第2話 やさぐれニート、エルフの幼女を拾う

 結城学人ゆうきまなと、24歳、ニート。

 性格、卑屈で引っ込み思案。趣味、酒と煙草。特技、……と言えるか分からないけど、ゲーム。

 

 「ゆうき」のくせに勇気もない。

 「学ぶ人」のくせに勉強もできず、大学受験には失敗し、宅浪とは名ばかりのニートに成り下がってしまったろくでなし。

 誰に言われたわけでもない。

 だが、彼は自分自身をそう評価していた。

 

 そんな思考回路は、彼をますます自暴自棄に陥らせ、いまや彼は、日中はゲームと煙草で時間を溶かし、毎日の晩酌が唯一の楽しみと言っても過言ではない、そんな自堕落な生活を送っていた。


 そんな自分がなぜ、あの日はあんな思い切ったことができたのか、後から振り返っても不思議でしょうがない。

 ひとまず答えとしては、その時は考えるより先に体が動いていた、というほかなかった。


「だ、大丈夫……ですか……?」


 たまの外出にぶらりと訪れた秋葉原の大通り。

 珍しく道路にできた人だかりを覗けば、その中心には薄汚れたローブを纏った幼女がいた。

 それを目にした瞬間、学人は思わずそう声をかけながら、手を差し伸べていた。


 その幼女は幼いながらに大層美しい顔立ちをしており、さらに珍しいことに、その耳は細く尖っていた。

 しかし、その幼女がエルフか人間かは、その時の学人にとってさしたる問題ではなかった。

 

 なぜこんな小さい子が、一人でこんなところに。

 こんな汚れた格好をして道路にしゃがみこんでいるなんて、何かあったのではないか。

 なぜ、誰も助けてあげないのか――。

 

 それだけが、学人にとって火急の懸念であった。


 学人に声をかけられた幼女は、じっと彼の瞳を見つめていた。

 その美しく澄んだ青い瞳には恐怖や警戒の色はないように見えた。

 そして、次の瞬間、その幼女は学人の差し出した腕にぎゅっと抱きついた。

 腕にうずめられた顔ははっきりとは見えなかったが、少し泣き出しそうな表情にも、安心した表情にも見えた。


 幼女は、まるで群衆から遠ざかるのを促すように、そのまま自身の身体で学人の身体をぐいぐいと押していた。


「……にほんごは、わかりますか?」

 

 明らかに日本人ではないように見えるが、一応、学人はゆっくりはっきりと問いかける。

 

「Hantanyel」

 

 学人の言葉を理解できないリリィは、自らの世界の言語で何かを伝えるも、二人の会話キャッチボールは全く成立していなかった。

 学人には、彼女が発した言語が一体どこの文化圏の言葉なのかすら、見当がつかなかった。

 とりあえず、なんとなく聞き取った語感を頼りにカタカナでスマホの翻訳に入れてみるが、「私はトマトです」などとふざけた文章が出てくるだけだった。


「まあ、そうだよな……。気休めだけど、とりあえず……っと」

 

 学人は、通りがかった本屋で、幼児向けの日本語教本を数冊購入した。

 そもそも意思の疎通すら取れない状況で、それがどれだけの意味を持つかは分からなかったが、自分にできることと言えばそれくらいしか思いつかなかったのだ。


 ひとまず帰路につこうと歩いていた学人の目は、不意に交差点の交番を捉えた。

 その瞬間、彼の額には冷や汗が浮かび始めた。

 

 ――冷静に、これって、幼女誘拐なんじゃ……? 俺、ロリコン犯罪者一歩手前か? 警察に届けた方がいいよな……。

 

 極めて一般的な思考回路である。

 むしろ、ここに至るまでの彼の思考が麻痺していただけだといえよう。

 学人は、慌てた様子で、相変わらず腕にしがみつくリリィと共に交番に足を向けようとした。

 しかし、何かを察した様子のリリィは、ぶんぶんと大きく首を振り、ますます強く腕にしがみついた。

 そして、交番とは反対の方向に学人の腕を引っ張っていた。

 

 学人は数秒葛藤したが、彼女の必死な瞳と腕にかかる圧に根負けし、小さくため息をついて、彼の自宅へと足を向け直した。


 ◇


 秋葉原の市街地エリアから歩いて15分。

 二人は、学人が一人で暮らす六畳一間の小さなアパートの一室に辿り着いた。

 その慎ましい部屋に、麗しい小さな客人に出すべき粗茶も粗菓子もないことに気が付いた学人は、リリィを部屋に残し、買い出しに出ようとしていた。

 

「えと……ゆっくりしててね。あと、この本。君のだから、読んでていいからね。あ、この漫画も」

 

 学人は、リリィに先ほど購入した日本語教本と、自らの書棚にあったエルフの登場するファンタジー漫画を手渡した。

 文字が分からなくても漫画なら。そして、自分に似ているエルフの出てくるものなら少しでも気休めになるかもしれない。

 そんな彼なりの配慮だった。


 学人は、近くのコンビニで、幼い女の子の好きそうな食玩やジュースを適当にカートに入れて、急いで自宅へ戻った。


「ふう、ただいま」

 

 通じるわけでもないのに、反射的にそう呟いてしまった。

 しかし、彼の挨拶には、予想外の返答があった。

 

「おかえりなさい、で、よいのだろうか。……お主、名は何というのじゃ?」

 

 つい先ほどまで、謎の言語しか発せなかったはずの幼女が、流暢に日本語を話している。

 ――しかも、さっき貸した漫画に出てくるエルフのような口調で。

 

「………………へっ!?!?」

 

「我が名は、リリィ=フィンディール。高貴なるエルフの大国、アストリアの王女である」

 

 当惑する学人を意に介さずそう名乗ったリリィは、先ほど街中で怯えていた幼女とは別人のようだった。

 その幼女は、あどけない瞳に大国の姫君の風格を漂わせ、目の前の男をまっすぐに見つめていた。

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