第20話 猫化を止める方法

 部活が終わると、私は急いで家に帰って、それから支度をした。一応、お風呂にも入って、かわいい下着をつける。他意はない。ないんだってば。


 今日は泊まりの予定だけど、お菓子もジュースも、あおがバカにしたロマンス映画も必要ない。


 幸い外は晴れていて、私は自転車を漕いで蒼の家へと向かう。


 チャイムを鳴らすと、すぐに蒼が出てきてくれた。


 蒼の腕の中で、アカネが心地よさそうに寝ている。こいつだ。今日はこいつにも用があるのだ。


 部屋に着いて、少ない荷物を置く。今日は着替えとスマホと、お財布しか持ってきていない。


「もうすぐ八時ね」


 時間まで、私はアカネの動向を観察していた。アカネは相変わらず蒼にべったりで、私という客が来ているというのに蒼の手ばかり舐めている。


 アカネは、入れ替わっていることに気付いて、それを認識できているのだろうか。


 そもそも、本当に私たちは入れ替わっているのだろうか。それもまだ、仮説にしかすぎない。 でも、それも全部、今日で分かるのだ。


 ふと、あの眠気がやってきた。瞼を閉じる寸前、蒼の腕の中にいるアカネがくてっと力なく項垂れたのがわかった。


 あっ、と思った次の瞬間、私の視線は床に近くなり、見上げると蒼の顔があった。


 ここまでは、いつも通り。


 さて、問題は……。


「蒼!」


 まるで花びらが舞うように可憐で、それでいて小鳥がさえずるように可愛らしい、しかし芯のある強さを宿した、とっても、とーっても綺麗な声が聞こえた。


「蒼! 蒼!」


 そう、私の声だ。


 私が、蒼の名前を呼んでいる。


 目の前には、正真正銘、私がいた。


 ああ、なんて綺麗な私。お風呂上がりなこもあって、今日も可愛くて麗しい……じゃない!


 やっぱり入れ替わってる!


「蒼! 好き、好き!」

「あ、ちょっと、先輩っ」


 私……じゃなくて、人間になってるアカネがものすごい勢いで蒼に飛びつく。蒼に抱かれていた私は、弾かれるように吹っ飛ばされてしまった。


「蒼! 蒼! 舐めたい!」


 アカネが蒼を押し倒す。


 蒼が抵抗する素振りを見せても、おかまいなしにその舌を蒼の首筋に這わせた。蒼は身体をびくっと震わせて、アカネを押しのけようとする。


 アカネはよほど嬉しいのか、蒼のシャツをめくると中に顔を突っ込んだ。


「待って、先輩……も、もう入れ替わってるんですか?」


 なんとか引き剥がそうとする蒼だったが、アカネの勢いにすっかり負けてしまっている。


 アカネは蒼を完全に組み伏せると、シャツの中でもぞもぞ動き始める。というか、もうほとんどシャツはめくれあがってしまっている。お腹にはてらてらと光るものがあり、それが唾液なのだと気付くと、私はその場で飛び上がりそうになった。


 ちょちょちょっと! それ私の身体なんだけど! 勝手なことしないでよ!


「にゃにゃにゃい!」


 私は慌ててアカネのお尻を叩いた。


 しかし、アカネは止まらない。蒼のシャツをまどろっこしそうにスポーンと脱がせてしまうと、蒼の胸元に顔を埋めた。


「好き、好き。ぎゅむぎゅむ」

「あ、アカネ……」


 蒼が、私の姿のアカネを抱きしめながら、トロンとした顔をする。


 ばっ、ちょっと! 私の目の前でなにしようとしてんの!?


 ああもう! あんたもしっかりしなさい!


 私はアカネを止めるのは諦めて、蒼の顔をぱしぱしと叩いた。すると蒼も正気に戻ったようで、ハッとするとアカネを引き剥がした。


「蒼? なんで? いつもみたいにしない? ちゅーは?」


 私の姿のアカネが、小首を傾げて、唇をすぼめる。


 くー! 我ながら可愛いわね! その仕草いただき……じゃない!


 こら! アカネ! 話があるからこっち来なさい!


「にゃ、にゃにゃあ!」


 こんだけ鳴いてるのに、アカネはちっとも私を見ない。目の前に自分と瓜二つの猫がいたら普通驚くでしょ!?


 アカネは猫が座るみたいに、股の間に手を入れて正座のような形を取った。人間がすると、なんだかおしっこを我慢してるみたいに見える。……やめてほしい。


「本当に、アカネなの?」


 平静を取り戻した蒼が、まだ疑いの余地を残した表情で聞く。


「うん! アカネ! 蒼のこと好き!」


 私も茜なので、すごく紛らわしい。蒼も同じことを思っていたのか、考え込むように眉間に指を当てた。


「ぎゅむぎゅむする?」

「するー!」


 アカネが蒼の胸に飛び込んでいく。猫ではなく人間なので、パワーがすごい。蒼が吹っ飛ばされた。


「先輩の頭がおかしくなったか、本当に入れ替わったかの二択ですね」


 アカネに押し倒されながら、蒼が私を見る。


 そうよ。そして私の頭はいつだって正常で聡明で賢いのだから、後者に決まっているわ。


「んにゃにゃ」

「何を言っているのかは分かりませんが、どうせ自画自賛をしているのでしょう。猫になっても性根は変わらないんですね」


蒼が呆れたように私を睨む。


 な、なんでわかんのよ……。   


「そうだ、翻訳アプリ」


 蒼が機転を利かせて、スマホを開いてくれる。


「何か話してみてください」


 そっか、あの翻訳アプリがあればこの状態でも蒼と会話ができるんだ!


 でも、あの翻訳アプリがそもそも信憑性のあるものなのかをまず確認しなくちゃ。


 えっと。


「んなな」

「えっと『私の姿のアカネに押し倒されて、照れてんじゃないわよ』?」


 蒼がアプリに表示された文字を読み上げる。


「あなたに照れたんじゃありません。中身がアカネだから照れたんです」


 ああそうですか。


「自動読み上げ機能もあるみたいなので、それを使いましょう。『ああそうですか』。ええ、そうです。大切なのは中身ですから」

「みゃおみゃ」


 私がそう鳴くと、翻訳アプリが読み上げてくれる。


「ともかく、部屋を跳ね回ってるそいつを止めなさいよ」


 これで会話は滞りなくできそうだ。


「分かってます。アカネ、ほらアカネおいで」


 静かになったと思っていたら、アカネはベッドの上を飛び回っていた。もちろん私の身体なので、ベッドがものすごく軋んで、目覚まし時計が床まで吹っ飛んでしまっている。


「こらアカネ! それ私の身体なんだから! 勝手なことしないの!」

「わあ、鬼だ」

「誰が鬼よ!」


 アプリの読み上げ機能はあくまで機械音声なので、この声の抑揚含めてアカネに届けられないのがもどかしかった。


 アカネは蒼に寄りかかると、すりすりと頬ずりをした。蒼は終始戸惑っているような顔をしていた。


「しかし、そうですね。入れ替わりについては、私も信じるしかないようです」

「分かってくれた? だから昨日、私がしたことは全部アカネがやったことなの」

「そして、アカネがやったことは先輩がやったことでもあると」

「それは忘れるって約束でしょ……」


 自分でも藪をつついたと思ったのか、蒼がシャツの裾をギュッと握る。アカネのヨダレがついたのか、シミができていた。


「で、どうするんですか」

「どうするもなにも、どうすんのよ」

「オウム返ししないでください猫のくせに」

「う、うっさいな。とにかく、いろいろと試行錯誤するしかないわ。原因もわからないんだもの。前例があればいいのだけど、あるわけもないし」


 猫になってしまう現象なんて、もちろんインターネットで検索してもでてくるわけもなかった。出てくるのは絵本とか童話ばかりで、猫になりたい男性のドキュメンタリーなら出てきたけど一日日向ぼっこしてるだけの退屈な動画だった。


「アカネ、あんたは何か分かる?」


 蒼の顔を見てニコニコしているアカネにも聞いてみる。


「んーん! わかんない。あのね、でもね、夜になるとへんな場所にいくのはわかるの」


 まだ話すのに慣れていないような、舌っ足らずな喋り方だった。

 

「ああ、それね、私の部屋なのよ。あんたと私は、八時になると入れ替わるの」

「あの部屋、ボーリングができるの。たのしい」

「あれはボーリングのピンじゃなくて私のコスメなの! あんた全部倒してったでしょ! 遊ぶのはいいけどちゃんと戻しておいてよね! ……というより、ボーリングは知ってるのね」

「わからなかったの。でも、あの部屋にいくようになってからわかるになったの」

「興味深いですね。それって、人間になったから、人間の言葉をある程度理解できるようになったということでしょうか」


 蒼の推測はたぶん合っていると思う。


 私が猫になったときは、私が人間だったときの記憶、知能を引き継いで猫になった。だから猫の状態でも思考することができた。知能まわりにはなんの変化もないように見えるけど、理性に関してはまた別だ。


 私は猫になっている間、理性を保つことが少し難しくなっていた。蒼のシャツの中に無性に飛び込みたくなったりしたことがあったのも、その弊害だと思う。


 つまり、私は知能は劣化していないが、理性が猫の部分に浸食されていたということになる。


 その理屈で考えると、人間になったアカネの知能が、人間側に引っ張られるということも充分あり得るだろう。そして、私の知能や記憶がそのまま引き継がれたのと同じように、アカネは猫の本能を引き継いだまま人間の姿になっている。。


「蒼、撫でて」


 アカネが上目遣いで蒼を見つめたあと、懇願するように顎を差し出した。


 な、なんてはしたないポーズ……!


「アカネは、どうして入れ替わりなんて起きてしまっているのか。どこか心当たりはない?」

「んー、ある!」

「え、あるの!? なに!? 教えなさい!」

「蒼、撫でて-」


 どうやら、その顎を撫でてもらわない限り口は開かないつもりらしい。


 蒼と目配せをする。本当は嫌だけど、背に腹はかえられない。蒼も同じ考えだったようで、アカネの顎にそっと触れて、優しく撫でた。


「蒼、きもちいい」

「そう?」


 アカネと蒼が見つめ合いながら、そんなことを言う。


 ああもう。私の姿でそんなことしないでよ。


 撫でてもらっているのはアカネなのに、何故か私がされているような気分になる。そして、してもらいたいという気分にも。


 ああやって顎を撫でられるのは、確かに気持ちがいいのだ。


 満足したのか、アカネはぴょいっと蒼から離れると、いつもの調子でタワーに登ろうとした。当然登れるわけもなく、ドターン! とタワーと一緒に転倒する。私と蒼は同時に頭を抱えた。


「あかねが蒼を知りたいって思ったから、入れかわった! これは、猫の神様のおこころづかいなの!」

「猫の神様ぁ!?」


 突然スピリチュアルな話になって出鼻をくじかれる。


「猫神さま、あかねのこと好き。だから、アカネと入れ替えたの! そうすればあかね、蒼のことたくさん知れる!」

「じゃあ、その神様の粋な計らいのおかげで私はこうしてあんたと入れ替わってるってわけ?」

「そう! あかね、感謝すべき!」

「あらそうなの。なら、その猫神様とやらに伝えておいてくれるかしら」


 タワーと一緒にひっくり返っていたアカネの首根っこを掴む。


「余計なお世話だからさっさと戻しなさい! 神様だかなんだか知らないけどあんたのせいでこっちは迷惑してるのよ! この疫病神!」

「いやー! 鬼ぃー! 鬼と神様ってどっちが強いのー!?」

「鬼に決まってんでしょ!? さっさと出てきなさいポンコツ神様!」

「恩? アカネ、恩ってなんなの?」


 蒼が仲裁に入るように、アカネに問いかける。


「アカネは蒼を知らなきゃいけないの。蒼も、アカネに自分をおしえなきゃいけない。じゃなきゃもどれないの」


 けど、入れ替わった時期のことを考えると合点がいく。


 あまりにも連携が取れていないから、互いのことを知れと監督に言われて、一緒に登下校をしたり、泊まりをするようにした。あのあたりから、私はアカネを入れ替わるようになったのだ。


「はい、あくしゅ。蒼、あかねにいっぱい教えるの。それであかね、戻る」

「教えるって言っても……」


 蒼が困惑の表情を浮かべる。


 私も、この話について行けているとは言えない。入れ替わりを止めるその条件が、抽象的すぎるのだ。


「たとえば、下着の色。下着の色はれでぃーのヒミツなの。それはすっごい仲が深まるの。神様もきっと納得するの」


 私と蒼は、また同時に頭を抱えた。


「下着の色は……知ってる」

「にゃあ?」


 なんにも知らない子供のような無垢な顔で、私の姿をしたアカネが、小首を傾げた。


 私と蒼は、お互いに目を逸らしたまま押し黙るしかなかった。

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