第11話『包囲突破』
朝。公証院の前で箱を開けた。
灰の外套のメアが持ってきたやつだ。
ミルダ、サーシャ、帝都警護隊の副官が立ち会う。
中は薄い冊子。
見出しに細い字。砂環連絡帳・抜け。
頁ごとに「風棚」の合図板と対応する記号、時刻、倉の番号。
検問の配置と一致する印まで残っている。
「決まりだね」
ミルダが短く言う。
「これで“保守”の言い訳は通らない。試験運転をこっちで握る」
記録官が許可の紙を切る。
「公証院主導で風棚の羽根を一時稼働。設定は港門・公証院・警護隊の三署で共有。港務庁は立会のみ」
午の鐘が鳴る前、港の下に下りた。
羽根の角度は三度下げ。回転は半。
〈風路(ウィンド・トレース)〉が示す筋が、細門の前後で一本につながる。
「今日は書き換える」
俺は図を指でなぞった。
「門の外で右から、内で左へ。往復で同じ筋を走らせる。同時に流す」
サーシャが頷く。
「門番台は白旗優先。列が切れないよう、記録官を二人置く」
副官が言う。
「上空は警護隊が被せる。鉤縄は落とさせない」
広場に船が並ぶ。
昨日より多い。小舟四、中型三、重荷二。
先頭の袋はキサラが見る。縫い目は朝までに全部直った。
「合図は三つ。いち、に、今」
ティノが控えを抱え直す。
「順番は紙どおり。落とさない」
その時、黒の列が現れた。
港務庁の旗。今日は長官の名代が来ている。
「試験運転に異議。危険だ」
ミルダは紙を掲げた。
「三署合意。異議は審問で。現場は動かす」
名代は口を閉じるしかない。
羽根が回る。
砂の音が一段低くなり、風が細門に吸われる。
門の鎖が二尺下り、白旗が揺れる。
「一本目、入る」
小舟が筋をつかむ。
袋は三分の一。
帆が鳴り、舳先が軽く沈む。
続けて二本目。
門の内側では、逆向きの筋が立ち上がる。
内から外へも一本、出してある。
往復が同時に走る。
三本目で、黒の影が割り込もうとした。
倉の屋根から旗が上がる。灰と白の斜め。
死んだ旗だ。
メアではない。誰かが古い合図で列を乱そうとしている。
門番台が即座に鳴らす。
「無効旗。記録」
帝都警護隊が屋根に上がり、旗を下ろす。
列は途切れない。
四本目。
上空で薄い音。鉤縄が一度だけ見えた。
副官の合図で警護隊が被せ、飛行兵の進路を斜めにずらす。
鉤は落ちない。
キサラが袋を半分に調整。
「押さえる。舵は入れすぎない」
前の小舟が水平に戻る。
五本目。
港務庁の名代が門番台に紙を突きつける。
「停止命令」
ミルダが印影を光学器具にかける。
「新印単独。保留。白旗優先は続行」
記録官が筆を走らせる。
紙が盾になる。
六、七、八。
往路と復路が狭い場所ですれ違う。
〈風路〉の筋は一本に見えて、薄く二重だ。
鯨袋がわずかに膨らみ、船体が触れないように浮く。
音もなく交差する。
最後の重荷が門に入る瞬間、風が揺れた。
風棚の回転が一拍、遅れる。
誰かが下で手を出した。
サーシャの顔が固くなる。
「合図板の釘を打ち直してる」
ミルダが鈴を鳴らした。
「警護隊、下へ」
副官が短く命じる。
「公証院立会、入る」
俺は舵をやめ、桟橋に飛び降りた。
「キサラ、袋を保つ。ティノ、列を見て」
渠に下りると、薄闇の中で足音。
格子の前に人影が二つ。釘を叩いている。
「止めろ」
声が出る前に、警護隊が肩で押さえた。
釘が落ち、羽根が元の角度に戻る。
風が立ち直る。
重荷が細門を抜けた。
外でも内でも、歓声はない。
代わりに、息が一つに抜けた。
地上に戻ると、黒の列は退いていた。
名代は顔を赤くしたまま、紙を巻く。
ミルダが記録官に向かう。
「今の一件も審問の材料。釘、針、押しの癖。全部そろえた」
夕刻。
広場で数を取る。
往き八、帰り八。
一本も落ちない。
キサラが縄を巻きながら言う。
「やれた。風は書ける」
ティノが控えを机に積む。
「紙は重い。今日のは特に」
夜、公証院前に掲示。
「風棚の管理、港門・公証院・警護隊の三署に移管。港務庁は当面関与せず」
字は短い。
十分だ。
倉庫に戻る。
焦げた板に手を置く。
焼け跡は残る。
でも、約束も残る。
「明日が判だ」
ティノがうなずく。
「七時十五分に出す」
「いつも通り」
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