過剰摂色

in鬱

過剰摂色

 ふと絵を描きたいと思い立った

 物置きの奥にしまっていたパレットと多種多様な絵の具たちを引っ張り出してきて、画用紙もたんまりと用意した

 まずは赤い絵の具をパレットに出してみる。鮮明な赤がパレットに伸びる

 パレットの上で筆を使い赤を伸ばしているだけでも愉しみを覚える

 十分に赤を伸ばしたところで白い画用紙一枚の上に赤い絵の具を一滴垂らしてみる

 赤は水を得た魚のように、にじんで広がり白い画用紙をその色で染めていく

 にじんでいく様子に惹き込まれ、それが終わるまで見惚れてしまっていた

 好奇心の渦中へと飛び込み、もう一度赤を画用紙へにじませてみた

 先ほどと同様に白い画用紙の上で赤が広がる。そして、赤に染まっている部分と交わりその色合いを深めていく

 2つの赤が混ざることで新たな赤が生まれたのだ。その様を見て得も言われぬ興奮と感動に包まれた

 もっと見たいと思い、さらに赤を散らす。多方面で赤がにじみ画用紙を全体的に紅く染めていく

 様々なところで赤と紅が交わりその深みを増していく。その様は恋愛映画のラストシーンよりも感動的で胸にときめくものがあった

 赤の躍動に心を踊らせて一心不乱に赤を散らしていく

 だが、画用紙全体が紅く染まると先ほどのような感動は味わえなくなっていた

 それでも私は満足したので絵を描くのをやめた。絵の具を散らす、それが私の中では絵なのだ



 ――――――――――――――――


 その日、私はとても気分が良かった

 晴れやかな気分に身を任せ、外を自分の思うように歩いてみる

 普段はいかないような場所へ足を運んでみたくなったのだ

 記憶が曖昧になるくらいには離れた場所へやってきた

 ふと視線を逸らすとその近くに緑が優しく包んでいる公園があった

 思わず足を止め、その光景を脳に焼き付けたくなった

 そしてその中へと一歩を踏み出す

 その時、間違いなく世界が変わったのだ

 固いコンクリートを歩いていた私の足は、優しく包みこんでくれるような緑の大地に一目惚れした

 その足を一歩また一歩と踏み出していく

 心地いい歩みに任せて今にも踊りだしたくなる

 どんどん歩き進めていると木で出来た長机と長椅子が目に留まった

 原木から切っただけではないかと思うほど木の質感が丸出しになっている

 吸い込まれるように椅子に向かいそっと腰を下ろす

 冷たく硬い木の感触。だが、それがいい

 椅子に座り景色を眺める。時より聞こえてくる演奏とそよ風に体を預ける

 目を閉じて感覚を研ぎ澄ませている。自分の感覚が鋭敏になっていくのを感じる

 ここは一度演奏が始まればホールに、そよ風が吹けば私を優しく抱擁してくれる

 もはや概念のようなものである。まさに自由そのものを体現しているような場所だ

 目を開けると辺り一面の緑が視界を染めていく。その瞬間、強烈な感動を覚えた

 その体験が昨夜の鮮烈で鮮明な体験と重なる

 また絵を描きたいと強く思い、家に帰る決心がつく

 居心地の良いこの場所に私の足が惚れてしまい根が張ったように動かない

 ずっといると私もこの緑の一部となれる気がしてやまない

 その体験も非常に興味深いものだろう

 そんな想像を頭で膨らませ、その期待で胸を埋める

 椅子から立ち上がり足を大げさに大きく上げて根を引きちぎるように一歩を踏み出す

 一歩が出るともう一歩が出るのは容易く軽快な足取りで帰路につく

 自分でも驚くほど気分が晴れやかで足取りは軽い

 家に帰ってからどんな絵を描こうかと想像を膨らませるだけで足取りはさらに軽くなる

 ステップでも踏みそうなほど軽快でこの調子なら空も飛べるのではと感じてしまうほどである

 今回はどんな色を使おうかと考えるだけで胸が期待で高鳴る

 頭の中で様々な色を使った想像を膨らませてみる事はしない

 自分で考えを立ててから実物を見るのもいいが、今回はその体験をそのままに感じたい

 先入観を持ちたくないのだ。ただそこにある事実を、その摂理を受け止めたい

 想像を膨らませて歪んだレンズで見るのではなく自分だけが持っている唯一無二のそのレンズで純粋なままに見たいのだ

 自分が持っている、自分だけが持っているレンズが最高のカメラであると気づいたのは最近だ

 そんな事を考えているうちに見慣れた光景の町並みにやってきた

 夕日が町並みを橙に染め上げる。この僅かな時間でしか見られない町並みも見惚れるものがある

 町並みをレンズから零さないように余す事なく収めていく

 気が済むまで収めてから再び歩き出す

 

 

 ――――――――――――――――

 

 家に帰ってきて興奮冷めやらぬ中、忙しなくパレットと画用紙を用意する

 パレットには昨夜の赤が固まっており、その体験を想起させる

 今回は違う色を試したくなり、手に取った黄色の絵の具をパレットに現す

 筆を使って思う存分伸ばしていく。黄色がパレットの上でパン生地のように広がっていく

 赤を伸ばした時とはまた違うこの感覚はシェイクスピアでも叶わない。体が浮き上がるような胸のときめきを味わわせてくれる

 そして、満を持して画用紙へ黄色を一滴垂らしてみる

 黄色が根を張るように画用紙の上でにじんでいく

 街の景色を遠くから見た時の灯りのように眩く唯一無二の輝きを放っている

 赤をにじませた時とはまた違う光景に思わず喉仏が上下に動くのを感じた

 好奇心の波に飲み込まれ黄色を再び垂らす

 黄色は画用紙の上で自由を得た鳥のように羽ばたき、その色で染めてあげていく

 次々と押し寄せる好奇心の波に抗う事が出来ずに一滴、また一滴と垂らしていく

 にじんだ黄色と黄色が交わり色合いを深めていく

 それらが奏でるハーモニーは鮮やかで視線が釘付けになる

 黄色が気の済むまでにじんだ頃、ふと思いついた

 他の色も一緒ににじませたらどうなるのだろうかと

 思いついてから行動するまでの時間は、はやぶさでも追いつけない速さだったろう

 手始めに青をパレットに伸ばす。筆でその色を味わうように広げていく

 この色は手を伸ばせばどこまでも深く吸い込まれてしまう、まるで深海のようである

 色という平面にしかないものが立体的のように感じる、この強烈な感動は一生忘れる事が無いと確信めいたものがある

 この淡く透き通った、見る者を魅了する色を画用紙に垂らしてみる

 青が画用紙の上でにじむ姿は海に飛び込んだような錯覚を覚える

 冷たくも心地いいと感じる不思議な水が自分の体を包み込む。まるで大きな手のひらに包まれているようである

 自分の体が深海へと沈んでいくようだ、それなのに怖さは全く感じないどころかむしろもっと沈みたいと思う程である

 海に飛び込んだような感覚を味わえる色がどこにあるだろうか

 この体験は天然のウルトラマリンでも叶わないものであろう

 にじむ様子を見ていると青が黄色と交わりそうになっている

 視線を釘付けにして瞬きもせずその瞬間を心待ちにしている

 サグラダファミリアが完成する程の時間が経った頃、歓喜の瞬間を迎えた

 黄色と青が手を取り合い、踊りを始めたかようにすんなりと交わっていく

 優雅で魅惑的な色味を醸し出している

 混ざりあったその色は既視感のある鮮やかな緑へと変貌していく

 目の前の緑が外で見た緑と重なって見えた瞬間はその衝撃に思わず思考を手放した

 何も考えず、ただひたすらに衝動に身を任せていく

 緑も垂らして三重奏を見てみたくなった

 公園で見たあの緑が画用紙に広がり気ままにその色を伸ばしていく

 黄色と青が混ざりあった緑に元々の緑が混ざり深みを増していく

 鮮やかな緑から原生的な植物の持つ深く濃い緑へと変わっていく

 続々と押し寄せるさらなる好奇心の大波に身を投じる

 思いつく限りの色をパレットに伸ばす

 多種多様な色がパレットを埋め尽くす様に胸が興奮と期待で埋まる

 そして思う存分その色たちを画用紙に垂らす

 色たちは解放されたように画用紙の上でにじんでいく

 多方面で色と色が交わる。その光景に何かが爆発した衝撃を覚えた

 芸術とは爆発。その言葉の意味の真髄を解った









 色が自由気ままに、にじんで他の色と混ざりその色合いを深めていく

 一方では青と赤が、もう一方では黄色と緑が

 重なり合った色同士がさらに重なり合い再現不可能な深みを醸し出す

 それを繰り返していくうちに、とある一色の色にたどり着く

 先が見えぬ、居場所を見失う感覚を引き起こす色

 手を伸ばせば身体全体が吸い込まれるのではと思う程、深さのある色

 今、自分の心をにじむように蝕んでいる色

 全ての色を飲み込み自分の色に染め上げる独裁的で、エゴイスティックな色

 

 今、自分の視界を染め上げている色

 

 何の感触も、何の感覚も存在しない無である色

 

 どれほどの色を使っても最期にはこの色になるのだと体感した

 どれだけ晴れやかな気分になっても使い過ぎるとこの色に飲み込まれるのだと体験した

 

 あぁ黒い

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