第17話 北条民雄の死
北条民雄こと七條 晃司は昭和十二年十二月五日、現在の国立療養所多磨全生園で亡くなりました。死因は腸結核であり、ハンセン病(癩病)の進行ではありません。二十三歳の若さでした。
十九歳にときに徳島の地にて癩病と診断されると、既に妻となっていた女性と破婚します。この女性に関してはまったく判っていませんし、今更、特定する必要はございません。
北条民雄は現在の東村山市青葉町4丁目1番地にある全生病院にて三年とわずかな時間を強制収容という形で隔離生活を送りました。その傍ら執筆活動に専念しています。
代表作に『命の初夜』があり、第3回芥川賞の候補作品となり、前年には第2回文學界賞を受賞しました。
川端康成氏に自身の書いた原稿を送り、構成や添削を頼んだことがきっかけで交際が始まり『癩文学』という、それまでなかった作風を確立しました。(癩文学は昭和の末期まで引き継がれていきました)
北条民雄が亡くなると全生病院内にて火葬、ささやかな葬儀がおこなわれ、川端康成氏の姿、実の父親も和歌山県からおいでになられました。
この時のことを綴った小説が川端康成著 『寒風』ですが、個人を特定できぬよう性別を逆にしていますし、出身地が悟られぬよう執筆されています。
徳島より実父が来訪して遺骨を故郷へ持ち帰っていますので全生園にある納骨堂に彼の遺骨はございません。
私、いしかわもずくが書いた『屑になりたい』の登場人物の固有名詞はすべて国立療養所多磨全生園に昭和期にいらっしゃられた患者さまのお名前を使わせていただきました。当然ながら偽名であり本名は判りません。
仲田徳次郎氏、大石惠介氏、山岸源一氏、と志子(清水と志子)氏のご冥福と、あの当時の未熟な筆者に優しく接していただいた事に40年の歳月を超えて感謝致します。
著者 いしかわもずく
屑になりたい 〜ハンセン病患者だった北条民雄の書簡〜 いしかわもずく @ishikawamozuku
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