがいけなかった。奴らは俺を『言い返せない奴』認定したらしく、いじめはだんだんエスカレートしていった。まずはペンやメモなど、隠されてもしばらく気づけないような小さなものが隠されるようになった。その次には、俺の悪評を他人に言いふらし、陰で笑うようになった。おまけにプレゼン寸前にデータを消されるようになった。

 俺はいたって真面目に仕事をしていただけなのに。確かに少しどんくさいところがあるが、仕事に大きな支障は出したことがない。だというのになんで俺がいじめられなきゃいけないのだ。

 いけない。また考え込んでしまっていた。俺は嫌なことを忘れるために旅行に来たのだ、もう考えないでおこう、と心に決めて、朝の支度を済ませてホテルを出た。


 異国の地は土地感がない分不安にもなるが、一人で街を歩くのはまるで大冒険をしているかのような感覚が味わえるため俺はかなり好きだ。

 今日はこの土地で有名だという市場を見に行き、その後は予てより訪れることを計画していた観光地を訪れ、夕方には酒場に行くつもりだ。いつも着ていたスーツとは違うラフな格好に、笑顔で街を行く現地の人々。このシチュエーションに、自分は自由になったのだと実感して自然に口角が上がる。

 浮かれた足取りで市場に向かうと、ざわざわと朝から賑わう市場が見えてきた。観光客向けの店から現地の人々が食品を買うような店まで、明るく色とりどりの店が並んでいた。

 まずどの店から見ようか。土産を渡すような人もいないが折角だし記念に何か買って帰るのもいいかもしれない。そう考えた俺は工芸品が並ぶ観光客向けの店を見ることにした。

 店主は人のよさそうな笑顔で俺を出迎えてくれた。俺はスマートフォンの翻訳アプリを起動し、店主に商品について聞いてみることにした。

「店主さん、これは何だい?」

「ああ、そりゃあペンダントさ。隣のがブレスレット。その隣がストラップ。全部私と妻が手内職で作ったものさ。綺麗だろう?人気なのはストラップさ。」

「そうかいそうかい、じゃあどれも一つずつ、このペンダントと、このブレスレット。それからこのストラップを買うことにするよ!」

 俺はずらりと並んだ商品の中から、特に自分が気に入った赤色ベースの三つを指さした。普段なら結局帰ったらほったらかしにしてしまうのだから買わないでおこう、と購入をやめるところだが、折角遠いところに足を運んだのだから、と思う気持ちと、俺は自由だという気持ちの昂りに後押しされてほとんど勢いで購入してしまった。

 店主は商品についた値札をはがしながら、何かを思い出したかのように顔を上げた。

「この国は初めてかい?」

 俺が何故そんなことを聞くのだろうと思いながらもはい、と答えると、店主は続けて言った。

「それじゃあ忠告しておこう。市場の裏の通りはなるべく使わないほうがいい。あそこには怪しい連中がうじゃうじゃいる。占いだ、とか不思議なアイテム、とか言って観光

客を騙して金を巻き上げる奴がいるから注意したほうがいい。」

 親切な人だ。俺は店主に礼を言い、支払いを済ませて店を後にした。

 さて、ペンダントとブレスレットを身につけ、大したものも入っていないリュックにストラップをつけた浮かれた格好の俺は、次の店に向かうことにした。現地の代表的な

土産だという菓子を買い、屋台で食べ歩きをして回った。

 異国の味は自分の口に合うのか一抹の不安もあったが、料理を口に入れた瞬間そんなものは吹き飛んだ。調子に乗って俺は何軒も屋台を回った。

 店にいる人は店員も客もいい人で、気さくに話しかけてくれた。笑顔の人々に囲まれるなんて経験はしたことがなかったものだから、まるで自分が人気者になったようでなんだかこそばゆい気持ちになった。

 どこから来たのか、もうあの観光地には行ったか、など会話は今までにないほど弾み、俺は久しぶりに人と関わることに楽しさを感じた。

 会話の大半は楽しいもの、明るいものだったが決まって皆が言うことがあった。

「市場の裏の通りには行くな。」

 詐欺師がいる、と言う者もいれば、スリが多いと言う者もいて、おまけに魔女がいる、などとオカルトチックなことを言う者もいた。俺はオカルト系の話は信じない質だが、あまりにも皆が口をそろえていうものだから不気味に思って裏通りには行かないでおこう、と決意したのだった。

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