彼辞―影を綴るもの―

彼辞(ひじ)

第1話 白き煙の途切れるところ

雨は降っていなかったが、空気は濡れていた。会館の入口には、折りたたまれたビニール傘がずらりと並び、白い菊とユリの匂いが、誰の服にも移り香のように薄くまとわりついていた。直哉は、香炉の前に置かれた折り畳み椅子に腰をかけ、膝の上で手を組んだ。掌は乾いているのに、指の節だけが冷たかった。写真立ての中で、父と母は並んで笑っていた。どちらの目も、こちらの目より澄んでいた。


読経が始まる。僧の声は、天井の蛍光灯に反響して、しみだす光と一緒になって薄く広がった。香の煙が上へ上へと揺れ、途中で見えなくなる。見えなくなるところから先に、何があるのか、直哉は知らない。知る必要もないと、誰もが言うだろう。けれども、知らないことだけがこれから自分の中に残りつづけるのだと、うっすらと感じていた。


わたしは、その煙の切れる位置に立っていた。いや、立っているという表現も正しくはない。わたしには脚がなく、影もなく、しかし視線だけはある。見ることは、死後に残ったわたしの唯一の運動だ。書くことは、その運動の痕だ。わたしは書く。紙の上ではなく、空気の繊維と、少年のまぶたの裏に。


「――匂いが濃いね」と、女の声が後ろで言った。母方の伯母である。喪服の襟にほんのり香水を曇らせ、数珠を指の中で転がす癖がある。「まだ十二なのに、しっかりしてるわ」と、誰かが続けた。しっかり、という言葉を、大人たちはよく使う。大人の不安をうまく包むための、黒いティッシュのような言葉だ、とわたしは思う。


香典の整理、立て替えの計算、通夜の席の段取り。小部屋では、親族が低い声で出入りしながら、薄い紙の封筒を床に置いたり拾ったりしている。廊下の先で、アルミ缶が自販機の中で落ちる音がした。会館の壁時計は、秒針を飛ばさないタイプで、刻む音が妙に神経に障る。直哉は、背筋を伸ばすでもなく、縮めるでもなく、ちょうど痛くならない角度を探し当てるみたいに、じっと座っている。


わたしは、少年の横顔を見る。睫毛がわずかに湿っていて、窓の外の光を受け止めている。彼の視線の先には、作りものめいた生花の山と、その向こうの、立ち尽くす親戚たちの靴音がある。彼の耳に入る音を、わたしも一緒に聞く。わたしは死の側にいるが、音はまだ、生の側のものだからだ。彼の鼓動はおだやかで、しかし、ひとつ打つたびに、目に見えない小さな穴が胸の床を広げていく。


通夜の席が始まる。弁当の蓋がいくつも開き、小さな焼き魚が半分ずつ残されていく。紙コップの縁に、口紅が薄く移ったものが、テーブルの端に並ぶ。誰も食べきらない。食べることは、今夜の行儀の中で、一番むずかしい動作だ。直哉は、箸を持って米を少しだけ口に運び、すぐに箸を置く。彼の口の中に、味は入れない。味は、もうしばらくのあいだ、この家族の中で禁止されるべきものだから。


「今日は、こっちに泊まってもらうからね」と、伯母が言った。会館の裏手にある小さな和室には、畳の上に安物の布団が三枚並べてあった。三枚という数は、いつも何かを余らせる。直哉は端に寝かされ、隣に伯父、その向こうに伯母が寝た。壁には温度計がかかっていて、針は二十二度を指している。空調の吹出口から、乾いた風が細く落ちてくる。


目を閉じると、線香の煙がまぶたの裏に白い線となって残る。すぐに消えるが、消えた後も、消えたかたちのまま残る。彼は、母の手の甲にあった小さな傷を思い出していた。炊事のときに包丁でひっかけた傷だ。父の時計のガラスについた小さな欠けも思い出す。それらは日常の瑕疵だったが、今は、写真の中の完璧な笑顔よりも現実味がある。


わたしは、彼のまぶたの裏に近づく。ここは、声ではなく、書きやすい場所だ。音よりも、線だ。わたしは一本の線を引く。細く、そして、見えない。見えないから、彼は目を開ける。開けると、天井と蛍光灯の輪郭が見える。線はそこにも繋がっている。彼は、枕元の小さなパンフレットを手に取った。会館の地図と、火葬場までのバスの時間が書いてある。その余白に、うっすらと、鉛筆の削りかすのようなものがまとわりついている。


――きこえる?


彼は、声に反応するように首を傾けたが、耳には何も触れない。余白のところに、もう一度、わたしは書く。たった一言。こんにちは。墨ではないし、鉛筆でもない。紙の繊維が、湿気の形を変えるだけだ。少年はまばたきをした。湿った繊維は、彼のまばたきの流れで、ほんの少しだけ筋を変え、あいさつの形をつくる。


彼は、パンフレットを閉じる。閉じることで、そこに生まれたものごとを、いったん元の暗さに戻す。伯父が寝返りを打ち、畳が小さく鳴った。夜は長く、しかし、葬儀の夜はさらに長い。時間は、香の棒の長さで測るしかない。一本が終わるまでの時間は、誰にとっても同じ速度で燃える。だから、ここにいる誰もが、同じ時間の中にいるふりができる。ふりは、救いになることがある。


朝。告別式。入口の記帳台には、新しい筆ペンが置かれ、黒い鞘が床に落ちていた。受付の若い男が、何度も頭を下げる。直哉は、その動作のなめらかさを見る。なめらかな動作は、反復によって獲得される。反復は、悲しみよりも強い。悲しみは、反復の前で形を変え、やがて見分けのつかない別のものになる。


焼香の列。少年は、順番に名前を呼ばれるのを待つ。誰かが彼の肩を軽く押す。前へ、と。父と母の写真の正面に立つと、視線は写真に吸いこまれる。生花の香りの奥に、うっすらと別の匂いがある。冷蔵庫の奥の匂いに似ている。冷たい場所の匂いだ。彼は、香をつまみ、火にかざし、額の前に持っていく。額の前で、何を思えばいいのか、彼はまだ知らない。


わたしは、額の前で、彼の思わないことを思う。父の胸ポケットのボールペンの位置。母の指に残った洗剤の匂い。車のダッシュボードの上に置かれていた小さな人形。事故が起きたとき、それらはどこにいったのか。誰も、それを葬儀で語らない。語られないものだけが、ここでは真実に近い。


告別式が終わると、バスの時間が来る。火葬場行きの小さなマイクロバス。窓はくもっていて、誰かが指で円を描いた跡が残っている。座席の布は少し湿っており、車体の振動が椅子の背から背骨へ、背骨から頭へと伝わる。運転手のラジオが、小さな声で交通情報を流す。耳に入らない。耳は今、別の場所を向いている。


火葬場の敷地に入ると、空がわずかに明るくなった。建物の壁は淡い灰色で、滑らかだった。案内の職員は、静かな声で段取りを説明する。その静けさは、ここで働く人々の筋肉に沁みている。直哉は、言われるとおりに歩き、言われるとおりに座る。白い箱が、奥へ運ばれていく。扉が閉まる音は、想像よりも軽かった。軽い音のほうが、たまらない。


待合室。紙コップのコーヒー。砂糖を入れる人と入れない人。窓の外では、低い木が風で身じろぎをしている。壁際に置かれた古い観葉植物の葉先が茶色くなっていた。誰かがスマートフォンを見ている。通知の音は、ここでは出ない。音はしないが、光が手の中で広がる。それは、人の顔に小さく映っては消えた。直哉はコーヒーを飲まない。熱いものは、喉の形を変えるから。


電光掲示板に数字が点った。案内の声。骨上げの部屋へ。箸は長く、木の感触は乾いている。直哉は伯父と向かい合って、白い欠片を二人で持ち上げる。欠片は、軽い。軽さは、裏切りだ。重さを期待している身体に、軽さは容赦ない。彼は、一つ一つ、指示された順に拾い上げる。足から、膝、腰、胸、のど、頭蓋。のど仏という言葉が、今日ほど具体的に重みを持ったことはない。けれどもやはり、軽い。


わたしは見ている。見ているだけだ。欠片の表面に、焼け跡の模様がある。模様は、配られた紙コップの縁のギザギザと同じくらい現実的だ。わたしは書く。少年の視界の端に、短い言葉を置く。「まだ、ここにいる」。彼が気づくかどうかは、わたしの務めではない。わたしの務めは、置くことだけだ。


骨壺に蓋がされ、白い布がかけられる。会館に戻るバスの中で、伯母は「今日はありがとうね」と言った。誰に向けての言葉なのか、彼女自身も曖昧にしておくことを選んでいる。曖昧であることは、今日に限って礼儀だ。直哉は頷く。頷きは、言葉の代わりに使える最小限の動作だ。彼はそれを、忘れないうちに覚える。


会館に戻ると、控室に小さな段ボールがいくつか積まれていた。形見分けというには、早すぎる箱。中には書類と、母のエプロン、父の名刺入れ、鍵の束。鍵は、もう開けるべき扉を持っていない。けれども、鍵であることをやめない。鍵であることをやめない物たちは、この先しばらくのあいだ、少年の部屋の隅で、眠りもせずに音を立てないでいるだろう。


夕方、伯母が言う。「明日ね、澪ちゃんが迎えに来てくれるから」。直哉は顔を上げた。澪、という名は、遠い親戚の中で一度だけ耳にしたことがある。年上の女の人で、長野の大学に行った、と。家を出た、と。親と少し揉めた、と。どれも、断片だ。断片は、いつか線になる。線は、誰かの人生を引っ張っていく。


わたしは、彼の耳元にさらに近づく。空気の湿り気が変わる。蛍光灯がジジ、と小さく鳴った。パンフレットの余白に、わたしはもう一度、書く。今度は、挨拶よりも長い。「はじめまして。わたしは、あなたがまだ口にしない言葉です」。彼は、眉間に小さな皺を寄せる。読めないものを読む顔。読めないものは、たいてい、先に身体が読む。


夜。線香は、また同じ速度で燃えはじめる。伯父は鼾をかき、伯母は寝返りを打つ。和室の外の廊下では、冷蔵庫が時折うなり、小さな氷が落ちる音がする。直哉は、布団の中で、鍵の束が入ったビニール袋の音を想像する。袋は鳴らない。しかし、鳴らない音を想像することはできる。想像の音は、現実よりも早く届く。


――怖くないよ、と、わたしは書く。怖くない、という言葉は、怖さを完全に否定しない。否定しない言葉は、身体に入りやすい。「どこにいるの」と、彼は声に出さずに訊いた。訊くという動作は、声の有無に関わらず成り立つ。わたしは、天井と、床と、彼のまぶたの裏と、彼の喉の奥に、同時にいる。「見ているだけ」と、わたしは言う。言う、というよりも、書く。書いた文字が、彼の喉を通って、胸に沈む。


明日の朝、長野の方から来る女が、少年を連れていく。彼女はまだ大人になりきれない顔をしているだろう。目元に、眠りの不足ではなく、場所の不足が影をつくっているだろう。彼女と少年の間に、わたしは薄く差しはさまる。手紙の間に挟む、押し花のように。押し花は、手紙の内容を変えない。けれども、紙の匂いと手触りを変える。


わたしは、ここで一行を足す。彼の未来の余白に。「行こう」。行くことは、今のところ、座標を変えるだけの意味しか持たない。けれども、座標が変われば、悲しみの形も変わる。変わらないものは、まだ何もない。変わらないまま在りつづけるのは、たぶん、わたしだけだ。わたしは、死者としての静けさで、彼らの歩幅を測る。香の煙が天井の途中でほどけるように、二人の行き先は、ほどけて別の線になっていくだろう。


今夜、少年は眠る。眠りは小さな死だ、と誰かが昔、わたしに教えた。小さな死は、大きな死の練習にはならない。けれども、眠りの縁で人は、言えなかった言葉に手を伸ばすことがある。彼の手は、そこに届かない。届かないことが、今は正しい。わたしは、彼の届かないところに、静かに文字を残す。朝になれば、文字は霧のように薄くなり、彼の体温に混じる。彼はそれを読み取れないが、読み取れないものに導かれて、バスに乗り、知らない女の車に乗り、山の方へ向かう。


会館の外は、夜の真ん中を越えていた。自販機の明かりだけが、祝祭の残り火のように孤独で、そこへ虫が集まる。ドアのガラスに映る直哉の影は細く、肩が少し上がっている。彼は背伸びをしない。背伸びは、ここでは礼儀に反する。わたしは、彼の影の縁をなぞる。影は、所有者が眠っているあいだ、誰のものでもない。だから、少しだけ借りる。


明日の朝、伯母はまた同じ言い方で告げる。「澪ちゃんが迎えに来るから」。同じ言い方は、ちいさな橋になる。橋は渡るためにある。わたしは橋の下の水を見る。水は、何も映さないふりをして、すべてを下へ運ぶ。運ばれていくものの中に、少年の未使用の言葉たちが混じっている。未使用の言葉は、いつか別の場面で拾われ、彼の口から出ていく。ときどき、彼の口ではなく、わたしの手から出ていくこともある。彼が眠っているあいだ、わたしは、彼の代わりに世界の余白へ、短い注釈を書き足す。注釈は本文にならない。けれども、本文の読まれ方を変える。


線香が尽きる。尽きる音はしない。煙が薄くなると、わたしはまた、見えない位置へ下がる。見ることをやめないために、いったん、書くことをやめる。夜は、わたしたち三者に均等ではない。死者は眠らず、少年は眠り、女は眠るふりをする。眠るふりをすることは、彼女が明日、大人のふりをする準備になる。ふりは、救いになることがある。救いは、明日、長野へ向かう車の中で、少しだけ形になる。今はまだ、香の煙の切れるところにしか、見えない。

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