2話

【2】


 ハイボルトは善意で始まった自分の研究が人類に貢献すると信じていた。

だが、やはり懸念した通り甘い話などは存在せず、その国こそ…世界を軍事的に脅かしている独裁大国・ゾル人民民主共和国だった。

彼は知らなかった。その国が非人道的な人体実験の末に人の魂を直接エネルギーに変換する禁忌の技術の研究に手を出していることを。

ハイボルトはゾル人民民主共和国の地下深くにある研究施設に招かれた。そこでは白衣を着た恰幅のいい中年男性が胡散臭い笑顔を浮かべハイボルトを迎えた。


「ようこそハイボルト・ラプタイド君

私の名はヴォルグ・セルペンメン…国の命でこの研究所を任されている者だ

論文を読んだが君の着眼点…才能は素晴らしい。それを腐らせるのは勿体ないと思った故に私が招いたのだ

この施設の一室を与えるから存分に使って欲しい。人員や機材で必要なものがあれば黒服達に遠慮なく申し付けてくれたまえ」


そう言ってヴォルグは手を差し出してきた。ハイボルトはその手を握り短い握手を交わした。

そしてハイボルトの研究は国家の最高機密として扱われ、惜しみない資金と最高の設備が与えられた。

しかし、そこには自由な議論も倫理的な歯止めも存在しなかった。

彼の周囲を固めるのは冷徹なゾル人民民主共和国の科学者たちと、常に彼を監視する謎の黒服の男たちだった。


「先生の理論は素晴らしい。しかし、精神波エネルギーの効率を劇的に向上させるには、生きた人間の神経を直接コアに接続する必要があります」


ヴォルグの部下であるゾル人民民主共和国の科学者が淡々と告げた。

ハイボルトは即座にその提案を拒絶する。人道に反する行いだと訴えたがヴォルグは表情一つ変えなかった。


「先生の理論を完成させるには、人体実験が必要です

そして、効率を最大化するには精神波の純度が高い若く健康な被験者が望ましい」


科学者の言葉に、ハイボルトは震えた。

それは、自身の研究が最も純粋な若者や子供たちの命を糧に完成されることを意味していた。

だが、ハイボルトも人道的理由から若者や子供を人体実験に使うことは断固として拒否した。

彼は声を荒げこの研究から手を引くと宣言した。

しかしその夜、黒服の男がハイボルトの部屋を訪れた。

男はハイボルトの母国の家族や、婚約者であるエイル・マドラックの写真を彼の目の前に突きつける。


「先生が協力しない場合…ご家族には不慮の事故が起こるかもしれません。

恋人のエイル・マドラック様は来週ドニンゴ国への飛行機に乗られる予定でその便は213号らしいですが…」


言外にいう事を聞かなければ親しい人間に危害を加える。黒服はそう言っているのだ。


「やめろ…それだけは」


「我が国はあらゆる国に工作員や諜報員を送り込んでいます。

当然、政治家や財界に官僚…警察組織にも我々の同志が数多く潜り込み浸透している。

無論、ハイボルト様のご家族やエイル様の動向も常に把握しておりますのでその事をお忘れなきよう…」


科学者の声は静かだったが、その言葉は氷のように冷たかった。

ハイボルトは絶望した。自分の理想を追求した結果が愛する人々を危険に晒すことになるとは…彼は屈服せざるを得なかった。


(エイル…君ほどの器量の女性ならばもう別の男の元に行っているかもしれないが…こんな私を軽蔑しないでくれ…)


エイル・マドラックは色素が薄いブラウンの長い髪を持つ美しい女性だった。

彼女とのなれそめは偶然である。喫茶店で女性が傘を忘れていたので届けに行ったら偶然彼女と接点が出来たのだ。

それからお礼がしたいというマドラックと少し話し、ハイボルトの研究の話を聞いた二人は徐々に接点を深めていき彼女の両親も研究職だったこともあって婚約までの時間はそうかからなかった。

だが、最近はハイボルトが研究にのめり込み過ぎて彼女との時間が取れなかった。

それでもハイボルトは彼女の事を愛していた。彼女以外を自分の伴侶とすることを認めないほどに。


「……若者や子供はだめだ。せめて…重罪人か身寄りのない老人にしてくれ…」


ハイボルトが震える声で提案した。黒服の男はニヤリと笑い、彼の提案を承諾する。数日後、一台のトラックが施設に到着し、痩せこけた老人が十数名降ろされた。

彼らは皆、傷だらけで人生に疲弊しきった目でハイボルトを見つめていた。

その視線にハイボルトの心臓は締め付けられるような痛みを感じた。


(許してくれ…科学の発展の為なんだ…)


実験は始まった。一人の老人が拘束具で固定されたベッドに横たわる。

ハイボルトは顔をそむけた。彼は自らの手を汚すことを拒んだが、彼の理論を基にした装置が稼働するのを目撃する。


「ソウル・コンバーター、稼働!」


ヴォルグの声が響き、装置のコアが淡い光を放ち始めた。

装置に固定された老人の体から透明な光の粒子が吸い上げられ、チューブを通してコアへと流れ込む。

計測器の針がこれまでにない速度で跳ね上がった。

その数値はハイボルトが理論上でしか予測していなかった、莫大なエネルギー量を示していた。

老人の体はみるみるうちに干からび…やがて動かなくなった。


(やった…成功したんだ…尊い犠牲だが…僕の理論はやはり正しかった…)


老人の屍を前にハイボルトは自分の研究が正しかったことを確信した。

彼の研究は一つの命を犠牲にして初めてその真の力を示したのだ。

だが、その犠牲はこれからも続く。今度は老人ではなく比較的若い囚人だった。

死刑相当の罪人に対してはハイボルトの心もそこまで痛まなかった。

科学の為にその命を役立てることが出来るのだし、どのみち処刑されるくらいならいっそ研究の役に立ってもらおう…とハイボルトは心の中で詫びた。

彼の理想と引き換えにゾル人民民主共和国の闇に手を染めることになったハイボルトの手の震えは止まらなかった。

暫くハイボルトは自分の枕元に立つ亡者共の幻覚を見るようになり、満足に眠ることが出来なかった。





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