魔法学園から始まる、世界を救う冒険譚

ドキツ

第1話-伝説の始まり-

風が鳴いた。空が割れ、光の海が落ちてくる――そんな夢を、俺はまた見ていた。

 浮遊大陸が軋み、塔が折れ、誰かが俺の名を呼ぶ。『調律者』。そう囁く声はいつも同じなのに、掴めそうで掴めない。

 指先から零れ落ちる旋律を追いかける間もなく、胸の奥で心臓だけが強く刻んでいた。


「セイン! 起きろって! また寝坊か!」

 現実を叩きつけるのは、扉越しに響く大声。寮の窓の外では雲が流れ、空橋を渡る生徒たちの足音が一斉に響いていた。


 俺は跳ね起き、慌ただしく制服を羽織る。鏡に映ったのは黒髪が無惨に跳ね散った寝癖頭。

「くそ……」

 ぼやいていると、勢いよく扉が開き、栗色の短髪の青年が飛び込んできた。


「おお、やっぱり。お前って、いつも寝癖で始まるよな」

 軽口を叩くのは悪友のトーマ。明るい茶色の瞳はいつだって笑っていて、背は高く、快活な雰囲気が人を惹きつける。俺と違って要領もよく、女子生徒にさりげなく人気があるタイプだ。


「今日、小テストだぞ。しかも戦技のレオニス教官担当」

「……大丈夫。俺には秘技がある」

「秘技?」

「全力疾走」

「秘技じゃねえ!」

 即ツッコミ。笑いながら肩をすくめる姿は、緊張感を少しだけ解きほぐしてくれる。




 雲を渡る浮遊橋を駆け抜ける。見下ろせば、遥か下にヴァルキア大陸の草原が広がり、朝陽に黄金色の影を落としていた。


 胸元で、母からもらった小さなクリスタルのペンダントが鳴る。古びた石なのに、心臓の鼓動に合わせるように脈打つ。不思議な温度を帯びるその感覚が、俺を揺さぶった。


 稽古場に着くと、既に黒マントの男が立っていた。戦技科のレオニス教官。鋭い灰色の瞳に一瞥されただけで、背筋が自然に伸びる。


「アルク、遅い」

「すみません」

「言い訳は要らん。構えろ」


 木剣を握った瞬間、全身の雑念が削ぎ落ちていく。斬って、受けて、弾かれて。レオニスの剣筋は隙がなく、木の音が響くたびに胸が熱くなる。


「悪くない。だが――」

 肘をかすめた突きに、呼吸が止まる。

「上体が浮く。地を掴め。お前は軽やかさで誤魔化す癖がある」

「……はい」

「それと、そのペンダント。道具ではない。心を支える杭だ。頼るな。携えて立て」


 鋭い言葉に、胸の奥で火が灯る。俺は無意識に鎖を握りしめ、強くうなずいた。




 午前の講義が終わると、俺はひとりで図書塔アルカンティアに向かった。

 白大理石の塔は高窓から光を落とし、漂う埃の一粒一粒までもが、時間の重みを宿しているように見えた。


 閲覧申請を済ませ、椅子で待っていると――足音。

 軽やかで、しかし迷いのない歩調。


 顔を上げると、白い外套を纏った少女が受付に立っていた。


 彼女は十七歳くらい。肩にかかる銀の髪が、光を受けて淡く透き通る。大きな琥珀色の瞳は凛として澄み、まっすぐな背筋からは育ちの良さを感じさせる。それでいて微笑むと、年相応の柔らかさが顔を覗かせる――そんな“王道のヒロイン”を絵に描いたような少女だった。


 視線が交わり、彼女は俺の胸元を指さす。


「それ、綺麗ね」

「……この石のことか?」

「ええ。鼓動に合わせて光るなんて、不思議」

「見えるのか? 俺はずっと気のせいだと思ってた」

「わたし、音に近いものが“色”として見えるの。共鳴の色、って言えばいいかしら」


 ふっと微笑んだ瞬間、塔の空気が少し温かくなった気がした。


「私はミリア。転入したばかりなの。あなたは?」

「セイン・アルク。戦技科。今日は古文書を見に来た」

「奇遇ね。わたしも封印区画に用があるの」


 同じ目的を持っていたことに驚きながら、俺は胸の奥に言い知れぬ引力を覚えていた。




 監督官を待つあいだ、無言の時間が落ちた。

 何か言わねばと焦っていると、ミリアが小さく笑った。


「……さっきから気になってたんだけど」

「なんだ?」

「寝癖、まだ直ってないわよ」

「……っ!」

「ふふ。冒険に出る前に、まずは鏡に勝たなきゃね」


 肩を揺らして笑う姿は意外にお茶目で、思わず俺も笑ってしまう。清楚で神秘的なのに、ちゃんと同年代らしい一面がある――そのバランスがたまらなく魅力的に思えた。




 やがて監督官が現れ、俺とミリアは同じ組として地下へ案内される。

 降りる階段は冷気を帯び、古い紙の匂いが濃くなっていく。


「……転入してすぐに封印区画なんて、珍しいな」

 俺が問いかけると、ミリアは琥珀の瞳を伏せた。


「そうね。でも、わたしには確かめたいことがあるの」

「確かめたいこと?」

「うん……。いつか話すわ。今はまだ、言葉にできないから」


 その声音は、どこか切なげで、それでいて芯の強さを帯びていた。

 ただの学園生活ではない何か――彼女は秘密を抱えている。


 俺は胸のペンダントを握った。

 ――この出会いは偶然じゃない。そう思わされた。

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