『追放郵便士の俺、辺境で“砂海物流ギルド”を立ち上げたら国家の切り札になっていた件 〜スローライフしたいのに、配達するたび国境がひらく〜』

bnd

第1話『砂の便は止まらない』

砂は、降るより先に鳴る。

帆柱をかすめる粒が小さく震え、船体の骨に知らせを送ってくる。


「帆は半分。スピードは落とすな」

俺は舵を握りながら言った。

結び目を二度、きゅっと引く音。相棒のティノが合図を返す。

俺たちは血の家族じゃない。ただ、同じ便を守る者同士だ。


視界は茶色一色だが、風は層になって流れている。

〈風路(ウィンド・トレース)〉で覗くと、前方右に三つ“結び”がある。

そこを通れば、見張り台に死角ができる。


「三つで切る。いち、に、今」

帆が弾み、砂柱が割れた。

砂の谷間へ船体がすべり落ちる。揺れは一瞬、音が消える。

ティノが息を吐いた。「やっぱり見えてるね、レーン兄」

「見えるのは道だけ。届けるのは君だ」


空に赤い光が咲いた。検問の信号弾だ。

今年から“戦時規則”で、砂都に近づく船は全て停船になった。

砂海を行く者にとっては、実質の封鎖だ。


「どうする?」

ティノが聞く。声が少しだけ上ずっている。

「港門の上じゃ、向こうが有利だよ」


俺は荷箱の封蝋を示した。砂塵に汚れても、墨は滲まない。

宛名は――帝都港務長官。

俺の追放辞令に署名した名だ。

「戦は関係ない。俺たちは届ける」


合図旗が翻り、検問船が回り込んでくる。

先頭の船は新型だ。喫水線が高く、砂走りの脚が四本ある。

舵手の腕がいい。迂回しながら、こちらの前に壁を作るつもりだ。


「右舷、三番の袋を上げて」

「鯨袋?」

「ああ。風を喰わせる」


ティノが縄を解く。袋が膨らみ、船の横腹がふくらむ。

素直な風じゃない。砂混じりで、斜めから刺してくる。

でも、〈風路〉が示す筋は一本だ。


「寄せるよ。擦らせるな」

検問船と側面が近づく。距離は二杯の茶の間。

相手の隊長が拡声器で叫んだ。「港門で停船せよ。積荷を検め――」


最後まで言わせない。

俺は舵をわずかに切り、鯨袋に風を入れ替える。

袋が縮む瞬間、船が沈む。相手の船体の陰に潜り、砂のうねりが持ち上がる。

舷側が浮き、わずかな隙間が生まれた。

そこを通す。


「通過」

ティノが叫ぶ。

検問船が慌てて進路を変える。

赤い煙がもう一つ上がる。追走の合図だ。


「怒ってるね」

「怒らせるためにやってる」


港門が見えた。砂都ウィンドポート。

高い石の門に鎖のゲート。その上に弩砲が三門。

門番台の旗が黄色に変わる。警戒だ。


「入域申請は?」

「出してる。応答は遅い」

「じゃあ、見せよう。俺たちが持ってるのは武器じゃない」


俺は舵から手を離し、胸のポケットから封筒を一枚抜いた。

宛名は砂で薄れているが、読める。

幽閉区・第二皇妹付き侍女殿。

もう一枚は、帝都港務長官 私印照会。

この二通だけで、港の空気は変わるはずだ。


「ティノ、白旗。横に青い線を一本入れろ」

「了解」

白旗は停船でも降伏でもない。

“配達優先”の合図だ。戦時規則の余白に残された、古い取り決め。


門番台で喇叭が鳴った。鎖が少しだけ下がる。

半分だけ開く“細門”。

「通れる?」

「私たちなら通せる」


細門に入る直前、検問船が背後から迫った。

舳先の鉤爪が伸び、うちの舷側を掴みに来る。

俺は舵を切らない。

代わりに、ティノに目で合図した。


「砂縄、投げる」

「いいよ」


ティノが砂縄を投げる。砂粒を噛むように作られた縄が、検問船の爪に絡む。

次の瞬間、俺は帆を一段落とした。

船が沈み、縄が張る。

相手の爪は砂を掻むだけで虚を突かれる。

舳先がわずかに外れ、こちらの進路が空いた。


細門を抜ける風が冷たい。

砂都の内側は、砂の匂いに鉄と香料が混じる。

港の見張りが手旗で合図した。

「郵便優先、入域許可」――古い文法だが、確かにそう読めた。


ティノが肩を落とす。「助かったね」

「助けられたんじゃない。手続きだ」

「そういう言い方、嫌われるよ」

「嫌われても、届ける」


桟橋に寄せる。

縄を取って、船を固定する。

俺は荷箱の封蝋をもう一度見た。

帝都港務長官。あの署名。

手が、勝手に冷える。

理由は単純だ。

この荷は、俺の追放と繋がっている。


「レーン兄」

ティノが声をひそめる。「どうする? 開封はだめだよね」

「だめだ。開けない。届ける」

「でも、これ、長官のところに行ったら」

「行かない」

ティノが目を丸くする。「え」

「宛先はそうでも、経路は俺が決める。私印照会は、証人の前でやる。港務庁じゃなく、公証院で」


ティノは少し考えて、うなずいた。

「わかった。じゃあ、先に公証院だね」

「ああ。その前に」

俺は空を見た。

赤い煙は、まだ薄く残っている。

検問船はすぐに港内の許可をとって入ってくるだろう。

追いつかれる前に、こちらの筋を通す。


桟橋の向こう、石段の上に制服の女が立っていた。

港門の役人。肩章から見て、小隊長。

彼女は俺の手にある封筒を見て、少しだけ眉を動かした。

「郵便士。戦時規則に基づき、積荷の確認を――」

「公証院でやる。あなたの立ち会いで構わない」

俺は封筒を掲げる。「宛名と私印照会。手続きは、早いほうがいい」


女は一拍おいてから、短くうなずいた。

「ついてきて」


砂の音が遠のく。石畳を踏む音が代わりに立つ。

港の喧噪が近い。

俺は胸の内で、短く繰り返した。

届ける。

それだけだ。

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