エコーズオンライン Echoes Online

ラジウムyuki

第1話 ログイン

 新作VRMMOエコーズオンライン。この作品はAIによる【スキルの自動生成】が売りの作品であり、いま最も注目の集まるゲームだ。


「エコーズオンライン‼︎コイツを買うのにどれだけ苦労をしたか…」

「通販サイトとの格闘や店舗販売の長蛇の列にあれやこれやで…」


 箱を開ける前に、一度、深く息を吐いた。

 銀色のロゴ──エコーズオンライン。艶のある紙肌を親指でなぞると、微かな凹凸が指紋に引っかかった。封のビニールに爪先を差し込み、音を立てないように切れ目を入れる。ふっと空気が入れ替わり、紙と新しい樹脂の匂いが立ちのぼる。


 ここまで来るのに時間がかかった。抽選に外れ、エラー画面に弾かれ、更新ボタンを叩き続けた夜がいくつもある。昼休み、机に突っ伏してため息をついた俺に、城ヶ崎 晴人が肩をすくめて言った。


「運も実力のうちって言うけど、今回はさすがに運だな、神谷」


 続いて、榊原 真は笑って背中を軽く叩いた。


「そのうち来る。来なかったら店頭特攻だ。並ぶのもイベント」


 結局、二人の言うとおりになった。地方の量販店で第1陣抽選があると聞き、始発に乗って列へ並ぶ。冬の朝の冷気が骨に沁み、吐息だけが白く膨らんでは消えた。誰も喋らないのに、期待と緊張が列の長さに比例して重くなる。不意に、番号が呼ばれた。自分の数字が口の形になって音に変わるのを聞いた瞬間、肺の奥までスイッチが入る感覚が走った。


 帰り道、必要以上に心配しながら胸に抱え込んで歩いた。人の気配が近づくたびに半歩ずれる。雨も降っていないのに、腕の中の箱を庇う動きになっていた。臆病だと笑えるのに、笑えないくらいには真剣だった。


 椅子に腰を下ろし、両手をひらく。


 勝ち負けに縛られていた時期はたしかにあった。射撃のVR競技、格闘のVR対戦。世界の舞台で名前を呼ばれた。でも今、鮮やかに残っているのは、トロフィーや歓声そのものじゃない。ルールの隙間を見つけ、そこに遊び方を差し込む感覚だ。勝てば嬉しいし、負ければ燃える。どちらに転んでも次があるなら、それで十分だと体が知っている。


 顎紐を軽く引き、ヘッドセットを被る。

視界の端が暗く落ち、外界の音が遠ざかる。スイッチを押すと、漆黒が一瞬で白に反転した。


 ふわりと重力が軽くなる。だが足下にはしっかりと床の“手応え”がある。床は見えないのに、立っている実感だけが確かだ。壁も天井もない。無限に広がる、影のない白。息を吸うと音が吸い込まれ、吐くと微かな風だけが胸の前を撫でる。孤独というより、無音の聖域。


「エコーズオンラインへようこそ。キャラクター作成を開始してください」


 無機質な声が、鼓膜ではなく頭の奥に直接落ちてくる。正面の白に微細な粒子が集まり、人影の輪郭を描き始めた。女剣士。銀の髪を高く束ね、黒鉄の鎧を静かに鳴らし、背には幅広の大剣。瞳は濁りがなく、こちらを真っ直ぐに射抜く。


「私が案内役、アイラだ。ここで基礎を叩き込む。ついて来い」


 低く、無駄のない声。虚飾も愛想もないのに、どこか安心する。戦場の音だ。


「……戦えるのか?」


 気づけば口が先に動いていた。強そうなものを見れば試したくなる。反射だ。


「強いやつとしかやらん。今のお前はまだ足りない。面白くなれ。そうしたら相手をしてやる」


 事実だけの言葉が、胸の奥に小さく火を入れる。いつかこの剣士と斬り結ぶ。避けられない未来だと理解し、避ける気がない自分に気づく。


「まずはキャラを作れ。名前、外見、声、種族。お前の戦いに必要な形を決めろ」


 手元に透明なパネルが滑り込む。指先を合わせると、わずかな触覚が返る。入力の噛み合わせが良い。気持ちがいい。


「名前は……レンで行く」


 呼びやすく、呼ばれやすい音がいい。城ヶ崎と榊原にも、ゲーム内で呼ばれてすぐ反応できる音。漢字よりカタカナのレンを選ぶ。視界に入った瞬間、余計な意味がまとわりつかない方がいい。


 外見のスライダーを少しずつ動かす。髪は黒。瞳は深い青。頬の線をわずかにシャープに、体格は現実の自分から過剰に離れない範囲で絞る。声は一段低く、濁りを減らして通りを良くする。鏡面のウィンドウに映るレンが、瞬きとぴたりと同期した。遅延は気にならない。首を回すと、反対側の視界が薄く滲み、すぐに補正で消える。許容範囲。良い。


「次は種族だ」


白い空間に浮かぶパネルに、いくつかの種族のシルエットが並んでいる。

 ヒト、ビースト、エルフ……そして「???」と伏せられたシークレット枠やランダム枠。

 俺がまじまじと見ていると、横からアイラの声が飛んできた。


「最初に決めるのは“種族”だ。戦い方の基礎がここで決まる」


「……ふむ」


 説明を聞きながら、俺は一覧を眺める。


• ヒト

 「最も標準的な種族だ。スキル枠は七、加えて初期専用二枠。合計九。器用さと拡張性に優れる反面、特化した能力はない。だが、バランスの良さはどの局面でも通用する」


• ビースト(獣人)

 「肉体に優れ、反射速度や筋力が高い。匂いや音に敏感で、戦闘中の“感覚強化”を固有に持つ。スキル枠は六。少なめだが瞬間的な爆発力は群を抜く」


• エルフ

 「魔力との親和性が高い。魔法スキルの習得効率が良く、精密な操作も得意だ。スキル枠は七でヒトと同等。ただし肉体的な耐久は劣る。戦闘より支援や遠距離向き」


• ???(シークレット/ユニーク種族)

 「条件を満たした者にのみ解放される。最初から選べるわけではない。だが存在を知っておけ。世界には、お前の想像以上の種が眠っている」


• ランダム(シークレット/ユニークの可能性あり)

「ビースト等にも種類がある。ワーウルフやデスベアとかだな。ビーストを選んだやつは最初の設定などからやりたい性能の獣人に近くなるようになっているが、ランダムは全ての中からランダムに排出されるから、いきなり最強と呼ばれるようなやつもいるだろう」


「そうだな、ランダムも楽しそうだがヒトで行こう。汎用性は試す幅だ」


「悪くない選択だ」


 初期スキルの選択画面が広がる。目の前に浮かんだ半透明の〈ヒト〉専用と書かれたパネル。そこには、基礎的な動作や技術がリストアップされていた。まるで教科書の目次を眺めるような気分だ。


「……こんなにあるのか」


 思わず声が漏れる。剣術、体術、魔法の素地らしきものまで並び、細かい補助系のスキルも多い。全部取れるわけじゃないのが惜しいくらいだ。


 横から、アイラの低い声が届く。


「専用枠は後から得たスキルを入れられない。最初に選んだものを活かしたいなら、統合や熟練で強化するんだな」


 なるほど。つまり、最初の選択がずっと足を引っ張ることもあるし、逆に最後まで武器になることもあるってことか。制限がある分、選び方に意味が出る。


• 剣術基礎

• 盾術基礎

• 短剣基礎   etc…


 俺はパネルの中から、気になったものを一つずつ詳細を開いてみる。


• 体軸保持(パッシブ)

 「姿勢補正。攻撃や回避時のブレを軽減」

 ──基礎中の基礎。格ゲーでもFPSでも、軸がずれれば全部台無しになる。絶対に外せない。


• 呼吸法(パッシブ)

「呼吸を整え、戦闘中のスタミナをわずかに回復」

 ──スタミナがどれほど重要かはまだ未知数だ。でも“呼吸”という行為は派生の余地が多そうだ。瞑想、集中、精神統一……追加で伸びる匂いがする。


• 目測(パッシブ)

「対象までの距離感を直感的に補助」

 ──俺に向いている。間合いを外さない補助は、投擲や狙撃にも繋がる。


• 受け身(自動発動)

「転倒や吹き飛ばしを受けた時、ダメージを軽減」

 ──これはほぼ必須だ。対人戦でもモンスター相手でも、転んでそのまま終わるのは笑えない。


• 短剣基礎(アクティブ)

「短剣を構える。攻撃精度と操作性が上昇」

 ──軽くて壊れやすそうな武器だが、軽さはパリィやカウンターに向く。スピードを活かせば俺の性格に合う。


 俺は頷き、声に出す。


「“体軸保持”と“呼吸法”を専用枠に固定する。残り三つは通常枠に」


 アイラが鋭い視線で確認する。


「理解は早いな。だが忘れるな。最初の選択はずっと残る。強みにも足枷にもなる。面白さを選ぶなら、それも悪くはない」


 その言葉に、思わず口角が上がる。

 足枷ですら面白い。なら、何を選んでも後悔はしない。




 HUDと操作の調整に移る。クイックスロットは四枠、透明度は七割。通知は右上に出し、二秒で半透明化して履歴にスライド。視線追従は切り、手首の角度でメニューを開く。音量は環境音を少し上げ、人の声を一段落とす。右手に主要アクション、左手に補助を集約。指先とUIの反応が噛み合った瞬間、肺の中の空気がひとつ軽くなった。


「すぐに敵を出すこともできるが、まずは体を動かせ。走れ。跳べ。構えろ」


「了解。……走る」


 地を蹴る。足裏に反発が返る。視界が揺れるが、不快なブレではない。呼吸に合わせて心拍が上がり、ステップを半歩、斜め前へ。重心が滑る感触。遅延がコンマ二ほどある気がするが、三度繰り返すと馴染んで消えた。ジャンプ。ふくらはぎが張り、着地では圧が足首から腰、背中へ抜ける。現実に限りなく近いが、現実より“ちょうどいい”ところで止まってくれる。


「素振り。拳と踵」


「了解」


 拳を握って空を切る。空気抵抗が指に絡み、肩の根本が重くなる。踵で床を感じ、膝の屈伸を整える。蹴りに切り替えると、股関節の前面に筋肉の連動が走った。動きに対するフィードバックが、嘘をつかない。


「……リアルだ」


「ただ動けばいいわけじゃない。この世界では、行動の記録をAIが解析し、技として認められた時に初めてスキルになる。ばらばらな動作を何度繰り返しても、技にはならん。意図を刻め。型にしろ」


「AIが俺の動きを“技”と判定するのか、やはり改めて聞くと面白いな」


 思わず声が漏れる。感情の温度が上がる。スキルは本で覚えるのではなく、動きで生まれる。なら、ここでやるべきことは単純だ。


「スキルは無数に生まれうる。誰かが一度でも形にすれば、以降は他の者も早く得られる。ただし“最初に形にした者”だけは、その瞬間にしか分からん。初取得は本人のUIにだけ小さく表示される。聞かれれば、私が教える」


「初取得の名前を?」


「ああ。『その技を最初に形にしたのは誰か』。私に尋ねれば答える。掲示板が騒ぐのは、その後だ」


 噂は遅れて広がる。先に遊ぶ者が得をする。それでいい。俺は先に走る側でいたい。


「もうひとつ覚えておけ。武器は原則、摩耗し、壊れる。刃は鈍り、柄は軋み、盾は欠ける。壊れないのは一部のユニークだけだ」


「壊れるなら、壊れる前提で動きを組む。壊れない一振りがいつか手に入るなら、それまでの間に遊び方を増やす」


「良い返答だ」


 構えを取る。重心を前足に六、後ろに四。肩の力を抜き、肘で線を前に送るイメージを反復する。呼吸が整い、頭の中のノイズが減っていく。準備の精度が到達点の天井を押し上げる。現実で学んだことは、ここでも同じだ。


「難易度は三段階。簡単、標準、上級。上級は失敗込みで学ぶ構成だ。倒れて学び、起きて学べ。続ける者だけが残る」


「上級で」


「だろうな」


 アイラの口元が、ほんのわずかに動いた。笑ったのか、気のせいか。白の床に細い線が走り、周囲の視界がゆっくりと別の風景へ置き換わる。乾いた石畳。土塁。古い木柱。風はさっきよりざらつき、砂の鳴きが耳の奥で小さく擦れた。


「戦う前に、スロットを確認しておけ」


「通常枠は“目測/受け身/短剣基礎”で三つ使用、空き四。専用二枠に“体軸保持”“呼吸法”。新規で得たスキルは専用枠に入れられない。統合か熟練で初期スキルを伸ばすのが、最終的に効いてくる」


「理解は早いな。だが、“早い”と“上手い”は別だ。ここからは体に訊け」


「了解。それと、ひとつだけ」


「言え」


「初期街で、城ヶ崎と榊原に会う予定だ。合流の目印は?」


「広場の転送台だ。第一陣はチュートリアルを抜けてから落とす。到着地点は広場の周縁。合流は容易だ。だが、チュートリアルの長さはお前次第だ」


 楽しいほど遅れる。そういう予感がある。強いやつに早く会いたい気持ちはあるのに、寄り道でしか拾えないものがあると知っている。速度を落とす覚悟は、もうできている。


「もうひとつ。初取得の表示、見逃さない仕様だと助かる」


「視界の端に一瞬、印が出る。お前だけが見ることが出来るが、世界はその瞬間まだそれを知らない。だが、誰かが同じ筋をなぞればすぐに感づくだろう」


 噂が追いつく前に、面白い線を一本でも多く通しておく。それだけで十分価値がある。


「行け」


 アイラの声が、白と土の境目を断ち切る。足が前へ出る。靴底が石を噛む感触が、現実と同じ速度で膝から腰へ伝わる。心臓が一拍、余計に鳴った。


「面白くしてやる」


 声に出して言う。自分に向けて、世界に向けて。白い床の先にある石畳のさらに先に、最初の課題の影がちらりと動いた。まだこちらに気づいていない。準備をもう一段だけ整える。呼吸を合わせ、視線を地平に揃える。

 焦る理由はどこにもない。進行は遅くていい。遅いほど拾えるものが増えると、よく知っている。


 武器は擦り減り、刃は欠け、いずれ折れる。だが動きで作った“型”は残る。AIが見て、評価し、名前を与える。名がつけば武器より長く生きる。ユニークがいつか手に入るとしても、結局俺は同じことをする。動いて、試して、面白いほうを選ぶ。


 石畳の影が風に揺れた。足が自然に踏み出す位置を教えてくる。ただ今は、踏み出す直前の体の重さを、丁寧に味わっておく。

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