第31話 豊臣家の托卵
「秀吉様が愛した女性は多い。
北政所様をはじめ、公式に名のある側室だけでも13人。
非公式を含めれば……。もはや数えることすら叶いません」
換気口の小さな窓が笛のように鳴り、風の音がピューと聞こえる。
灯明皿の微かな明かりが揺れ、大野治長の真剣な顔を照らしていた。
「しかし……。子を成されたのは、茶々様のみお一人だけ。
これでは、不義密通を疑われても、無理はありません。
なにしろ、私は茶々様が産まれたときから、片時もお側を離れずに仕えてまいりましたから……。」
俺は自然と姿勢を正した。
緊張で背筋が伸び、豊臣家の闇を前に胸のざわつきを感じた。
「ですが、断言いたします。
私は、決して不義密通など行っていません」
断言する。大野治長は嘘をついていない。
この真っ直ぐな目が嘘をついているのなら、俺は騙されても構わないと思った。
「私は……ただ、種を蒔いただけに過ぎません」
「……うん?」
「出でた芽を、立派な苗に育て上げられたのは、秀吉様ご自身にございます」
「ええっと……。ごめん、もっと分かりやすくお願い」
もしかして、俺の文学力が足りないのだろうか。
大野治長は、粋な比喩で前言をあっさり撤回してきたようにしか思えず、俺はただ戸惑うばかりだった。
「私は、衆道をもっぱら嗜んでおります」
「……えっ!?」
さらに間一髪を置かず、衝撃の事実が明かされた。
断言する。大野治長は嘘をついていない。
この真っ直ぐな目が嘘をついているのなら、俺は騙されても構わないと思った。
だから、俺は正座のまま両手を突いて身体を持ち上げ、大野治長からわずかに距離をとった。
「茶々様、初様、江様の三人は、なかなかのじゃじゃ馬でございました。
私は毎日のように振り回されておりました。
特に、初様はいたずら好きで……。
ああっ、忘れもしません。あれは、私が八歳の春のこと……。流行ったのでございます」
「流行った? 何が?」
そんな俺を見て、大野治長は苦笑する。
思わずの行動だったが、俺は失礼な態度をとってしまったと反省し、すぐに大野治長との距離を戻した。
大野治長の言う『初』と『江』とは、淀の方の妹たちのことだ。
戦国時代の英雄『織田信長』の妹『お市の方』の娘たちであり、幼少期から青春期にかけて激動の時代を過ごしている。
その影響もあって、淀の方も気が強い傾向があるが、『じゃじゃ馬』と称されるのも、無理はないかもしれない。
「どこで誰に聞いたのか分かりませんが……
突然、背後から股間を思いっきり蹴り上げられました」
「ええっ!?」
「当然、私は悶絶し、その場に蹲りました」
「……だ、だろうね」
しかし、『じゃじゃ馬』が過ぎる。
同じ男として、俺は思わず顔を引きつらせ、正座の上から股間を両手で押さえた。
「初様はそれが面白かったようで……。」
「ま、まさかっ!? ……は、流行ったって言うのは?」
「はい……。茶々様も、江様も真似るようになりました。
忍び足で近づいては後ろから蹴り、話している最中に正面から膝で打ち、私が寝ているなら踏みつける」
「えぐっ……。」
大野治長は語りながら、当時を思い返しているのだろう。
顔は真顔のままだが、その目は遠くを見つめ、どこか虚ろだった。
「それが、一ヶ月近くです」
「一ヶ月もっ!?」
「ひと目のないところでございましたからな。
妙に怯えていた私に、お市様がお気づきになり、御三方をきつくお叱りくださらなかったら……。
私は、僧になっていたかもしれません」
もはや、ここまで打ち明けられたら、理解するしかない。
大野治長は、浅井三姉妹によって性癖を歪められ、衆道に走ったのだ。
俺だって、一ヶ月もの間、大事なところを狙われ、片時も油断できなかったら、絶対にそうなる。
よくぞ、淀の方の側近でいられ続けたものだと、感心さえした。
「それで……。衆道に?」
「はい、女ではどうしても駄目なのです。ぴくりともせず……。」
「奥さん、いるよね? 子どもだって……。」
だが、疑問が残った。
大野治長には妻もおり、子どももいることを、俺は知っている。
問わずにはおれず問うと、大野治長は視線を俺に戻した。
「秀吉様の知恵を真似ました」
「……と言うと?」
「まずは、秀吉様と茶々様が睦まじくされるのを……。
私は、襖の向こうからそっと拝見いたし、気分を高め……。
ああっ! 今でも鮮明に覚えています!
さすがは乱世を駆け抜け、天下人になったお方の……。あの、しっ……。背中っ!
まさしく、天下の風格でした!」
「今、絶対に『尻』って言いかけたよね? いや、続けて」
ところが、それは束の間だった。
大野治長は語りながら、当時を思い返しているのだろう。
明かりの赤を帯びた頬をさらに紅潮させ、鼻息をフンフンと荒くしていた。
たまらず、俺は顔を引きつらせた。
今更だが、大野治長も、法則『俺の顔見知りは脇役』に当てはまっていた。
大野治長は大学時代の『先輩』だ。
最初はアルバイト先で知り合っただけの関係だったが、過去問を提供してくれたりと、在学中は色々とお世話になった。
卒業後も有名商社に入社し、俺より忙しい日々を送っていたにもかかわらず、たまのサシ飲みや、年に一度の旅行に誘ってくれることもあった。
大野治長が同性愛者であるように、先輩もまた同性愛者で、もしかすると俺のことが好きだったのかもしれない。
それが本当だとするのなら、心から申し訳ないことをした。
俺は風呂上がりを全裸で過ごすのが好みで、その姿を何度も先輩に見せていた。
先輩が苦笑しながら顔を背けていたのも、何度も見ていた。
「私が、高みに至る寸前、合図を送ります。
秀吉様は、茶々様をうつ伏せにさせ、その上から布団をかけられます。
そして、私が……。秀吉様の千成瓢箪を目にしながら、ひと突きです」
「上手いこと考えたもんだなー……。」
「どうしても子どもが欲しかった秀吉様にとって、私は……。都合が良かったのでしょうね。
茶々様の側近で、女は駄目。
口外はもちろんのこと、茶々様に横恋慕など、決していたしませんから」
「なるほどー……。」
それはさておき、天下を取った豊臣秀吉の奸智には、さすがと称賛するほかない。
小早川秀秋自身がそうであるように、戦国時代では養子縁組が当たり前の常識だ。
種がどうであれ、閨での密事を知る者を限りなく限定するなら、それはもはや自身の子どもと等しい。
ましてや、大野治長の密事の参加は、最後の最後だけ。
豊臣秀吉が最後までお膳立てをしているのだから、自分が子を成したという思いは、より強いだろう。
「それと、重要なことでございますが、茶々様はこの件をご存知ありません」
「いやいや、さすがに気づいているよ。
女を馬鹿にしすぎだって……。ひと突きと言っても、何度も受け入れていたら分かるよ」
しかし、続いた言葉には頷けなかった。
俺は肩をすくめ、軽く呆れ笑いを漏らした。
「いえ、二度だけですから」
「えっ!? えっ!? えっ!?
つまり……。亡くなった鶴松様も、秀頼様も、たった一度で?」
だが、さらに続いた言葉に驚愕した。
その意味を理解すると、俺は思わず息を呑み、目を大きく見開いた。
世の中には、子どもを授かれず苦労している夫婦が多い。
豊臣秀吉がまさにそうだ。
恐らく、大野治長以外にも、食べ物や祈祷など、ありとあらゆる手段を尽くしたに違いない。
「女は駄目でも、百発百中のようで……。
うちの奥も、一度だけで四人。それもすべて男……。ははは……。」
大野治長はふっと息を吐いた。
遠い目をしながら、自嘲めいた乾いた笑みを零す。
「天は二物を与えずってやつか……。」
しかし、俺は素直に大野治長を尊敬した。
彼自身がその能力を望んでいなくとも、男として、いや雄として、尊敬せざるを得なかった。
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