第6話 八月の夏空の下で(6)
流石に、澪璃さんからの一生のお願いを、俺が断る術を持ち合わせてはいなかった。
もし、告白されたのなら話は別だが、澪璃さんはまつゑに世話になっている手前、そこまでは踏み切れなかったように感じた。
これは俺の性分なのだろうが、誰かの不幸の上に誰かの幸せが成り立つ考えは、あり得ないと思っている。
「ありがとうございます……。」
「なあ……?澪璃さん、一つ聞くが……今回の作戦に参加を決めた理由って、俺か?」
「……はい。小さい頃の話なのですが、私……まつゑおば様のお宅へと、ひいおばあちゃんに連れられてお伺いしたことがあったのです。そこで、まつゑおば様から恋人だという方のお写真を見せられたのですが……。見た瞬間、一目惚れでした。」
「なん……だって?!それって、まさか……?」
「はい……そのまさかです。だから、私……文由さんにお会いできるのならと、作戦への参加を決めたのです。」
こんな会話をしているが、実は……あの後、俺は澪璃さんの意志を汲んで、ベッドの上で身体を重ねていた。
言ったかもしれないが、俺はまつゑとは関係をもつまでには至らぬまま、航空特攻による出撃命令が出され今日という日を迎えた。
それは、まつゑの幸せを切に願ってのことだったのだが、七十四年後の状況を見れば一目瞭然ではあるが、逆効果だったようだ。
「そうだったのか……。一目惚れの俺と、こんな関係になってしまったが、澪璃さんは後悔していないか?」
「私……後悔なんてしてません!!だって……絶対、文由さんに拒まれるなって、思ってましたので……。私のこと……受け入れて頂けて、凄く……嬉しかったんです!!」
恐らく……この作戦が終われば、俺は昭和二十年八月五日のあの時間に戻ることになるのは、何となく分かってはいる。
だから、身近な前例を踏まえた上、周りから俺は何を言われても構わないが、澪璃さんに悔いを……未練を……残して欲しくはなかった。
ただの言い訳に聞こえるだろうが、まつゑが俺の実家に養女として入り、九十歳を迎えても未だに独身を貫いているのがその証拠だ。
「そうか。なら一安心だな?ところで……澪璃さんについて、一つ気になったことがあるんだが……。」
「私についてですか?何でしょうか?」
「もしかしないでも、澪璃さんに対して……失礼なことを聞くかもしれないんだが……。」
「文由さん、大丈夫ですよ?何でも聞いてください!!」
元々、“
なので、俺といられる時間がどれだけあるか分からないが、澪璃さんにはまつゑのように後悔して欲しくないのだ。
幼い頃、俺に一目惚れしたというなら、尚更募る思いもあっただろう。
ただ、周囲に俺と澪璃さんとの関係が察せられぬよう、気を配らないといけなくなったことは事実だ。
狡い言い方をするかもしれないが、お互いにとって知らない方が幸せなことだってある。
「初めて……ではなかったのだな?」
「ああ……そのことですか……。いえ、文由さんは私にとって初めての男性です……。それは間違いありません!!」
「そうだったのか?!俺はてっきり……。」
良くも悪くも“放蕩兵曹長”の二つ名を持つ俺が、相手の女性が初めてかそうでないかなど、間違えるはずがなかった。ただ、本人がそう言った以上、それを肯定してあげるのが俺の務めだと、常々考えている。
「あの……!!よく聞いてください……。私……この作戦に参加してから、文由さんのことをよく知らなければと、まつゑおば様が知る情報では足りないと……色々調査させて頂きました。」
「恐らく……澪璃さんの役目ってのはさ?まつゑと瓜二つな容貌を活かして、俺の気を惹いて作戦に協力させることなんだろ?」
「はい……文由さんのご想像の通りです。ですので、こんな立派なお部屋まで、お貸し頂くことが出来ているのです。」
災厄な怪異への唯一の対抗手段である俺に向け、恋人のまつゑの生き写しみたいな、縁戚の澪璃さんを差し向け、女の武器を余す所なく使わせ気を惹く作戦。
ただ、澪璃さんは幼い頃よりずっと、写真でしか見たことのない俺に対し恋心を抱いていたと語った。
だから、澪璃さんは作戦に参加することで、好きな相手と身体を重ねられる可能性がある上、報酬まで貰えるという願ったり叶ったりの状況なはずだ。
「やはりな……。ここにある調度品、どう見ても貴賓室なのだろうなとは思っていた。ああ……すまない、話の腰を折った。続けてくれるか?」
「はい。では……文由さんの交友関係を調査させて頂いた際、以前お付き合いされていた女性がご存命で、話を伺う機会がございました。」
「どの女性だろうな……。それにしても、俺の好みや嗜好を知る為にそこまで……。」
「いいえ……ただ、私が知りたかったのです。」
「まあ……好きな相手のことは、誰だって……もっと知りたいと思うよな。」
“佐野文由の気を惹く為の調査”という大義名分の下で行う、公私混同な職権濫用というやつだった。まさか、俺と付き合ってた女性が未だ存命だとは、凄い時代になったものだ。誰かは不明だが、恐らく皆、九十はゆうに超えているはずで、中には百で存命もあり得る。
「はい!!そこで……文由さんとの交際時の赤裸々なお話を聞くことになりまして……。」
「あー……一体、誰なんだろうな……。」
「個人情報保護の観点より、相手の女性について……私の口からお伝えすることは叶いません。」
「難しい言葉はよくわからんが、なるほどな?では……澪璃さんの身体に問い正せば良いのだな?」
「えっと……それは……。あの……。」
そんなことで、澪璃さんを困らせるつもりなど……別になかった。ただ、俺の出来心というのか、
そんな俺は、澪璃さんとベッドの上だ。それも、俺が腕枕をした状態でだ。しかも、澪璃さんが身体を俺にぴたりと密着させてきている為、お互いの色んな部分が当たり合っていた。
「いやいや……澪璃さん、その誰なのかについては冗談だ。続きを頼む……。」
「えっ?!あ……はい。それで、一つ分かったことがあったのです。それは……初めてで経験がない私が、いきなり文由さんのお相手をするのは、無理だということでした。」
「つまりは……かなり、踏み込んだところまで話を聞かされた……と?だから……あれか。俺とこういう事になっても良いように、対策をしてきたという訳……だな?」
「はい……。令和の時代では、まるで本物のようなものがございますので、それで……。」
いつの時代にも、そういったものは絶えずあるのだなと、つくづく思わされた。
大事なものを失った筈なのに、澪璃さんは俺のために身体を張ってくれたのだと思うと、もう笑い話では済まされない。
「澪璃さん……俺なんかのために、ありがとうな?初めてではないとか、疑ってしまって……本当に悪かった!!澪璃さん、ごめんなさい。」
「いえ……。これは……私が勝手にしたことですので、文由さん……謝らないでください!!私……後先考えず、文由さんに拒絶された時のことなんて、何も考えてませんでした……。私、バカですよね……。」
「もし……俺が、澪璃さんの立場だったとしたら、同じことが出来るのかと考えると、なかなか難しいと思う。だから……澪璃さんが俺にしてくれたことは、凄いことなんだよ!!俺、澪璃さんとちゃんと向き合わないと、バチが当たるだろうな。」
正直言って、俺と澪璃さんとの相性は、今までのどの女性と比べても凄く良いものだった。ただ、そういうと語弊があるので言っておくが、澪璃さんと良かったということは、きっとまつゑとも凄く良いに決まっているのだ。
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