第11話 エルフの姫、初めての恋

 リリィには新たな悩みが生まれていた。

 最近、どうにも居心地が悪いのだ。

 学人と六畳一間の狭いアパートの一室で暮らし始めてから、それなりの期間が経過していたが、共同生活に不自由を感じたことなどなかった。

 

 それなのに最近は、小さな布団で学人と一緒に眠る時、リリィの心臓の鼓動は毎日どきどきと早くなる。

 その鼓動がうるさくて、なかなか眠れないのだ。

 "一緒に寝ればいいだろう"などとあっけらかんと言ってのけた数月前の自分が信じられなかった。

 ――それどころか、"一緒に風呂に入ってくれ"とも言っていた気がする。

 全くもって、自分で自分が恐ろしい。


 当の学人はといえば、RPG知識の結集のため、昔のゲームを引っ張り出してはノートに書き記すことを繰り返していた。

 ゲームのみならず、漫画やアニメも参照しているようで、忙しそうに机に向かっていた。

 しかし、その合間を縫って、何やらスマホで調べ物をしている様子もしばしば見受けられた。

 

 リリィはその真剣な横顔を見て、また胸の辺りが苦しくなるのを感じた。


 ――リリィも、自らの責務に励まなくては。


 ざわつく胸を必死に落ち着かせ、リリィも机に向かう日々が続いた。


 そんなある日のこと。

 リリィが目を覚ますと、隣に学人はいなかった。

 珍しく早起きしたらしい。

 そして、洗面所から出てきた学人は、なんと、スーツを着ているではないか。


「マナト!? その格好は……?」


 学人はぎくりとした顔をした。


「……あー、見つかっちまった。……バイトの面接、行くんだよ。落ちたらカッコ悪いから、受かるまで隠したかったのに」


 ――マナトが……バイト? 何故またこのタイミングで?


 リリィの頭の中に浮かんだ疑問は、そのまま表情に出ていたようだった。


「結界魔法使って以来、魔力回復できてないだろ。その姿じゃ、もうバイトもできないだろうし。……リンゴ買う金、俺が稼ごうかなって」


 本当はそれだけではなかった。


 "少なくともリリィにとっては、マナトはこのアキハバラで最も勇気ある人間じゃ。今こうしていられるのも、マナトの勇気と機転のおかげにほかならぬ"


 リリィの言葉は、卑屈な劣等感が影を落とす学人の心に灯りを灯した。

 その変革の灯火を、学人はもう見て見ぬふりはしなかったのだ。


 リリィも彼の表情を見て、以前のように"恩人に施しを受けるとは……"などと無粋なことは言わなかった。

 スーツ姿で玄関に立つ学人の手を、ありったけの祈りを込めて握りしめ、いってらっしゃい、と優しく送り出した。


 玄関のドアが閉まった途端、リリィはその場にへたり込んだ。


 ――スーツ姿のマナト、……格好良かった。


 学人の踏み出した記念すべき第一歩に抱くべき感情がもっと他にもあるだろうに、そんな浮ついた感想が一番に浮かんでしまった。

 リリィは自分に喝を入れるかのように、自らの頬を軽くぺちぺちと叩いた。

 しかし、どんなに頬を叩こうと、もう自分に芽生えたこの感情を誤魔化すことは出来なかった。


 ◇


 帰ってきた学人は、満足げな顔をしていた。

 面接に行った近所のスーパーからは、その場で採用がもらえたらしい。

 何より、その一歩を踏み出せた自分を肯定してやりたい気持ちだったのだろう。


「おめでとう、マナト。……実は、マナトを労おうと、酒を買いに出たのだが……子供には売れぬと断られた。もう成人していると何度も言ったのだが」


 しょんぼりと下を向くリリィの頭を、学人はぽんぽんと優しく撫でる。


「ありがとう、気持ちが嬉しいよ。酒のストックはあるから……リンゴジュースで、乾杯しよう」


 リリィはそのぽんぽんに一瞬胸をときめかせたが、すぐに冷静になった。


 ――マナトの性格上、これは、完全に子供をあやしているときのやつだ。


 改めて自分の身体をよく見る。10歳そこそこの子供の姿。

 この姿の娘を、大人の女性として扱う方が不自然だろう。

 リリィは初めて、幼くなった自分の姿を憎らしく思った。


 一方の学人は上機嫌に見える。

 呑気に鼻歌を歌いながら、宴の準備をしていた。


「「乾杯!」」


 ビールとリンゴジュースで、二人は祝杯を挙げた。


「よし、これからいっぱい稼いで、リンゴたくさん買ってやるからな! 元の世界に戻るまでもう少しの辛抱だぞ、リリィ」


 学人は珍しく、ビール1杯でほろ酔いの様子だった。上ずった気分がそうさせたのであろう。

 相変わらず上機嫌で、またリリィの頭を撫でてきた。


 今度はリリィの胸は高鳴らなかった。

 名残惜しさを滲ませない、けろりとした学人の口ぶりに、胸が痛むのを感じた。


 魔力が回復し、魔法開発も終われば、元の世界に戻る。

 それが当初の目的で、二人は今まさにそのために頑張っているところだ。


 ――でも、まだ帰りたくない。


 リリィはその時初めて明確にそう思った。

 それは、アストリアの王女として、抱くべきではない感情なのだろう。

 浮つく自分の思考に少し嫌気が差し、持っていたリンゴジュースをぐいと一気に飲み干した。


 

 その夜も、二人は小さな布団で一緒に寝た。

 学人はのびのびと手足を広げ、寝息を立てている。


 ――最初は、あんなに縮こまっていたくせに。


 二人が一緒に暮らし始めた頃、とりわけリリィが年頃の姿であったときには、学人は布団の隅でダンゴムシのように固まって寝ていた。

 心臓の音こそ聞こえてはこなかったが、学人ががちがちに緊張しているのは嫌でも伝わってきた。

 今思えば、眠れていない様子の日もあったような気がする。


 それが今や、この様子だ。

 もうすっかり、リリィを意識してはいないということなのだろうか。


「……マナトのバカ」


 リリィは、だらしなく大口を開けて眠る学人の頬に人差し指をつんと突き刺し、小さく呟いた。


 ◇

 

 リリィが眠れぬ夜を過ごすその頃、異世界では少し動きがあった。

 ようやくリリィの居所を突き止めた何者かは、その手に持つ魔鏡パクトに現在のリリィの姿を映し出している。

 だらしなく眠る見知らぬ男の横で、小さな布団の端にちょこんと丸まっているその姿を見るや、その男はハッと息を呑み、颯爽とどこかへ消えていった。

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