無言の翼ー俺は誰かの心臓になりたいんだー

マスターボヌール

第一章 静寂の中に生まれた影



雪が舞い散る夜、八咫烏隠密部隊の精鋭である夫婦に一人の子が生まれた。しかし、産声は響かなかった。


生まれたばかりの乳児は、まるで世界の音を全て飲み込んだかのように静寂に包まれていた。助産師は首を振り、父親である影月(かげつき)は眉をひそめた。だが、母親の朝霧(あさぎり)だけは、その小さな手を優しく握りしめていた。


「きっと、この子には違う方法で世界と繋がる道があるのよ」


朝霧の予感は正しかった。




少年——蒼真(そうま)と名付けられた彼は、三歳を迎えても一言も発しなかった。しかし、その代わりに常識を超えた力を発現し始めた。


庭の石がひとりでに宙に浮く。遠く離れた場所の出来事を知っている。危険を察知する能力は隠密部隊の大人たちをも上回った。


「化け物が...」

「あの子の前では気味が悪くて」

「言葉も話せぬとは、八咫烏の血が穢れたのか」


隠密部隊の仲間たちの囁きは、蒼真の鋭敏な感覚に容赦なく届いた。彼は言葉を発せないが、思考は人一倍明晰だった。周囲の感情、悪意、恐怖の全てを感じ取ってしまう。


父親の影月もまた、息子を見る目に困惑と失望を隠せなかった。


「隠密として使い物になるのか。言葉が通じぬ者など...」


蒼真は父の心の声を感じ取り、小さな胸を締め付けられた。自分なりに念話を試みるも、相手に伝わるのは曖昧なイメージばかり。言葉という橋を持たない彼は、どれほど想いを込めても理解されることはなかった。




そんな蒼真にとって、母の朝霧だけが唯一の理解者だった。


朝霧は蒼真が発するイメージを辛抱強く読み取り、時には一日がかりで彼の想いを理解しようとした。言葉は通じなくとも、母子の間には言葉を超えた絆があった。


「蒼真、あなたの力は呪いではないのよ」


夜中、蒼真が悪夢に震えて目を覚ました時、朝霧はいつも側にいた。


「きっと、あなたにしかできない使命があるの。言葉がなくても、心は誰よりも美しく、誰よりも強い」


蒼真は母の膝の上で、必死に感謝のイメージを送った。暖かな光に包まれた母の姿、守られている安堵感、愛されているという確信——それらが波のように朝霧に届く。


「ええ、私にも伝わっているわ。あなたの心は、言葉よりもずっと雄弁なの」


朝霧だけが、蒼真の沈黙の中にある豊かな世界を知っていた。彼の超能力は恐れられるものではなく、この世界で彼なりの方法で生きていくための、天からの贈り物だと信じていた。




しかし、現実は厳しかった。


蒼真が八歳になった頃、隠密部隊内での彼への視線はさらに冷たくなった。任務の邪魔になる、不吉な存在として扱われることが多くなった。


影月もまた、息子への期待を諦めかけていた。


「朝霧、いい加減現実を見ろ。あの子は...普通じゃない」

「普通である必要がどこにあるの?蒼真は蒼真よ」

「隠密の世界で、疎まれる者に居場所はない」


両親の口論を、蒼真は離れた部屋で聞いていた。言葉は聞こえなくても、感情の嵐は彼の心を直撃した。父の諦め、母の必死な抵抗、そして自分が家族の不和の原因だという重い現実。


蒼真は小さな拳を握りしめた。自分は何のために生まれてきたのか。この力は、本当に誰かの役に立つのか。


そんな疑問を抱えながら、少年は静寂の中で成長していった。まだ知らない運命との出会いが、すぐそこまで迫っていることも気づかずに——。


---


*続く*

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る