花ひらく。重なり合う。

013

変わらないはずだったのに。

 僕は春が好きだ。明るくて、ちょっとだけ、外に出るのも悪くないなと思えるから。

 アスファルトに裸の桜の木が映っているのも、向こうから春風が駆けてくるのも、普段は憂鬱な目的地までの道のりを彩ってくれる。それは、たまらない非日常の光景だ。


 門をくぐると、そこには普段と変わらない景色が広がっていた。いつものように一連の動作を終え、僕は無機質なハコへと吸い込まれていく。自分のテリトリーを確保し、これまたルーティンをこなす。敏腕営業マンさながらの流れるような挨拶と近況報告──と言っても、毎日会っているのだが。しばらくすると鐘が鳴り、また日常が始まる。


 今日も今日とて、平凡である。いつもと変わらない席、いつもと変わらない先生、いつもと変わらないクラスメイト。世界とはこんなにも変化がないものなのかと考えると、逆に悲しくなってくる。飽き飽きして窓の外をぼーっと眺める。桜には、もう蕾がついていた。

「桜、きれいだよな。俺も好き。」

 振り返ると、萩元がいた。クラスの中心人物だ。彼は、優しげな目つきで蕾を見つめ、それから僕に視線を移した。桜の話題なんて珍しいなと思いながら、つい身構えてしまう。

「この季節にしか見られないっていうのが、なんとも儚いよね。」

「わかるわー。普段、花とか興味ないんだけど、桜はついつい見ちゃうんだよなー。」

「学校に入ったら、真っ先に目につくもんね。」

他愛のない会話が数十秒続く。萩元が何か言いたそうにしているのを感じたので、僕の方から話を振ってみた。

「なんだかんだ、萩元と喋るの久しぶりだよね。話しかけてくれてありがとう。」

「実は話したいことがあったんだよね。さっきの授業で、ペアワークの相方を決めておけって言われてたじゃん?よかったら組んでくれない?」

 ペアワーク?そんなこと言ってたっけ?一瞬、困惑が胸をよぎったが、どうせ話を聞いていなかっただけだろう。真っ先にペアを組むような相手もいないし、向こうから声をかけてくれるなんて、むしろありがたいくらいだった。

「もちろん!ペア組まないといけないのすっかり忘れてた。こちらこそ、ありがとう!」

「おっけ。またよろしく。」

「よろしくねー!」

 とりあえず、うまく事が運んだことに安堵する。萩元とは、片手の数も話したことがないが、わざわざ誘ってくれたのは純粋に嬉しかった。

 今日はちょっといいことがあったなと思いながら、残りの時間を緩慢と過ごした。


 翌日、早くも作業に取り掛かった。ありがちな、分担して調べた内容をスライドにまとめるタイプのやつだ。

「めんどくさ」という言葉が喉元まで出かかったが、なんとか飲み込んだ。せっかく萩元と話す機会なのだから、と気持ちを切り替えて頑張ることにする。


 意外にも、作業は順調に進んだ。萩元が、思いのほか積極的で助かった。なんだか、彼が普段よりも饒舌に思えたが、僕が彼のことをよく知らないだけだろう。

特に気にもかけず、早くも仕上げに取り掛かった。

「中身は概ねできたし、まとめも書いちゃっていい?」

「まじ?結構早く進んでるじゃん。それなら、俺、もうちょい調べたいことあるんだよね。もしできたらなんだけど、放課後まで付き合ってくれない?」

 彼に、これほどまでの調べ学習への熱意があることに驚いた。正直、僕のパートの中身のなさが際立つ気がして気後れしたが、まあ放課後も特に何もないので、承諾することにした。

「ありがとね。また後でよろしく。」


 授業後、教室に二人きり。最初の気まずさはもうないが、慣れない状況にそわそわしてしまう。スライドを調整しながらも、どこか意識が散っている。ふとした沈黙がやけに長く感じられた。


気づけば、窓の外の空が少し赤みを帯びていた。

「もうこんな時間か。」時計を見ると、30分が経とうとしていた。

「疲れたー。でも、納得いく仕上がりになったわ。」

萩元の作業も決着がついたらしい。

「お疲れー!僕たち、結構頑張ったんじゃない?」

「まあ、ほぼ俺だけどな(笑)」


「そういえばさ、なんで僕を誘ってくれたの?」

 会話が、静かな教室によく響く。僕の意識は、自然と萩元へ向けられた。彼もまた、こちらを見ている。

 そのとき、まるで磁石のS極とN極が引かれ合うように、僕らの眼差しはぴたりと合わさった。

 萩元は目を逸らさない。むしろ、軽く緩んでいた口元が引き締まり、その表情は真剣そのものだった。僕は戸惑った。状況が飲み込めないし、気恥ずかしさで目を背けたくなった。だが、そうするのは、あまりにも惜しい気がした。

 彼の全身から発せられるメッセージを、僕は受け取り損ねたくなかった。だから、ぐっとこらえて、僕も目線に力を込めた。


 どれほどの時間が流れたのか。何かを言葉にしたわけでも、心の奥底をさらけ出したわけでもない。それでも、僕は悟ってしまった。彼が抱いていた思いを悟ってしまった。

 僕は、完全に落ちた。彼の思いが、僕を包み込んでしまったようだ。

 もう、彼とはただのクラスメイトには戻れない。そんな確信が、胸の奥で静かに広がっていった。



 これが、僕と彼のはじまりの物語。あの春は、僕の日常を壊した。だけど、後悔はしていない。

 だって、校門の桜は花開いていたから。

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