ペクーロの銀鍵
藍家アオ
1-0-1 夢
もはや明るさを取り戻し始めた夜に、狭い部屋の主は戻ってきた。電気もつけず、服も着替えずにベッドへ倒れ込んだ青年は、3日ぶりに仕事から帰ってきたのだった。
「やっと……。」
そのあとに続く言葉すら口にできないほど疲れ切っている青年は、目を閉じるとすぐに眠りに落ちた。
時が経ち、紺色のカーテンから光が差し込むころ。青年は苦しそうな顔で眠っている。
「うう……。」
うなされながら、やがて飛び起きるようにして目を覚ます。
「またか……。」
青年は最近、悪夢に悩まされていた。徹夜を経てようやく睡眠をとれたかと思うと、そこで見る夢は全て酷いものだ。熊に襲われ、蜂に刺され、謎のエイリアンに連れ去られ、ドラゴンに噛みつかれ、そしていよいよ死んでしまうといったところで目を覚ます。寝ても覚めても地獄。そんな状況に置かれていた。
「はぁー。こんなことなら、いっそ……。」
言い終わる前に、スマホが着信を知らせる。彼には見慣れた文字が表示されていた。スマホを手に取りながら、青年は部屋を出る。その電話の内容など、一つしかないことを知っていた。
珍しいことに、青年はその日のうちにアパートへ戻ることができた。夜中ではあるものの日は跨いでいない。しかし疲労はたまっているのか、昨日と同じようにベッドへ向かいそのまま眠りについた。
「こら。休憩時間とはいえ、気を抜きすぎだぞ。」
体を揺すられた青年は目を覚ます。
「副隊長に見られたら、なんて言われるか。」
目の前には、白髪の美少女。
「ん?どうした。」
何も言わず、ぽかんとした表情を浮かべる青年。白髪の少女は、そんな彼のことを不思議に思い首を傾げる。そして青年は、すぐに気が付いた。
これは、夢だと。
「出発するぞ!整列!」
少し離れた場所から、男の声が聞こえる。号令がかかったようだ。周囲の人々は荷物を持って駆けだした。
「ほら。」
少女も続く。青年は慌てて立ち上がり、そのあとを追いかける。バランスがうまく取れず、転びそうになる。視点や体に違和感がある。手を見ると、幼さを感じる手だった。どうやら小さい体になっているようだった。
「次はなんだ……。」
もうここまでくると、青年はこの結末がわかりきっていた。どうせ死ぬようなひどい目に遭って、終わる寸前に目が覚めるのだろう。綺麗に整列している所に遅れて合流する。
「遅いぞ、ルモアル。」
髭を生やした白髪の男が、青年を睨みつける。
「返事は。」
「す、すみません。」
「よろしい。気を引き締めなおせ。」
ルモアル。俺の名前か、と理解した青年。そして、少なくともここは日本ではないようだということも。言語は日本語だが、まあ夢だ。細かいことは気にしない。しかし、夢の中でもこうやって上司に怒られるとは。寝ても覚めても変わらない状況にため息をついた。隣の少女は、怒られちゃったねと言わんばかりに顔をにやけさせていた。
「進行!」
白髪の男が音頭を取る。隊はその男を先頭に動き始めた。ここはどこなのだろうと辺りをきょろきょろと見回す。見る限りは洞窟のようだ。薄暗い空間、岩の壁に薄い空気。隊の数名が等間隔にランタンを持っている。
誰も喋らない。ただ足音だけが反響する。今回はやけにリアルだ、とルモアルは思った。背負っている荷物もかなりの重さがあるように感じられる。足は全く疲れないのは都合がいい。そう考えながら、腰の剣を珍しそうに触った。その挙動不審な姿を見た少女は、また首を傾げた。
「止まれ。」
静かに男は号令をかけた。一斉に足音が止む。ルモアルはもう一歩踏み出しそうになったところを、ぎりぎりで止まることができた。
「モンスターだ。」
ルモアルは背伸びして、頭の上からなんとか前方の様子を見る。確かにそこにはモンスターがいた。スライムやゴブリンといったような初心者向けのモンスターではない。明らかにそのモンスターは異常だった。黒く棘のある異形だが、どこか人型の雰囲気がある。
「離脱する……イレギュラーだ。」
いままで指揮を執っていた白髪の男の額に汗が浮かぶ。周りの人々が息をのむ。モンスターは背中を向けていた。その意識が向けられる前に離脱しようという考えのようだ。しかし、そう上手くは行かなかった。ぐるりと首だけを回してそちらを見る。ルモアルの背にぞっと悪寒が走った。
「あ……。」
ありえない速度だった。その怪物は音もなくルモアルたちの目の前まで移動していた。その異様に長い腕を振り上げる。一拍遅れて他の人々が飛びのく。しかし、ルモアルの身体は動かなかった。
死んだ。ルモアルはそう思った。今回の夢はこれで終わりだと。黒い異形の腕がルモアルの腹を貫く。
「は――。」
しかし。
夢は終わらない。
腹部から伝播する痛みがルモアルの脳を支配する。声を出すことすらできない。モンスターが腕を引き抜いた。ルモアルは倒れ込む。痛い、痛い。傷口に手をやると、熱い血が流れ出ているのが感じられる。これは夢ではないのか?次第に遠ざかっていく周りの人々の声をおいて、ルモアルは意識を失った。
「ルモ!」
真っ先に剣を抜いたのは、ルモアルに対して親し気に話しかけていた少女だった。その赤い瞳には燃えるような激情が浮かんでいる。
「フレイムハート!よせ!」
白髪の男の怒声が響く。が、その声は白髪の少女、フラモ・フレイムハートの動きを止めることはできなかった。フラモの剣が炎を纏う。男は舌打ちして、慌てふためく隊員たちに指示を飛ばす。
「戦闘員以外は離れろ……。いや、戦闘員もいらん。死にたい奴だけ来い。」
そういって男は黒いモンスターと戦闘中のフラモのもとへ移動する。加勢するようだ。このまま撤退することは不可能だという判断だ。数名の隊員がそれに続く。イレギュラーとの戦闘では足手まといになるといった考えの隊員も多いようで、ほとんどはその場から離れる。
一方戦場の情勢は、彼らが想定していたほど酷いものではなかった。副団長やフラモの苛烈な攻勢が続いている。その理由を、副団長である白髪の男は見抜いていた。
どういうわけか、イレギュラーの身体が崩れ始めている。ところどころに罅が見える。動くたび黒い粒子が舞う。戦闘で負った傷というよりは、自壊しているように見えた。
「はあっ!」
フラモの白い髪は、先端が燃える炎のように赤く染まっていた。振るう炎の剣が周囲の温度を上昇させる。いまだ若い彼女は、この迷宮探索隊第3分隊の未来のエースとして目されているほどの実力者だ。高位の貴族であるフレイムハート家の三女でもある彼女は、その特性である炎の心臓をフル回転させていた。しかし、その体にはモンスターによってつけられたいくつかの裂傷が見える。一方的な状況ではなく、なんとか有利に戦えているといった戦況だった。
「ひぃい、出血がすごい……。」
副団長と数名の戦闘狂隊員が駆けだすのと同時に、この隊で随一の腕を持つ救助員が倒れ込んだルモアルをなんとか回収し戦場から離脱させていた。ルモアルの背負う大きすぎる荷物に苦い顔をしながら彼を引きずって、遠くに移動していた隊に合流するとすぐに複数名いる救助班が駆け寄った。ルモアルの着ている白い制服は傷口である左わき腹から真っ赤に染まっている。
「あー、こりゃわたしじゃ無理だ。教会に行かないと。」
「そんなに深いのね。」
治癒の魔術を使うことができる隊員もいるが、ルモアルの負った傷はあまりにも深すぎた。応急処置のみを施して、あとは教会にいる高位の治癒術師に頼むしかないほどの重傷だった。
「まあ、生きて帰れればの話だけど……。」
そういって彼女たちは、いまだ火花の散るような戦いが繰り広げられているフラモ達を見やった。
いける。フラモ達の心には、このまま押し切れるという期待が浮かんでいた。黒いモンスターはもはや原形をとどめていない。燃え盛る炎の剣を振るいながら、フラモは決着の瞬間を虎視眈々と狙っていた。副団長は拳で戦うスタイルだ。結われた白髪を揺らしながら、銀の拳でモンスターに攻撃する。彼の打撃が当たる度に、ドンと鈍い衝撃音と共にモンスターからは黒い粒子が飛散していた。もはや最初ほどの勢いはなく、あと一押しかと安堵した瞬間だった。
「グゥオオオオオ!!!!」
黒いモンスターは雄たけびと共に交戦している隊員たちを振り払う様に吹き飛ばした。魔力が溢れ出す。
「まずい……か?」
バキバキと音を立てながら変形する。背には大きな黒棘が突き出し、爪はより長くより鋭く。崩れかかった体が嘘のように復元され、強化される。これからが本番だと言わんばかりの変体だった。
「ぐっ!」
身体は大きくなったが、より素早くなっている。一瞬でフラモの前まで移動すると、その爪で攻撃する。フラモは剣で何とか防御するも、その威力にのけぞってしまう。モンスターは途端に凶暴になり、嵐のように暴れまわる。攻勢だった迷宮探索隊はもはや防戦一方となっていた。戦況は一変した。
ルモアルが目を開ける。そこは暗闇だった。夢から醒めたわけではないようだ。その暗闇は見慣れたものではない。いままで見たこともないような、真の暗闇だった。光を求めるように辺りを見回していたルモアルは、ふと気配を感じて自分の正面に目を向けた。
「鍵守よ。」
響く声。しかし、そこには何も見えない。
「迷宮を巡れ。鍵を集めよ。門を開け。それによって……。」
次第に大きくなり、頭痛のように頭の中で響く声に顔を顰める。そして光が現れる。1、2、3、……。ルモアルを取り囲むように、それらは漂っている。
「!」
ズキン、と一際大きく突き抜けるような頭痛が走る。脳内で響く言葉は体中に痛みをもたらした。次第に意識が薄れていく。
「『■■』は完成する……!!」
視界がぼやけていく。もう目を開けていられない。そうして……。
倒れていたルモアルがばちりと目を開ける。何も言わず上体を起こし、立ち上がろうとする。
「お、おい。なにしてる。動くんじゃない。」
彼を救出した茶髪の医療班が、立ち上がり歩き出したルモアルを制止しようとする。しかし、止まらない。彼の足は戦場へ向かっていた。
ゆったりとした動きで嵐の真ん中へ歩いてきたルモアルの姿は、もはや異様だった。戦闘中の隊員たちが驚きを浮かべる。一瞬、時が止まったかのように動きが止まる。ただ一匹、黒いイレギュラーだけが、そのルモアルを見て動き出した。
ルモアルの手には妖しく光る銀色のなにかが見える。ゆっくりと腕を上げ、それをモンスターへ向ける。モンスターとそれの間に魔力が走り、隊員たちはバチリと走る閃光に思わず目を閉じる。次に目を開けたとき、そこにルモアルとモンスターの姿はない。困惑がその空間を支配する。しかし、すぐにその混乱は解ける。ルモアルが姿を現す。黒いモンスターの姿はない。
「ルモ……?」
血まみれの制服に身を包んだルモアルが立っている。様子がどこかおかしい。まるで石像のようにピクリとも動かない。駆け寄る隊員たち。
「お、おい!」
その目には光が無い。ルモアルの身体はゆっくりと倒れ込んだ。
ペクーロの銀鍵 藍家アオ @AiieAo
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