ふわふわ系だと思われてますが、幼馴染を徹底的に堕とします

Laura

プロローグ 両片思いは、両思いでした

 六月の放課後、教室には紙テープの匂いと、斜めに差す西日が満ちていた。

 文化祭の装飾を貼るため、陽毬ひまりは小さな踏み台に乗って、窓上の掲示板に指先を伸ばす。クラスメイトが「ひまり、天使〜」「癒やし担当〜」と笑って手を振るたび、彼女はいつものふわりとした笑顔で返した。


「ひま、テープ足りてる?」

 背後からかかった声は、少し低くて澄んでいる。雨宮皐月あまみやさつき。女子の視線をさらっていく、クールな“王子様”。


「うん、だいじょうぶだよ。ありがと、さつきちゃん」


 言いながら、陽毬はもう一枚、上に貼ろうと背伸びをした。次の瞬間、踏み台がぎしりと鳴る。

 視界が揺れた――と思ったときには、腰をつかむ腕に受け止められていた。


「っ……危ない」

 皐月の手が、震えていた。

「……ひまり」


 その呼び方は、普段の「ひま」ではなかった。落ちた心臓の音が、陽毬の内側で大きく跳ね返る。


「ごめんね、びっくりさせちゃった?」

「……驚いた。怪我、しなくてよかった。私、そういうの……嫌だ」

 皐月は言葉を探すみたいに、目を伏せる。

「ひまりが痛い思いするの、嫌」


 教室のざわめきの端で、二人だけの時間が生まれる。

 陽毬は、そっと笑った。胸の奥で、何かがほどける音がした。


(――ああ、両思いなんだ)


 ずっと“片思い同士”だと思い込んでいた距離が、その一言で静かに輪郭を変える。

 陽毬は踏み台を降り、皐月の手を自分の手の上に重ねた。


「ありがと。助けてくれて、さつき」

「……っ」

 呼び捨てになった二文字が、皐月の頬にじわりと熱を灯す。


 その後、片付けが終わり、クラスメイトたちが「王子〜写真撮って〜」「ひまりも一緒に!」と騒いで、わいわいと廊下へ流れていった。

 夕暮れの教室に残ったのは、椅子の影と、二人の呼吸だけ。


 窓際で、皐月が小さく息を吸う。

「……さっき、写真。みんなと楽しそうだった」

「うん。楽しかったよ」

「……それ、私の前で言われると、あまり……好きじゃない」

 言ってから、皐月は視線を逸らす。

「変かな。こういうの」


 嫉妬という言葉を、彼女はまだ選べない。

 けれど陽毬には、十分すぎるほど伝わっていた。


「ふふ。さつきってば、かわいい」

 陽毬は一歩近づいて、彼女の指先を軽く取る。

「ねえ、私のこと、ちゃんと見てて?」

「……見てる」

「じゃあ――」


 微笑みはふわふわのままで、声音だけが少しだけ甘く落ちる。


「悪い子には、おしおきだよ?」


 囁きに似た一言が、空気の温度を一度だけ変えた。

 皐月は息を詰め、困ったように、でもどこか嬉しそうに目を伏せる。


「……ひまり、そういうの、ずるい」

「ずるくてもいいよ。だって――」


 陽毬は指を離さない。西日に縁どられた睫毛の影が、どこまでも柔らかい。


「両思いなんだもん」


 言葉はそれ以上続かない。告白でもない、確認でもない。ただ確信の共有。

 静けさの中で、陽毬はひとり、心の奥で結論を結ぶ。


(これ、堕としてもいいよね?)

(ここからは、私がもらう。さつきは、私だけのものに)


 かすかな風がカーテンを揺らし、二人の髪を掬う。

 教室の扉の向こうからは、遠くに笑い声。ここだけが、夕暮れに取り残された秘密の場所。


「帰ろっか、さつき」

「……うん」


 絡めた手は、自然にほどけなかった。

 それが最初の合図。優しいふりをした微笑みの奥で、陽毬はそっと、鍵を回す。


 ――両思いだと知った日、陽毬は決めた。

 この恋を、徹底的に堕とし尽くすと。

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