第9話 松尾山の鉄砲水




「うん、その通りだ。だから、今は攻めるべきだ」

「「えっ!?」」



 舌の根も乾かぬうちに、前言をひっくり返すちゃぶ台返し。

 石田三成と大谷吉継は、驚きの表情を突き出したまま茫然とした。



「岡崎城を取るんだ。

 でも、岡崎城だけで十分。それ以上は要らない」



 そこへ俺が補足の言葉を加えると、大谷吉継は目をハッと見開き、息を呑んだ。

 


「なるほど……。岡崎城だけなら、今の戦力でも容易い。

 そして岡崎城は、家康が生まれた故郷とも言える城。心を折るのですな?」

「そうだ。心さえ折れてしまえば、あとは交渉でどうにでもなる。

 兵を損なわず、手に入れる方法があるのなら、そっちを選ぶ方が得だろ?」

「でしたら、小田原まで欲しいですな」

「逆でも良いんじゃないか?

 江戸を貰って、岡崎を返す方が、後々で楽になるぞ?」

「くくっ……。家康がどちらを選ぶか、今から楽しみです」



 石田三成は、俺たちの会話に付いていけない様子だ。

 俺と大谷吉継が言葉を交わすたびに、石田三成は茫然とした表情を交互に向けるだけだった。


 未来を見ず、目の前のことだけを追い、家康との継戦を強く望む。

 やはり三成は歴史が評する通り、能吏としては優秀でも軍略には疎いらしい。



「お、お待ちを! お、お待ちを!

 ひ、秀忠の軍勢と合流して、もし家康が攻めてきたら、どうするのです?」

「「いや、それはない」」



 それでも懸命に食らいついてくる石田三成を、俺と大谷吉継はあっさり一蹴する。

 偶然にも、声も言葉もぴったり揃い、大谷吉継は無言で小さく頷き、目線で『どうぞ』と促してきた。


 どうやら、俺は大谷吉継と妙にウマが合うらしい。

 話しているだけで不思議と楽しく、俺も無言で小さく頷き、譲られた説明役を担う。



「断言する。家康は攻めてこない」

「……なぜです?」

「もし、その気があるなら、浜松城まで退いていない。

 籠城戦を行うなら、矢作川がある岡崎城の方が格段に守り易い。留まっていたはずだ」

「しかし……。」

「たとえ、軍を送ってきたとしても、その数はせいぜい申し訳程度だろう。

 要するに、家康はもう守りに入っているんだよ。

 本当は駿府城まで退きたいんじゃないかな?

 駿府城も安倍川があって守りやすく、いざとなれば天下の険『箱根』もある。

 少ない供回りだけ連れて逃げれば、俺たちは絶対に追いつけない。

 だけど、家康は自分の敗北を認めたくない。その気持ちが浜松城に……。んっ!? どうした?」



 ところが、一言二言と話を重ねるうちに、大谷吉継が目をきつく閉じ、肩をブルブルと震わせ始めた。

 持病による体調不良かと危ぶみながらも、顔は石田三成に向けつつ、視線は何度も大谷吉継にチラチラと向ける。


 すると、大谷吉継は唐突に額を畳に押し付け、土下座した。



「この大谷吉継、秀秋様に心からお詫び申し上げます!

 もし命をお望みなら、今ここで腹を切ってお見せします! どうぞ、お申し付けください!」

「……え、ええっと?」



 いきなり謝られて、俺は戸惑うほかない。

 それも、俺の判断ひとつで命を差し出すと言うのだから、その戦国時代の感覚には思わず引いてしまう。



「正直に申し上げます! 私は秀秋様に二心ありと疑っておりました!

 愚かにも、秀秋様が松尾山を下りるその瞬間まで、家康と通じていると考えていたのです!

 たとえ通じていなかったとしても、我らと家康を品定めしているのだとも思っておりました!」



 挙げ句の果てに、その告白が正鵠を射ているのだから、顔の引きつりを止められない。


 もし、俺というイレギュラーがあの瞬間に覚醒していなかったら。

 俺が知る歴史通り、小早川秀秋は東軍に寝返り、関ヶ原の戦いは家康の勝利で幕を閉じていたことは間違いない。


 その結果、大谷吉継はすでに亡くなっており、石田三成もあと数日で命を落とすことになる。



「お、おう……。」



 そう考えると奇妙な感覚に襲われるが、今はそれどころではない。

 俺は言葉を必死に探しても見つからず、苦し紛れに合いの手を返すと、大谷吉継は勢いよく頭を起こした。



「しかし、それは誤りでした! 秀秋様は、ただただ機を待っていただけ!

 家康の首を討つという大望を胸に秘め、我らの苦戦を敢えて見守る!

 さぞ辛かったでしょう! 苦しかったでしょう! もどかしかったでしょう!

 そうでなければ、あれほど我が身を顧みず、先陣を切ることなどできません! お見事でございました!」



 泣いていた。大の男が、涙をハラハラと流していた。

 まさかまさか、俺は違うとは言えず、今度は合いの手すら返せなかった。


 

「然り! 然り、然り、然り!

 あの徳川の本陣を真っ二つに割った『松尾山の鉄砲水』は、まさに爽感でございました!」



 気づけば、石田三成も涙をハラハラと零して泣いていた。

 思わず目をギョッと見開くが、その言葉の中に引っかかる単語を見つけ、二人に右手を差し出しつつ、話題転換をこれ幸いと図る。



「待って! ちょっと待って!

 松尾山は分かるとして……。鉄砲水って何? 話からすると、俺のことだよね?」



 松尾山の鉄砲水、それが漠然と俺を指しているらしいことだけは分かった。

 ひょっとして、二つ名のようなものだろうか。失ったはずの厨二心が、くすぐられる。



「おや、ご存じないのですか? 今や盛んに語り草になっていますよ。

 誰が最初にそう呼んだのかは分かりませんが……。

 秀秋様の姓、小早川。これを川になぞらえて、あの鮮やかな一騎駆けぶりを『鉄砲水』と讃えているのです」



 そして、その予想は正しかった。

 石田三成が涙を着物の袖で拭いながら解説してくれた。



「へぇぇ~~~……。」



 俺は興味がない素振りを努めようとするが、どうしても口元はニマニマとにやけてしまう。


 この一週間、本当に多忙だった。

 営業マンだった頃と比べれば、電車や飛行機といった移動がない分だけ気楽ではあったが、この岐阜城の城主屋敷に詰めっきり。


 現代なら、パソコンで入力してプリントアウト。

 二度目からはテンプレートを使って時間を短縮できる書類も、ここではいちいち手書きしなければならない。


 起床、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、雪、就寝、の繰り返し。

 本来なら雪の実家へ挨拶に出向くべきところも、時間がなく、わざわざ雪の両親にこちらへ来てもらったほどだ。


 顔を合わせる面子は、必然的にほぼ固定されている。

 二つ名について、誰も教えてくれなかったし、みんな忙しいから知らないのかもしれない。


 もし稲葉のおっさんが知っていたら、いの一番に嬉々として教えてくれそうだ。

 そうなると、石田三成が言う『盛んに』というのはお世辞なのだろうか。鳴海城だけでの流行なのだろうか。


 駄目だ。松尾山の鉄砲水、その格好良さにニマニマが止まらない。

 頬を右手で押さえて口元を完全に隠し、目だけは鋭くして威厳を保つ。



「ですが、秀秋様もお人が悪い。

 今まで才を隠しておられたとは……。まるで別人のようでございます」



 だが、石田三成の続いた言葉に、笑みは瞬時に凍り、心臓が痛いほどドキンと跳ねた。



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