シャーロック・ホームズの異界録 V:反転探偵の肖像

S.HAYA

第1章 バスカヴィル街の血痕

 私が最初の違和感を覚えたのは、その朝届いた新聞だった。


 バスカヴィル街で起きた殺人事件。

 見出しはこうだ――

 「名探偵ホームズ、殺人現場に現る?」


 まったく馬鹿げている。私はその夜、ベイカー街の自室にて、ワトソンと共にチェスを指していた。完璧なアリバイがある。だが、記事に記された目撃証言は私の姿を明確に描写していた。


 高身長。鋭い目元。インヴァネス・コートの裾。

 そして、事件現場に残されていた足跡のサイズと深さは、まさに私のものと一致していたというのだ。


 「おい、ホームズ……これは一体どういうことだ?」


 ワトソンが新聞を掲げながら問いかける。

 私は黙って立ち上がり、鏡の前に立った。

 まるで誰かが、私を模している――いや、私自身が別の場所で動いているような感覚。


 だが、その日からだ。

 私は“もう一人の私”の存在を、確かに感じるようになった。



 ロンドンの空気が変わっていた。

 朝の霧は異様に濃く、街路灯の光すら歪んで見えた。まるでこの街が、何かを隠そうとしているかのように。


 私は独自に調査を開始した。

 被害者は大学の数学教授で、前夜、何者かに喉を切られて殺された。犯行の手口は実に鮮やかで、乱暴さよりも知的な冷酷さを感じさせた。


 私のそれに、あまりにも酷似していたのだ。


 そして決定的だったのは、現場に残されていた一枚のメモ。



 > 「鏡の中の真実を見たことがあるか、ホームズ?」



 私は思わずその場で立ちすくんだ。

 誰かが、私の名を知っている。

 そして、“鏡”という単語は……私に、ある恐るべき記憶を呼び起こさせた。


 数ヶ月前、ある事件で入手した奇妙な鏡。

 それは通常の反射とは異なり、時に“存在しないもの”を映し出す代物だった。


 ――鏡は、真実の写しではなく、“可能性”の投影だ。



 その時、背筋をなぞるような寒気が私を襲った。

 あの鏡の向こう側に、**もう一人の“私”**が存在しているのだとしたら……?


 「ワトソン、今夜は外出する」


 「どこへ?」


 「バスカヴィル街だ。……あの鏡を持って」


 私はマントを羽織り、重いステッキを手にとった。

 霧のロンドンに、私の姿が二重に滲んで見えた。

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