第23話 流れ込んでくる想い

 また、夢だ。


 いや、もうこれは夢なんかじゃない。アカネが見た過去の景色だ。


 私は、窓から外を眺めていた。視線の先には、女の子が二人。


 あおと、そのお姉さんだった。


「私も、ソフトボール? っていうのやってみたい」

「本当? 嬉しい。じゃあ、まずはボール投げてみよっか」


 蒼が、道路の脇で手のひらの何倍もあるボールをおにぎりを作るみたいに握っていた。


 変な握り方。それでも、お姉さんは「上手だね」と優しく微笑んだ。


 蒼がボールを投げる。投げるというよりは、捨てると言ったほうが適していた。けれど、本当にたまたま、ボールが地面にバウンドしたあと、お姉さんの手に綺麗に収まった。


「すごい! 蒼。本当に上手! きっと将来は、私や、お父さんにも負けないくらいの選手になっちゃうかも」


 その言葉に、蒼は照れたようにはにかんだ。


「お誕生日になったら、グローブとバット、買ってもらおうね」

「二つも買ってくれるかな」

「お姉ちゃんがお父さんとお母さんに言ってあげるから大丈夫。それにね、誕生日っていうのは、そういう日なの。誰かから、何かをもらう日。誕生日の主役は蒼なんだから、ちょっとくらいワガママ言っていいの」


 お姉さんが、かがんで蒼の頭を撫でる。


「その代わり、蒼も。大切な人の誕生日には、何かをあげてね」

「お金とか?」

「ううん、別に物じゃなくてもいいの。一緒にいるだけでもいい。相手を想う気持ちと、共に過ごすかけがえのない時間。それだけでも充分、もらった方は幸せなんだよ」


 場面が変わる。


 部屋の中だ。窓際には、あの朱色のグローブが置かれている。ということは、お姉さんが亡くなったあとということだ。


 蒼は中学校の制服を着ていた。部屋には、他に女の子が二人来ていた。友達だろうか。蒼は緊張した様子で「麦茶とか持ってくる」と足早に部屋を出て行った。


 というか、部屋にいるその子たちの顔には見覚えがあった。


 あいつら、琥珀こはくとつるんでたヤンキーじゃない! 今でも覚えてる。あの子たちが集まっている家に乗り込んで、怒鳴りつけてやったのだ。


 蒼と同じ中学だったんだ……。


「てかさ、蒼ってあんまりソフトボール上手じゃないよね」

「わかる。プロ野球選手の娘だっていうから期待してたけど、とんだ拍子抜け。うちらのクラブチームにはあんなのより上手なのたくさんいるもんね」


 蒼がいなくなったからか、二人は好き勝手にそんなことを言う。


「あ、でも蒼のお姉さんはめちゃくちゃ上手だったらしいよ。うちのコーチが前に教えたことあるらしくって」

「うちも聞いたことある。まあ、姉や父親がいくらソフトボールうまくても、関係ないって話だよね。てか、あれじゃない? お姉さんの方に才能吸われちゃったんじゃない?」

「あ! それあるかも。遺伝子って残酷ー」


 この話を、アカネはどういう気持ちで聞いていたんだろう。


 私は今、はらわたが煮え繰り返しそうになってる。


「神様も、がっかりしただろうね」

「がっかりって、どういうこと?」

「えー? だってそうじゃない?」


 口元を三日月のように歪めて、その子は言った。


「蒼の方が生き残っちゃったんだから」


 私は、思わず立ち上がった。


 ちょっと、それだけは言っちゃダメでしょ!?


 思い切りそいつらの顔をひっかく。だけど、手はすり抜けてしまう。


 廊下からガチャン! とガラスの割れる音がした。


「え? なになに?」


 その子たちがドアを開けると、すぐそこで蒼が麦茶の入ったグラスを落としていた。


「大丈夫? ハンカチハンカチ!」

「あんま動かないほうがいいよ! ガラス踏むよ!」


 さっきまであんなこと言っていたのに、蒼が帰ってくると、その子たちは当たり前のように接する。


「もう、蒼って意外とおっちょこちょいだよね」


 違う。


 聞こえてたんだ。


 蒼は顔を真っ青にしながら、ぎこちなく笑った。


 また、場面が変わる。


「うちら、周英高校に行こうと思ってるんだ。あそこってソフトボール強豪校でしょ? 偏差値はちょっと高いけど、頑張ればいけそうだし。蒼はどうするかもう決めた?」

「私は、近くの光陽高校」

「そっかー、じゃあうちら、もしかしたら大会で当たるかもね」

「そのときは、手加減してね? プロ野球選手の娘なんだし、将来は安泰でしょ? うちらはソフトボールで、内申も稼ぎたいしさ」


 なっ、なんて奴ら……!


 そして夜になった。場面が切り替わると、もうあの子たちはいなくなっていた。


 代わりに、私は蒼に抱きしめられていた。


「お姉ちゃんじゃなくて、私が、いなくなればよかったのかな」


 ぽつりと呟く蒼の頬には、一滴の涙が垂れていた。


 ――私は、蒼のことが大好きだよ。だから、そんなことを言わないで。


 胸がギュッと苦しくなる。これは……アカネの気持ち? 私のものじゃない、誰かの感情が流れ込んできて、私まで悲しくなる。


「友達だと思ってたのに。みんなそうなの? 表では、いい顔して。裏ではいつもあんなこと言ってるの? もう、誰も信じられないよ」


 ああ、なんてもどかしい。人間の言葉も喋れない。抱きしめるための大きな腕もない。一緒に涙を流すこともできない。悔しい。


「アカネだけだよ、嘘つかないの」


 蒼の頬をぺろ、と舐めて、私……アカネは鳴いた。


「にゃあ」


 そうすることしか、できない。




「はっ!」


 目を覚ます。朝だった。


 私はまた、夢……アカネの過去を追体験していた。そればかりじゃない、アカネの感じた気持ち、思いが記憶と共に流れ込んでくる。


 枕はびっしょりと濡れていた。目元が痛い。ちょっと充血してる? 最悪だ。


 身体は重かった。立ち上がるのが億劫で、思わず四足歩行しそうになる。


 とりあえず、落ち着かないと……まずは水を飲んで、ご飯を食べて。頭がしゃっきりしたらちゃんと考えよう。


 なんとか布団の中から脱出して、部屋を出る。


 廊下で琥珀こはくとすれちがうと、金縛りから解けたかのように身体が軽くなった。


「おはよ。琥珀」

「うす……」


 よそよそしい朝の挨拶に、私は呆れてしまった。


「琥珀、寝癖すごいことになってるわよ」


 琥珀の後ろ髪がスチールウールみたいになっていたので、指で解してあげる。すると琥珀は羽虫を振り払うように私の手を叩いた。まったく。


「そうだ琥珀。もうすぐお母さんの命日なんだから、ちゃんと準備しておきなさいよ。親戚の人、いっぱいくるんだから」

「そんなの大人たちに任せておけばいいじゃん」

「私たちだってもう大人でしょ? みなさんに迷惑かけないよう、できる準備はこっちでしなくちゃ」


 琥珀はじろ、と私を睨むと、呆れたように肩を竦めた。


「姉貴の、どこが大人なの」

「なによ。見なさいこの大人っぽい佇まい。どこかのご令嬢と勘違いされてもおかしくはないわ。琥珀、そうなったらあなたも令嬢の妹としてふさわしい振る舞いをするのよ」

「朝から何言ってんだか」


 琥珀が私を無視して横切っていく。そんなのはいつものことなので、私も琥珀のあとを追って朝ご飯の準備をした。


「そういえば」


 琥珀が何かを思い出したかのように呟いた。


朝日あさひが、姉貴のこと」

「え、蒼が? なに?」


 琥珀の口から蒼の名前が出るなんて珍しい。いったいどんな珍事件を教えてくれるのかと期待していたけど、琥珀は結局教えてくれなかった。




 そしてその当日。ついに来月に控えた大会の、初戦の相手が発表された。


「えー、一回戦の相手は周英高校に決まった。去年は県大会にも出場した強豪校だ。うちのチームより確実に格上の相手となるが、それでも勝てる可能性は充分ある。各自、自信を持って試合に臨むように。ポジションはまた後日発表する」

「はい!」


 監督の激励に鼓舞される部員たち。


 周英高校ってことは、あいつらがいる高校じゃない! 


 ふと、遠くで監督の話を聞いていた蒼が目に入った。


 いつもなら「本気で挑むのは当然です。まあ普段怠けている人にとって慣れないことかもしれないですけど」とか言いそうなのに。


 蒼は顔を真っ青にしたまま立ち尽くしていた。

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