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「幸か不幸か、君はまた命拾いしたね。今度はどこを換装したと思う?」

 まず、指を見る。爪を合わせてみると、どうやらそれはセラミックでできているらしい。手を握って、開く。その方向の動きだけでなく、左右にも少しの遊びがある。覚えている限りではあと、静脈の位置が違う。

 これは精巧に作られた義体だ。皮膚もきっと私のオリジナルを培養したものだろう。それで内側の機械組織を拒絶しないなんて、すごい技術の進歩だ。

「右と…… 左の腕も換装したんですね。これは、えっと…… 私の、残った肉体を数える方が早いんじゃないですか」

「察しがいいな。何か…… 感覚に違和感はないかね? それが重要だ」

「……吐息が乾いてる。乾いてて…… それと…… 熱い。頑張ってるCPUを冷やした排気みたいだ」

「言い得て妙だな。それはまったく正しい」

「……言い間違いでは?」

「君の身体は頭から爪先まで機械化されたよ」

 思い出せ。目を覚ます前からの記憶。何があったか思い出せ。最初の義体化を受け入れたのは小学生の時だ。あれは事故でだめになった右脚と腎臓だった。きっと今回も何かあったんだ。

 ……思い出せない。覚えている最後の記憶では、私はこの研究所で、今目の前にいるシュミット先生に連れられて…… 頭部だけじゃない。全身をでっかい機械に入れて、何十分もスキャンしていた。そのとき私は…… 義体を含めて五体満足だった。

「……ああ、覚えてないわけだ。私は電脳化されたんでしょう。先生」

「素晴らしい。エフ…… エヴリンはもともと頭が良かった」

「つまり私の記憶はイヴリンをそのままスキャンしたときのコピーだ。だからスキャンの後でイヴリン…… 私……の、生身? に何が起きたかなんて知らないんだ。経験してないんでしょう」

「概ね正しい。君はアンドロイドとして生まれ変わったというわけだ」

 気が動転している。別にショックではない。単に義体化が完成しただけのことだ。いやそれを実現するまでの、開発経緯なんかには興味がある。むしろ私についてではなく技術の方でショックを受けた。

「いや、生きる楽しみができて良かった。先生、どうやって私が…… 私の身体ができあがったんです?」

「それについてはまだ答えられない。発表するなと言われていることが山ほどある。今までの義体化でも、そういうことがあったろう。今回は量が多いんだ」

「オリジナルはどうなったんです?」

「……仕事の途中で撃たれて死にかけている。一応保存されているよ」

「会えますか」

「先を急ぎすぎだよ。まず身体と認知機能の検査をする。その間にじっくり、会うかどうか考えるといい」

「先生」

「ん」

「この皮膚は誰のです? あまりにもリアルだ」

「誰のものでもないよ。誰かの天然物にでも貼り付けない限りはどこにでも癒着する皮膚さ」

「全部機械化するなら肌もそうすればいい」

「センサーを持つシート状の素材としては培養された皮膚が一番安くて確実なんだよ」

「確実って?」

 恐る恐るに椅子から立ち上がってみる。恐れることはなかった。せめて少しでもふらついたり力の入れ方を間違ったりすると思ったが、実にあっさりと、私の新しい身体は直立を保ってみせた。

 頭から爪先まで、末端から中枢神経まで、何もかもが人工物に置き換えられた。ああ素晴らしい、立ちくらみなんて初めからなかったみたいだ! たった今目覚めたばかりなのに!

「こちらが神経を用意して近づけてやれば、勝手に繋がってくれる」

「拒絶反応は?」

「実際には誰かの皮膚というわけじゃない。あまり聞かない方がいいと思う」

 面白い。廊下でシュミット博士の背中を追いかけながら身体のあちこちを動かして、観察した。全て完璧に、もとの身体よりちゃんと動いているように見える。全てが人工物なんだから、どこも拒絶反応なんて起きやしない……

「気味の悪い素材ってわけですか。別に平気ですよ」

「カビが元になっているんだよ。癒着というより、菌糸を伸ばしてる」

「聞きたくなかった」

 私に残された最後の生体は菌だった。……それは私なのか? まあ、他の全ての部位…… 私という何か、連続した意識という私を収めている電脳を含む全ての部位のうち一つでも私というなら、全て私であり、この菌糸とそれに乗っかった感覚受容体もまた私だ。

「何に対してであれ、もう少し狼狽えると思っていたが」

「なに、事故で拾われて義体化させられた時と同じですよ。少しだけ生きやすくなった気がして、もう少し生きようと思える。少なくともこの瞬間は」

「自己の連続性に関して、何ら検査する必要もなさそうだ」

「どういう意味っていうか…… 何を見てそう感じるんです?」

「君は今も昔もそういう人だってことだ」

「ふむ…… つまりやっぱり今眠ってるオリジナルの私は、撃たれた後、諦めがついたんですかね。やっと死ねるって」

 きっとそうなんだ。だとしたらやはり、今この瞬間には落胆もするべきなのかもしれない。もし撃たれて、やっと死ねると思ったということを今の私が憶えているのだとしたら。死ねると思ったのに、また目の前に少しの希望をちらつかせられて、やっと下ろした重い腰をまた上げねばならないのだから。人生に希望を見出してしまうと、いつもそう思って、少しだけ面倒臭い。

「それで今、君はまた生きねばならなくなったことを直視して面倒臭いと思う」

「よくおわかりで」

「四回目の面接で君が言ったことだ。あれから何年になる?」

 見慣れない廊下だ。今Hilde Schmidtと書かれた表札を通り過ぎた。壁に染みついた特有のヤニの臭いがする。汚い部屋だった。黙ってついてきていた若い男がそこで先生に声をかける。

「シュミット先生、吸いきらないんですか」

「いい。そのまま置いておくよ。半日は放置しても問題ない」

「ニコチンに抗う理性があったなんて」

「理性とやらを引き合いに出す必要はない。理性を効かせたと思えるときは、単純に何かに忙しいときだ」

 男の名札には『田中 久』とある。

「えっと、田中さん? 初めまして…… だと思ってるのは私だけか。私は――」

「イヴ。最初のアンドロイドに相応しい名前だね」

「えー、まあ、そう。イヴ。私がイヴなら、アダムはどこに?」

「アンドロイドに性別は要らない」

 アンドロイドに性別は要らない。そうシュミットが割り込んだ。その言い草はいけ好かない。

「電脳だアンドロイドだって言っても私はついさっきそれになったばっかりです。ずっと人間だったし、今もほとんどそのつもりでいる」

「先を急ぎすぎだと思うかね」

 歩調を落とすことで応えた。

「行き先はカウンセリングルームだ。そこでしばらく休むといい」

 階をひとつ下ると見慣れた部屋の並びの廊下に出た。左側にいくつもの小部屋が並んでいる。その全てがカウンセリングルームで、かつての私のような『恵まれない』子供が恵まれず死に追いやられかけたときにこの企業が現れて、どうせ死ぬならと義体化を強いる。孤児は訳もわからず肯くか、親がいたとしても口減らしの提案を断る者はいない。そんな子らの心のケアを行うと同時に心境や認知能力の変化を記録する場所である。

「部屋を替えてもらえませんか? どうも今の…… 状況を…… 非日常のままにしておきたい。日常に持ってきたくない」

「今はいつもの部屋しか空いていないんだ。他は物置になってる」

「物置? 他全部が?」

「インプラント部門は今被験者を集めていない」

 何人かの子供が私のようにインプラントの人体実験に使われていたはずである。動物実験もそこそこに侵襲性の高い義体化を推し進め、多くの業績と犠牲を生み出してきた。死ぬよりはましだからと、短い命を押し売りしてきた。

「この前まで三人くらい義体化してたでしょう」

「だめだったよ。だめとわかった時点で安楽死させた」

 押し売りというのは少し露悪が過ぎたかもしれない。ここエイドス・コアの急進的なやり方には辟易するが、生を求める生者に生を与えるという意思がないわけではない。一応は人助けだ。

「それっきりってことですか」

「物置でいいならいいが」

「ええ、その方が却って…… 非日常的かもしれない」

 いつもの部屋からひとつ手前にある部屋に案内された。確かに物置である。私が目覚めたところと同じくすっかり物置にされている。

「では気が済んだら隣の部屋へ来てくれ。私の都合は気にしなくていい。そのうちに書類を進めるだけだ」

 シュミット博士は電灯を点けないでおいてくれた。木製の軽い扉が閉まり、彼女が隣のいつもの部屋で――きっと私についての――報告書を書き始めると、誰の音も廊下から聞こえなくなった。奇妙な感じがする。自分の感覚でほんの少し前、義体の開発が盛んに行われていた頃はこのフロアがこんなにも長い間静寂に支配されることはありえなかった。夜中の学校のような、原因を詳しく言葉にできない居心地の悪さがある。

 それがむしろ心地よかった。実際に私をここから追い出そうとする人はいないのだから、なんだって心地いい。心地いいという感情を、感覚を、しかと認めることで、機械人形となったことを認めないで済む。

 別にサイボーグとか人造人間とかいったものを蔑んでいるわけではない。ただ、あまりにもいつもと変わらない自分の感覚と、自分が何もかも機械化された…… というか、イヴリンという人間のその人格を載せられた機械であるという事実が互いに遠すぎる。

 本当は悪いドッキリなんじゃなかろうか。もう一度、この暗がりの中で自分の身体を見つめてみる。よくできてはいるが、皮膚の下のどこを見ても生身がない。そして私はやっと、自分が裸でいることに気づいた。しかしなんてことのない、性別らしい特徴の一切を排された、中性的な素体である。何も恥じる場所はない。全身がチタンと合成筋繊維に守られた身体には、弱点らしい弱点もない。それがむしろ私に恥じらいを植えつけた。完璧な肉体には、私といえる脆弱性がない。

 今思えば、弱みまで自分自身であった。



「野菜の名前を、思い出せる限り……」

「キャベツ、レタス、菜の花、ブロッコリー……」

 見知ったところと何ら代わり映えのしないカウンセリングルームでテストを受けさせられている。検査者は、私が目覚めたときシュミット博士と一緒にいた若い男、田中久である。

「これ認知症の検査ですよね。これが何になるっていうんです?」

「上は我々や開発者たちを信用していないんですよ」

 私が認知症のロボットでないのを確認すると、今度は知能検査である。退屈なタングラムを解いて、ランダムな英数字を頭の中で並べ替えさせられたり、言葉の意味を説明させられたりした。

「……面白い。面白いよ」

「何か面白いことでも言いましたっけ? 下品なアナグラムを思いついたり?」

 久は髭のない顎をそれでも撫でながら、首を細かく横に振る。

「いや、『生前』とFSIQが変わらないんですよ。つまり知能には脳そのものじゃなくて、そこで動いてる脳波自体が重要だってことだ。記憶は身体に宿るが、余計に脳が要らなくなったな」

「そういうのは報告書でやってもらっても?」

 「生前」ならもう少し興味を持ってこの話に乗れたかもしれない。しかし今そんな気にはなれない。これまでの検査も半分上の空で受けているのだ。

「こんな検査じゃ生前と…… 生後? 死後? どっちでもいいですけど、私の変化を捉えられやしない。私の気分はずっと変なところにあるが、知能には現れないんじゃないですか」

「では、どんな気分? 前と比べることはできる?」

「変としか言いようがない。何のせいで何を思うのか…… 全部絡まってよくわからないんですよ」

 久は考え込み視線を落とした。それから口を開いて、

「そのまま記録しておくよ。時間がそれを解きほぐしてくれるのを期待するしかないと思う」

「それは人間で一般的に考えられる対処ですか? それとも――」

「君に特有のものか、だよね。わからないんだ。これからの君の内省に頼ろう」



 それから運動能力のテストをした。生前となんら変わったところはなかったというか、むしろ向上していることがあった。それは関節の機能だ。前は生身の、つまり容易に交換できない関節のために、義体をフルに使って人よりも速く走るとか、より強い力を使うといったことには制限があった。関節がすり減ったら義体化してしまえば良かったかもしれないが、そのときエイドス・コアが目指していたのは必要に駆られて行う消極的な義体化だった。しかし今は費用さえ気にしなければ何だってできる。技師には止められたが。

 自分の戸籍についてシュミット博士に聞いてみた。私のオリジナルはほとんど死んでいるようなものだが、未来に賭けて冷凍されているため、死亡したということにはされていないらしい。この新しい身体を使って生身のために税金を納めるといいと言われた。

 それを聞いて余計変な気分になった。自分が自分でなく、ただのコピーでしかないということを強調されているように感じたが、博士に悪意はないのだろう。先生はそんなことをする人ではないが、単純に不躾なのだ。

 なりゆきで研究所の建物から追い出された。また明日、いつでもいいから来てくれとのことだった。そこで生まれたいくつもの疑問について尋ねそびれてしまった。まず、全て完成してから発表するエイドス・コア社にとって、きっと試作品であろう私を外へ放り出していいものかということ。次に、自分が何かのコピー品であると意識して生きていくか、自分は自分としてか、オリジナルとなんら隔たりのないイヴリン・アッシュその人としてか、どれが一番「生き」やすいかということ…… 挙げればきりがない。とにかく私は、塵を被った周りの超高層ビルに比べてやっていることが大きく、そして建物は旧来通りに小さい研究所を後にした。せめて義体化の進んだ人間に見えるように、パジャマみたいな縦縞の上下を着せられて。

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