010 密談のトライアングル

 魔女nはレオンのマインドへ忠告する。

『危険でしかないわ、この仔を早くなさいな。ヴァンパイアにはなれない、この子には人のエレメが多すぎる、そして、そこに精霊の[アダマス精霊を守る石]の気配があるのよ。貴方には邪魔になるだけ』

魔女nは事実を淡々と語る。

魔女nが言う始末とは、滅することではなくある施設に送ることだ。そこには魔術で隠された秘密の館があり、罪人・狂人・特異体などが隔離されている。周囲には処刑したと見せてここに集めているのだ。

『マスター……アタナシオスには、何故この仔をする必要があるのか分かるはずよ。忠告するわダーリン、彼は貴方に隠していることがある』

魔女nは嘘をつかない、少なくともレオンには。

それでも、[マスター主人]への信頼は揺るぎようがない、これは[バレ従者]の宿命とは無関係に。

『ナナ、感謝する』

レオンは魔女nを見つめ感謝を伝え、席を立つ。

『レオン、貴方を失いたくないわ……愛さないで……誰も』

最後の魔女nの言葉は、レオンの後姿へ告げられた。

 

 館へ戻ったレオンは、同行した[バレ従者]たちへ告げる。

「言葉にすることは無意味だが念を押しておく、口外するな」

静かに礼を尽くすスタンスの形をとる[バレ従者]たち。

右手で心臓を隠し左手で腹を隠す、次に両の掌を天に向けたまま両手を伸ばす、このスタイルをアルケーの軍隊は忠誠と誓い、自身の決意として表するのであった。

たどたどしくそれを真似るアノス、彼の胸中は騒めき穏やかではない。とても忠誠を誓うという心境ではいられない。

アノスには、レオンと魔女nの会話が聞こえていた。まるで公共ラジオの電波のように、少々のノイズがじってはいたが内容を把握するほどには聞こえていたのである。

「僕は危険……始末しなきゃならない、邪魔……レオンには邪魔な存在」

アノスは心の臓の震えを隠すことができないでいた。

その震えが朧げな記憶の情景と音声を運んでくる。



「It's Show Time!」

華やかに……開演を告げる、安っぽい衣装を纏う見すぼらしいピエロの下品な声、貧相な舞台古屋は今にも崩れ落ちそうな気配がする、が……そんな情景を無視して立ち見の客席は満杯である。

「さぁ、お待ちかね、アンドロギュノスの子が今夜は獣の姿で登場です!」

血の滴る熊の頭の皮をかぶり、全裸の子供が登場する。

胸に小高く固そうで未熟な乳房と思しき膨らみがある、その膨らみにはへこんだ乳首、お粗末な男児の象徴に見え隠れする割れ目が……ある。

「さぁさ、さぁさ、この子に愛される御方はどなたでしょうか~」

ピエロは客席より投げられる銭を数え、投げた主とアイコンタクトをとっている。

「お決まり申した~! 今夜の幸運を勝ち取った幸運な僭主主人はこの御方です!」

主人と呼ぶにはあまりにも下衆ないでたち、卑しい笑みと共に小屋の裏へ案内される客、と……舞台前では銭を投げた者たちが騒がしく悪態をついている。

「さぁ……こちらへ、お愉しみはもうじきですよ、さぁさぁこれをお召しになってお待ちくださいましな」

客に用意されたのは、皮の鞭と手袋だ。

これらには香油が沁み込んでおり余分な香油が滴り落ちている。その香りの淫靡なこと、客は嗅いだことのない香油の魅力に既に嵌っている。くんかくんかふらりふらり……と、香りを愉しんだ刹那、脳が蕩けるような錯覚に堕ちる。そして自力では立てないくらいになると部屋の奥の真っ赤なドアが開き、あの子が入ってくる。

「ああ……天使だ」

涎を惜しみなく垂らし、客は言う。

「愛してくれ」

と。

 

どれほどの時間が経ったのだろう、客が目を覚ますと、萎れた棒の先の、熊の皮の上に白濁した液体が溜まり枯れ渇こうとしている。全身が沼地に沈んでいるような感覚、一切の緊張と重力を奪われたような肉体は、生死から解放された安楽の境地に漂うようだった。

「愛された」

客は悦楽の表情で微笑んでいる。

客が帰っていくのを別室で見送るアンドロギュノスの子アノスの背の向こう側で、ピエロが札や小銭を数えながら言う、

「なぁに、愛しましたよと言えばいいのじゃ。会うことはなかろうよ、だが会ったならそう言えばいいだけじゃ。そしてお前は忘れることじゃ、愛してやったことを」



朧気ながら辿った記憶の線は今、まるで共鳴し合う紐の振動のようにアノスを震え上がらせている。自分がいったい何をしていたのかという過去の映像が、無数の毒矢となって脳内を侵してくるのだ。

「僕は危険……なんだ」

無意識の台詞は、心の一部を剥ぎとり重力を無視した速さで地へ堕ちていった。

アノスは今、自らに呪文を浴びせながら呆けている。



「隠しごと……あやつがそう言ったのか」

アタナシオスはレオンから報告を受けてそう言った。

レオンは魔女nの忠告ともとれる内容を包み隠さず話したのだ。

「お前は黙っていることもできただろう」

アタナシオスがそう言うと、

「何故でしょうか」

レオンは間を置かず問う。

「レオンよ、問いが間違うておる。私に秘密があるのかどうか問うべきであろう」

うすく笑みを浮かべアタナシオスが言った。

「私が問うべきことがあるとするならば……私が貴方様の[バレ従者]として相応しい者であるか、ということだけです」

レオンは飄々ひょうひょうと淡々と、凛とした口調で答えた。

アタナシオスは小さく頷いて言う。

「仔猫だというのであれば用心せよ」

そしてアタナシオスは慈悲深い瞳の輝きを放って言う、

「レオンよ、私はお前を失うくらいならこの手でお前を滅するだろう。私が与えた命は私が奪う、我が身諸共に」

アタナシオスの声音は穏やかでありながら威厳に満ち、そしてレオンの信頼に応えるものであった。

「もったいなきお言葉、この身は貴方様のものにございます」

レオンは心を尽くしてそう伝えた。

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