経世の美女

@obakahuka

一話完結

ある美しい女がいた。

世界の誰もが、彼女を見ていた。

彼女を中心として、世界が動いていたというのは全く比喩ではない。

その女そのものが美とされ、彼女に近しいものほど美しいものとされた。

世界は、女の一挙手一投足を見張り、その全てを真似するようになった。

彼女は退屈だった、無理もないだろう、世界の、全てが自分と同じ動きをするのだ。

全く、気味が悪い。憂鬱だ。

彼女のために、城が建てられた、国が作られた、世界が回った。

本当に、つまらなかった。

桜の木が緑色になったころ、女が気まぐれに外を歩きにいった、本当は歩く必要なんてない、周りが運んでくれるのだから。

本当に、気まぐれだった。

そこで、彼女は目を見張った、大勢の人ごみの中で、

たった一人違う動きをする男がいた。

その場にいる全員が、女を見ている中、ただ一人、アリの行列を眺めていた。

女は生まれて初めて幸福を見つけた、彼女の幸福は、砂場で一粒の砂金を見つけるほど、簡単なものではなかった。

それは、恋というのだろう。彼女が生まれてから、絶滅してしまったものだった。

今、女は、世界でたった一人恋をしていた。

男に声をかけてみた、心底、迷惑そうだった、それが彼女をまた、喜ばせた。

 「名前は、何というのですか?」

 「いや、忘れたよ」

 「そんなこと、あるわけないじゃない」

 「いや、本当に忘れたんだ。皆あなた以外の名前なんて呼ばないから」

 「それでも、覚えているものでしょう?」

 「そうなのかもね」

男は一度もこちらを見ずにいった。

女は初めて人というものと会話したような気がした。 

男はそれ以上、何を言っても返事をしなかったが、また会いましょうというと、

会えたらね、とだけ返した。

それから毎日、同じ場所に通った。

長い時には、朝から晩まで、彼のことを待ち続けた。

そして、桜の葉が、ピンクに染まったころ、彼がいた。

女はほほを染め、しかし、相手にそのことを悟られぬように声をかけた

 「また会いましたね」

男はまた、あの嫌そうな顔をしながら 

 「そうだね」

とだけ、そっけなく返した。

その一言だけで、待ったかいがあったと思った。

彼はまた、アリの行列を見ていた。

そんなに、楽しいものなのですか、と尋ねると、彼は笑って

 「楽しくなんかはないよ」

と言った。

人の笑顔に、きれいと思ったのは、生まれて初めてだった

 「なら、私と話しましょう」

少し、驚いた顔をされた、がいいよと言われて、こちらが驚いた

 「断られると思ってました」

 「断ったほうが、よかったかい」

 「いいえ、嬉しいです」

それから、いろいろなことを話した、好きな作家が同じだというので、私は舞い上がった

彼も、初めてこんなに趣味が合う人を見つけたと嬉しそうだった。

 「やっぱり、蜜柑が一番好きです」

 「うん、小説から色を感じたのはあれが初めてだよ」

 「ほかの作家だと、キリギリスでしょうか」

 「僕も、太宰の作品の中で一番好きだよ」

そんなことを話して、別れた後も、何度も文通を繰り返した。

初めて、自分の中身を見てもらえたのだと、彼女は喜んだ。

それから、また、桜の葉がピンク色になったころ、

若い男女は、顔をピンク色に染め、男は震える手で彼女を押し倒し、

服を一枚ずつ脱がせた。

しかし、男は彼女の裸を見て、あまりの美しさに怖くなってしまった。

結局、男も世界の一部であった。

着るものも何もつけないまま、そのまま、飛び出してしまった。

一人残された彼女は、自分の美しさを呪った。

女は、鋏を手に取り、そのまま顔をぐちゃぐちゃに切り裂いてしまった。

そして、世界が自分の顔を切り裂き始めたとき、

だれも、自分のことなど見ていないのだと気づいた

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