第十九章‐沈黙の記憶‐



古い石橋を渡り、蒼真と明星が辿り着いたのは、歴史の影を背負った町・シレンティアだった。町の名前は「静寂」を意味するが、その由来を知る者は少ない。


石造りの建物が立ち並ぶ街並みは美しいが、どこか重苦しい雰囲気が漂っている。人々の会話も小声で、まるで大きな声を出すことを恐れているかのようだった。


「妙に静かな町だな」明星が呟いた。


町の中央広場には、古い石碑が建っている。しかし、その碑文は意図的に削り取られ、何が刻まれていたのか読み取ることはできない。


蒼真は石碑に近づき、手を触れた。そして超能力を集中させ、この場所に残る記憶の断片を感じ取ろうとした。


瞬間、彼の脳裏に断片的な映像が浮かんだ。


火刑台。群衆の叫び声。そして...沈黙を貫く人々の姿。


蒼真は息を呑んだ。




「お兄さん、その石碑に触らない方がいいよ」


振り返ると、十三、四歳の少女が立っていた。亜麻色の髪に青い瞳の美しい少女だが、その表情には年齢に似合わない深い憂いが宿っている。


「なぜですか?」明星が尋ねた。


少女は周囲を見回し、人がいないことを確認してから小声で答えた。


「この石碑は『沈黙者の碑』って呼ばれてるの。でも町の人たちは、その話をするのを嫌がるから」


蒼真は少女に興味を示した。彼女の瞳には、何か特別なものが宿っている。


「私はエリス」少女が自己紹介した。


「エリス・メモリア。この町で生まれ育ったの」


メモリア—記憶という意味の姓。蒼真は偶然ではないと感じた。


「エリスさん、この石碑のことを詳しく教えてもらえませんか?」明星が優しく尋ねた。


エリスは躊躇した。


「お兄さんたちは、旅の人?」


蒼真は頷き、胸に手を当てて自己紹介の仕草をした。


エリスの目が驚きで見開かれた。


「あなた...声が出ないの?」


蒼真は首を振った。出せるが、出さないという意味で。


「まさか...あなたは『民の守護者』?」


エリスの声に興奮が滲んだ。


「おばあちゃんが言ってた!沈黙の力で人を救う人がいるって!」




エリスは二人を町外れの小さな家に案内した。そこには白髪の老女が、古い書物を読んでいた。


「おばあちゃん、お客様よ」


老女—リディアは顔を上げ、蒼真を見つめた瞬間、震え声で呟いた。


「あなたは...本当に『民の守護者』ですか?」


蒼真は深くお辞儀をした。


リディアの目に涙が浮かんだ。


「やっと...やっと来てくださった」


彼女は立ち上がり、奥の部屋から古い箱を持ってきた。


「これを...これを見てください」


箱の中には、古い日記や手紙、そして小さな遺品が収められていた。


「これは何ですか?」明星が尋ねた。


「五十年前に処刑された沈黙者たちの記録です」


リディアの声が震えた。


「私の祖父母も...その中に含まれています」


蒼真は慎重に古い日記を手に取った。そこには、当時の沈黙者たちの想いが綴られている。


『我々は何も悪いことをしていない。ただ、声を出せないだけなのに』


『子供たちに、自分たちのような運命を辿らせたくない』


『いつか理解してくれる人が現れることを祈る』


蒼真の目から涙が溢れた。




「何があったのですか?」明星が深刻な表情で尋ねた。


リディアは重い口を開いた。


「五十年前、この国で疫病が流行りました。その時、沈黙者たちが『呪いの源』だと言われたのです」


「呪いの源?」


「声を出さないのは、悪霊に取り憑かれているからだと。そして疫病を広めているのは彼らだと」


エリスが続けた。


「根拠なんてなかったの。ただの偏見と恐怖だった」


「それで?」


リディアが震え声で答えた。


「王の命令で、沈黙者たちは一斉に捕らえられました。そして...火刑に処された」


明星の顔が青ざめた。


「そんな...そんな歴史があったなんて」


「この町だけで、三百人以上が殺されました」


蒼真は拳を握りしめた。同じ沈黙者として、彼らの苦痛が痛いほど伝わってくる。


「でも」エリスが希望を込めて言った。


「生き残った人もいたの。隠れて、名前を変えて、普通の人として生きてきた人たちが」


「あなたは...」明星が気づいた。


「はい。私は沈黙者の末裔です」


エリスの告白に、蒼真は驚いた。


「でも私は声が出ます。隔世遺伝的に、沈黙の血は薄くなってるから」


「それでも記憶は受け継いでる」リディアが付け加えた。


「この子は、先祖たちの記憶を夢で見ることができるんです」




その夜、エリスは蒼真に自分の能力を説明した。


「私は触れたものの記憶を見ることができるの」


彼女は蒼真の手に触れた。


瞬間、蒼真の過去の記憶が彼女に流れ込んだ。王宮での日々、影月との戦い、各地での活動...


「すごい...あなたはこんなにも多くの人を救ってきたのね」


エリスの目が輝いた。


「今度は私の記憶を見て」


彼女は蒼真の手を握り、意識を集中させた。


蒼真の脳裏に、五十年前の光景が鮮明に浮かんだ。


火刑台で燃やされる沈黙者たち。しかし彼らは最後まで叫び声一つ上げなかった。それは恐怖ではなく、尊厳を保つための選択だった。


『我々の沈黙を、意味あるものにしてくれ』


先祖たちの声が、蒼真の心に響いた。


『いつか、沈黙が力となる日が来ることを信じている』


蒼真は深く頷いた。彼は自分の使命をより深く理解した。




翌日、明星は町の資料館を訪れた。


「すみません、五十年前の疫病について調べたいのですが」


司書は困惑した表情を見せた。


「あの...その件については、資料が...」


「隠蔽されているのですか?」


司書は周囲を見回し、小声で答えた。


「正式には存在しないことになっています。でも...」


彼女は明星を地下の保管庫に案内した。


「こちらに、非公式の記録があります」


埃まみれの箱の中から、当時の公文書が見つかった。


明星はそれを読み、愕然とした。


『沈黙者処刑令』


『疫病撲滅のため、声なき者どもを速やかに処分せよ』


『生存者がいた場合、隠匿した者も同罪とする』


「これは...国家による虐殺じゃないか」


明星の拳が震えた。自分の祖先が、こんな命令を出していたとは。


「皇子様?」司書が驚いた。


明星は身分を隠していなかった。


「この記録を、公開してもらえませんか」


「し、しかし...」


「歴史を正しく伝えることは、我々の責務です」




その日の夕方、町の中央広場で小さな集会が開かれた。


蒼真とエリスが中心となって、沈黙者の記憶を語り継ぐ会だった。


最初は数人しか集まらなかったが、徐々に人数が増えていった。


エリスは祖母から聞いた話を語った。


リディアは実際の遺品を見せながら説明した。


そして蒼真は、言葉を使わずに当時の沈黙者たちの心境を表現した。


彼の超能力で作り出された光の映像は、見る者の心を深く打った。


「知らなかった...」


「こんなことが、この町で...」


観衆の中から、小さなつぶやきが漏れた。


明星が立ち上がった。


「皆さん、これは過去の話ではありません」


「今でも、声なき人々への偏見は存在します」


「我々は歴史から学び、同じ過ちを繰り返してはいけません」


会場が静まり返った。


蒼真は石碑の前に立ち、両手を空に向けて祈るような姿勢を取った。


その瞬間、削られた碑文が光によって復元された。


『沈黙者たちの魂よ、安らかに眠れ』


『汝らの犠牲を、我らは忘れず』


『汝らの沈黙を、我らは語り継がん』


観衆は息を呑んだ。


「これが...本当の碑文だったのか」


老人の一人が震え声で呟いた。




翌朝、町に変化が起こっていた。


人々は以前より大きな声で話すようになり、沈黙者への理解も深まっていた。


エリスは蒼真に言った。


「私も、あなたみたいに人を救いたい」


蒼真は微笑み、エリスの頭を撫でた。


*あなたはすでに多くの人を救っています*


*記憶を継ぐことも、立派な使命です*


「でも、もっと積極的に活動したいの」


蒼真は考えた。そして、エリスの手を取り心の中で語りかけた。


*では、この町で記憶の学校を作りませんか*


*過去を学び、未来を考える場所を*


エリスの目が輝いた。


「素晴らしいアイデア!」


明星も賛成した。


「王室が資金援助をしよう」


出発の時、町の人々が見送りに集まった。


石碑の前では、毎日花が供えられるようになっていた。


「また来てください」エリスが涙ながらに言った。


「今度来る時は、きっと立派な記憶の継承者になってるから」


蒼真は力強く頷いた。


*あなたなら大丈夫です*


*先祖たちの想いを、きっと現実にできる*


町を後にしながら、明星が言った。


「忘れられた歴史を掘り起こすのも、大切な仕事だな」


蒼真は頷いた。


沈黙者の記憶は、もう失われることはない。エリスという新しい継承者によって、未来に受け継がれていくのだから。


記憶の町に希望の光が差し込む中、民の守護者たちの旅は続いていく。過去と現在、そして未来を繋ぐ橋として。

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