48. K.Kashimoto

「もお、なにやってんだよ」


 舌打ちをすると和美が「ごめん」と小さく謝った。

 俺はすぐさま慎二の手からペンライトを受け取って階段の下へと向けた。けれど弱々しい光の円の中に鍵は見つけらず、俺は仕方なく床に腹這いになり可能な限り穴の奥に腕を差し込んでライトを照らした。顔を近づけると濃厚なカビの臭いに襲われて思わず息が詰まった。それでも我慢して急階段の先を覗き込むとようやく穴の底がうっすらと見えた。目測だが七、八メートルは深さがありそうだった。俺はいったん身体を起こして和美に訊いた。


「おまえ、まさかスペアキーとか持って来て……」


 和美はうつむいたままゆるゆると首を振って、俺は落胆のため息を漏らした。


「……ないよな」


 もちろん期待はしていなかったが暗澹たる気持ちにはなった。そして俺は顰めっ面を作っていくつかのシミュレーションを思い浮かべた。

 自転車は正門前に停めてあった。俺の自転車には荷台がついているから和美を後ろに乗せて帰ることは可能だが問題はその後のことだった。

 明朝、和美の自転車がなくなっていることに気づいた両親からは当然ながら詰問が向けられるだろう。無論、正直に事情を話すことはできない。そうなれば両親は盗難か、もしくは和美の夜遊びを勘ぐるかもしれない。

 また明日は三学期の始業式で自転車通学ができない和美はバスと電車を乗り継いで通わなければならなくなる。

 そして正門前に放置している自転車に気がついた誰かが通報すれば、警察は後輪の泥除けに貼り付けてある校章シールと防犯登録から所有者を割り出し、自宅はもとより放置場所が場所なだけに和美の高校に通達されないとも限らない。

 想定されるそのような厄介ごと全てを回避する手段は二つだけ。

 ひとつはこれから家に帰ってからスペアキーを持ち出し、もう一度二人乗りで自転車を取りに戻ってくるという労力と時間を惜しみなく費やす方法。

 もうひとつはこの階段を降りて自転車の鍵を探すという少しばかりの危険を伴う方法。それらを天秤にかければ解答はいとも容易く導き出されて、俺は仕方なくこれみよがしに大きくため息を吐いてからこう宣言した。


「ちょっと拾ってくるわ」


 和美も内心それしかないと考えてたんだろう。申し訳なさそうにもう一度「ごめん、お兄ちゃん」と謝ってきた。植山翠は「気をつけてくださいね」と心配そうに声をかけてきて、慎二は「自分が行こうか」なんて申し出てくれたから礼を言って断った。俺だって行きたいわけじゃなかったが、自分の妹の不始末で慎二が大怪我なんかしたらそれこそどう償えばいいのか分からなかったからな。

 俺はまず穴の縁に腰を掛け、三段ほど下の届くギリギリの段に足を着けた。真っ暗な穴の底を見下ろすと少しばかり身慄いがして、なんとなくこれから滑り降りるスキージャンプの選手にでもなったような気分になった。

 スニーカー越しに足場の感触を確かめると多少の凹凸はあったものの心配していたようなヌルヌルとした滑りやすさはなかったから少し安心した。それから俺はペンライトをダウンジャケットのポケットに入れ、ひとつふたつ深呼吸をした。そして新鮮な、といっても埃っぽい図書館の空気だったが、それを大きく吸い込んで肺に溜め、体を反転させてそれこそ梯子を降りるような体勢で慎重に一段ずつ階段を降りていった。

 すぐに一度、肩口から首を覗かせるようにして下を見たが光を照らさなければそこは全くの闇で心細くなるばかりだったからやめた。上には青白い月光をバックにこちらを見ている三人のシルエット。止めていた息も限界で吐き出してから吸い込むとやはりカビ臭が濃くて咳き込みそうになった。それにどことなく饐えた臭いも漂っているように思えていっそう不気味さが増した。

 それでもここまで来て止めるわけにもいかないから出来るだけ呼吸を詰めて俺は視界を昇っていく冷たくザラザラとした手触りの階段と三人の影を交互に見遣りながら、神経を足下に集中させてゆっくりと確実に階段を降りていった。

 二十段ほども過ぎたあたりで唐突に足下の段がなくなった。ようやく底までたどり着いたと俺はホッとして階段から両手を離して立ち上がり、ひとまず上を見上げて「底に着いた」と報告した。するとちょっとした労いと安堵の声が降ってきた。


「ああ、良かった」

「お疲れ。引き続き捜索を頼む」


 とりあえず俺はポケットから取り出したライトを点けて頭上に振りかざし、それを返事の代わりにした。そして振り返りながら辺りにその光を向けるとすぐ真正面に階段脇と同様のコンクリートみたいなのっぺりとした石壁が立ちはだかっていた。左側も同じ壁だったが右にライトを向けると狭い通路があって光が届かないほど奥の方まで続いていた。

 瞬間、底知れない不自然さを感じた。

 なぜなら通路の先はもう図書館の敷地からとっくにはみ出してしまっているように思えたからだ。いくら昔の建築物だからといって地下室をわざわざ敷地の外に出すなんてちょっと考えにくい。地下室は床下に設えたスペースだから地下室というんだ。そんな屁理屈のようなことを考えながらひとしきり通路の暗闇に目を凝らしているとなんだか徐々に鼓膜の奥に微かな音をとらえているように感じてきた。

 なんていうかな。低く響くような、音というよりもどこか微振動に近い鼓膜よりも骨で感じる微かな、連続した途切れのない、聴いていると妙に心地良くなる……。


「お兄ちゃん、あった?」


 頭上から聞こえてきた和美の声にハッと我に返った。そして気がつくと俺はいつのまにかその音に引き寄せられるように通路の暗がりに二、三歩足を踏み入れてしまっていたんだ。自分の無意識の行動に怖気が走った。そしてすぐに階段下まで後退りして返事をした。


「もうちょっと待て。今、探してるから」


 動揺で声がちょっと震えてしまった。あるいは狭い洞窟のような場所だから反響しただけかもしれなかった。


「広いのか、そこ」


 慎二の問い掛けに「いや、そうでもない」と答えた。平常心を取り戻したように思えたが、自分の声のこだまが消えるとやはり鼓膜はその奇妙な音をとらえ続けていた。俺は耳を塞ぎたくなる衝動をこらえて、ライトを床に向け自転車の鍵探しに集中した。

 降りてくる途中の段に鍵は見当たらなかった。暗闇とはいえずいぶん目も慣れていたからすぐ目の前にある自転車の鍵を見落とすはずもなかった。だから階段下の約一メートル四方程度のスペースのどこかに鍵は転がっているはずだった。普通に考えてものの十秒もあれば見つけられるはずだった。

 それなのに鍵は見つからなかったんだ。



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