第34話 去った初恋、遅い初恋
「お待たせいたしました」
襖をそっと開けると、寝室の中はほのかに温もりを帯びていた。
綺麗に整えられた布団のそばには火鉢が置かれ、白くなった炭が赤く燃え、かすかにぱちぱちと音を立てている。
枕元の行灯が柔らかく灯り、布団の前で白い寝間着に身を包み、俯いて正座する淀の方を淡く照らしていた。
襖を閉めたあと、俺は無言の淀の方の前へと進む。
胸の鼓動を抑えながら、足を少し開いて正座した。
「ど、どうして、裸なのっ!?」
淀の方は弾かれたように紅く染まった顔を上げ、目を見開いた。
「ご覧の通り、もう辛抱たまらなくて脱いじゃいました」
俺は照れくささを隠すように、苦笑して後頭部を掻いた。
そう、俺は全裸だった。
淀の方が、この寝室で待っている。その想像だけで、理性はじりじりと溶け崩れていった。
心臓が早鐘を打ち、喉の奥がひりつくほど乾いた。
廊下で襟を緩めたのが、いけなかったのだ。
歩くうちに、いつの間にか服を脱ぎ捨てていた。
寝室へと続く部屋を抜け、襖の前に立ったときには、もう何ひとつ身にまとってはいなかった。
俺の殿様は、出陣の刻を今か今かと待っていた。
淀の方の指先が触れた瞬間、法螺貝を鳴らしてしまいそうなほどに戦意が高ぶっていた。
「そ、そう……。」
淀の方は目を逸らそうとするが、俺の殿様が気になって仕方がないようだ。
見ては逸らし、逸らしてはまた見る。
そんなことを繰り返しているうちに、淀の方は正座のまま、かすかに腰をもぞもぞと揺らした。
絶対、間違いない。
その切なそうな仕草は、淀の方も俺を待っていた証拠だ。
勇気を得た俺は、淀の方を抱きしめようと、右膝を立てた。
「ま、待ちなさい!」
「えっ!?」
ところが、淀の方が両手を勢いよく突き出して、俺を制した。
俺は思わず体をビクッと震わせ、固まる。断腸の思いで、右膝を元の位置に戻した。
「わ、私が欲しくて、『権大納言』を断ったって話、本当なの?」
淀の方は、顎を少し引き、上目遣いで俺を見つめながら問いかけた。
そんな話、初めて聞いた。
多分、淀の方を説得するときに使った、大野治長の方便だ。
でも、格好いい俺なら、あり得るかもしれない。
サンキュー、大野治長。
明日、食べ損ねたブリを手に入れて、酒と一緒に差し入れてあげよう。
「本当です。俺はそんなものより、貴女が欲しい」
俺は淀の方を真っ直ぐに見つめて応えた。
「わ、私は10歳も年上よっ! ど、どうしてっ!」
たちまち淀の方は視線を忙しく彷徨わせた。
最後には逃げ場がないと気づき、顔を背けつつ目をぎゅっと閉じて叫んだ。
なるほど、年齢差を気にしていたのか。
確かに、戦国時代における女性の結婚適齢期は、十代半ばと非常に若い。
それに対して、淀の方は31歳。
言い方は悪いが、戦国時代の結婚適齢期をはるかに超えている。
しかし、俺にとっては問題にならない。
今でこそ、俺は18歳の肉体だが、元々は30歳間近。
ストライクゾーンには、ばっちり入っている。
「初恋でした。ずっと好いていました」
淀の方が目をゆっくり開き、怖々と横目でこちらを見た。
俺はその一瞬を逃さず、狙い撃った。
正確ではないかもしれないが、嘘ではない。
「ほ、褒美をとらせます。……あ、あなたの好きになさい」
淀の方は大きく見開いた目を震わせ、耳まで真っ赤に染めた顔を俯けた。
正座の足をさらに内向きに揃え、膝を合わせる。
両ももの上に重ね置いていた手を、ぎゅっと握りしめ、さらに押し付けた。
そのたまらなく切なそうな仕草が俺の心を直撃。
心臓がドキリと高鳴り、鼻息がフンフンと荒くなるのを感じた。
「では、これを……。」
だが、俺は紳士だ。
陣太鼓をドンドンと鳴らし、出陣をせかす俺の殿様の訴えを必死に黙らせる。
そして、この部屋に唯一持ってきた右手の手ぬぐいを、淀の方に差し出した。
「……な、何?」
どこにでもあるような豆絞り柄の白い手ぬぐいである。
当然、淀の方は戸惑った。
目をパチパチと瞬きする様子が、なんとも愛らしい。
いつものように、淀の方をからかう愉悦が俺の中に湧き、口の端をニヤリと吊り上げた。
「声が大きいと聞いています。聞かれたら、まずいですよね?」
「ぶ、ぶぶぶ、無礼者っ……。キャっ!?」
きっと自覚しているのだろう。
手ぬぐいを引ったくる淀の方の仕草が、またしても愛らしく、俺はもう我慢できそうになかった。
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