幕 間 飛騨枝打ち衆、見参!




「うーー……。寒いのぉ……。」



 伊万里城の城主は深夜に目を覚ました。

 行きは差し迫る尿意に急かされて感じなかった冬の寒さが、帰り道では、身にしみた。


 身をすくめ、両腕を擦りながら、布団の元へ急いだ。



「……んっ!?」



 静寂が満ちる中、庭の鹿威しが、カコーンと響いた。

 思わず顔を向けると、庭に黒い影が伸びていた。


 足を止め、影の先へと顔を上げた。



「龍造寺四天王が一人、木下昌直殿とお見受けいたします」



 白壁の瓦の上、修験者らしき男が腕を組んで立っていた。

 笠を深くかぶり、月明かりを背に浴びるその姿からは、顔の表情は見えない。


 だが、口元だけは、ニヤリと笑っているのが分かった。



「ぬぬぅっ!」



 明らかに不審者だ。

 城主は思わず後ずさり、腰に手を伸ばす。


 しかし、白い寝間着姿に、刀を差しているはずもなかった。



「な、何やつっ!?」



 城主がせめてもの抵抗に叫んだ、その瞬間。

 修験者の背後で業火が舞い上がり、左右に広がって、白壁の向こうに炎の壁が燃え盛った。



「日の光を浴び、まばゆきは月光!

 正しき血筋の名のもとに! 我ら、名前を飛騨枝打ち衆!」



 そして、炎の壁から、新たな修験者たちが飛び現れた。

 謎めいた口上を唱和しながら、最初の修験者の左右に次々と並んでいく。



「ひ、飛騨……。え、枝打ち衆だと?」



 その数、十数人。

 城主は、飲み込んだ生唾の音が、やけに大きく響くのを感じた。



「猿飛佐助様、まずは我らにお任せを!」

「うむ!」

「く、曲者じゃ! で、出合え! で、出合えっ!」



 だが、切迫した状況に慌てながらも我に返り、声を張り上げた。




 ******




「猿飛様……。本当にいいんすか?」

「何がだ?」



 上半身を前傾させ、腕を後ろに伸ばし、飛騨枝打ち衆が疾走する。

 伊万里城と城下では火の手が上がり、夜空を赤々と染めていた。



「俺たち、忍びなのに……。ぜんぜん忍んでないっすよ?」

「小早川様には、何かお考えがあるのだ。我らはそれに従うまでだ」



 飛騨枝打ち衆の前身は、甲賀の忍びである。

 かつて、甲賀の忍びは戦国時代の幕開けとともに隆盛を誇り、近江を治めていた六角氏に重宝された。



「そっすね! それに名乗りなんて、まるで武士っぽくて……。格好よかったっす!」

「馬鹿者……。『みたい』ではない。お前も、もう武士なんだよ」

「そうっす! 俺たち、武士だったっす!」



 しかし、戦国時代の寵児・織田信長が台頭し、六角氏が滅ぼされたことを契機に、甲賀の忍びたちの没落が始まった。

 天下が豊臣秀吉の下に定まると、いわゆる『甲賀ゆれ』が起こり、忍びたちは祖地を奪われ、完全に没落した。


 さらに、大名同士の紛争を禁止する『惣無事令』も重なり、忍者の需要が減ったことも大きな要因となった。

 一部は豊臣秀吉の家臣に抱えられたが、多くは農民としての道を選んだ。



「……男どもは気楽よね」

「どうした?」



 それでも、先祖の技を絶やしてはならないと、田畑を耕しながらも技を磨き続ける者たちはいた。

 今、飛騨枝打ち衆と名乗る彼らも、その集団のひとつである。



「私たちのこの格好……。どうにかなりませんか?」

「うっ……。」



 だが、その生活は嘗ての栄光とはほど遠いものだった。

 命がけで得た情報や工作は、権力者に安値で使い捨てられ、本当にこれで良いのかと自問自答する日々が続いた。



「肩を出しているのは、まあ……。

 だけど、おへそを出して、足なんて丸見えですよ?」

「こ、小早川様は、何かお考えがあるのだ。わ、我らはそれに従うのみ」



 徳川家康に召し抱えられ、伊賀の忍びとして名を馳せた服部半蔵が、どうしても羨ましくて仕方がなかった。


 だからこそ、豊臣秀吉が没し、天下に再び騒乱の兆しが芽吹いたとき、彼らは期待に胸を膨らませた。



「いっそ、裸の方が恥ずかしくないまであります! 変えてください!」

「……だ、駄目だ」

「どうしてっ!」



 しかし、一度下がった命の価値は、もう戻ることはなかった。

 捨て値同然で同胞の命が次々と失われ、技を捨てて完全の農民としての道を歩む者が続出した。


 さらに、関ヶ原の戦いが終わると、彼らは大阪城の警護を命じられ、他の忍び衆の下に置かれることとなった。

 もはや、元甲賀の忍びとしての矜持は、ずたずたに引き裂かれていた。



「小早川様自ら、ご用意してくださったのだ。

 何でも……。『くノ一といったら、こうじゃなくっちゃね!』 ……らしい」

「ううっ……。駄目そう」



 ところが、ここで大きな転機が起こった。

 関ヶ原の戦いで一躍名を挙げた『小早川秀秋』と知り合い、彼から非常に気に入られたのだ。


 そこからはあれよあれよと事は進み、今までの苦境も、この時のためにあったかと思わるるほどの厚遇を受けた。



『へーー……。飛猿って言うんだ?

 よし、ピンと来た!

 ひっくり返して『猿飛』にして、今日からお前は『猿飛佐助』だ!』



 なんと、集団をまとめる男が小早川秀秋から姓と名を賜った。

 すなわち、憧れていた武士身分をついに得たのである。



『忍者だから……。やっぱり、山中が似合ってるよな!

 よし、またピンと来たぞ!

 飛騨よりのところに、まずはキリの良い500石からどうだ?』



 しかも、俸禄として、土地まで賜った。

 小早川秀秋は、控えめに与えたつもりだった。


 だが、この時点で、彼らは憧れていた服部半蔵を超えた。

 下級武士を軽く飛び越え、その石高は家老に肩を並べるほどだった。


 猿飛佐助は、ぽかんと口を開けたまま、しばし言葉を失った。



『そうなると、甲賀じゃないから……。

 よし、またまたピンと来たぞ!

 飛騨は木材の産地! だから、飛騨枝打ち衆だ! 

 おおっ!? なんか公儀隠密っぽいぞ! ニンニンっ!』



 挙句の果てには、集団としての新たな名を賜った。

 猿飛佐助は目の前で何やらはしゃぐ小早川秀秋を見ながら、自分は夢でも見ているのかと疑った。


 これは価値観の違いによるものだった。


 戦国の世において、忍びの地位は低い。

 しかし、現代の感覚を持つ小早川秀秋は、忍びが得意とする情報収集と工作活動の重要性を誰よりも理解していた。


 それこそが、彼らへの超厚遇であり、大抜擢の理由であった。



「お頭、小早川様の軍勢が見えました!」

「よし、城まで誘導するぞ! 邪魔する者は容赦なく『枝打ち』しろ!」



 こうなってくると、飛騨枝打ち衆は圧倒的に人手が足りなかった。

 小早川秀秋の期待に応えるべく、彼らはかつての同胞たちに声をかけている最中だった。


 二年か、三年も経てば、長老たちの昔語りで自慢された、かつての甲賀の里が、飛騨に再び蘇るだろう。

 そう、猿飛佐助は胸の内を膨らませ、未来に思いを馳せていた。



「日の光を浴び、まばゆきは月光!

 正しき血筋の名のもとに! 我ら、名前を飛騨枝打ち衆!」



 だが、それもこれも、まず九州での戦いに勝ってからの話だ。

 猿飛佐助は、主君が考えた口上を叫び、逃げ惑う城下の者たちを威嚇すると、迷わず小早川秀秋との合流へと急いだ。



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