ショートブック

シャーペン

サクラサク

 桜。儚くて、寂しい木。美しい時間が一瞬だけだから。

「…」

 まるで、人間のようだ。本当に美しい時間は、人生の中のほんの少しだけだから。

「あの!」

 でも、この世には咲くこともできない桜が何本もある。病気に犯されるのもそう。残酷に切られてしまうのもそう。そもそもとして、

「私と付き合ってください!!」

 花自体がついていない桜だって有る。


                   ◯


  貴方を初めて見たのは、入学式の日でした。桜に囲まれた一本道、そこにはたくさんの人が歩いていたのに、貴方だけが光って見えました。何故だったかはわかりません。シルクみたいに艷やかな黒い髪に、制服から伸びる、ほっそりとした白い手足が魅力的に見えた訳でも、バックに付けていたクマのキーホルダーが可愛かったわけでもない。だというのに、貴方の後ろ姿は私の心を一色にしてしまったのです。

 一緒に隣を歩きたい。その顔を、この目に焼き付けたい。もしかしたら、私の眼球はそのためについていたのではないかと考えました。でも、脳はそれを選択することができなかったんです。

 彼の後を着いていくだけで、心が踊って、顔が熱くなって、とても足をはやめることができなかったから。青春とか、思春期とか、恋愛とか。今の心に名前をつけるとしたらそんな名前になるのかもしれない。ただ、そう思うだけで精一杯でした。

 教室に入って、ビックリしました。貴方の席が私の前だったから。

 心臓が鼓動を早めて、視線が離れない。あれが俗に言うときめきという感覚だと気づくのに時間はかかりませんでした。そのときは先生の話も、いつの間にか作られていく友人関係にも興味がなくて、ただただ貴方が欲しかったんです。

 顔が見たい。そのことだけで頭が一杯でした。なかなか見ることのできない貴方のご尊顔を拝みたいがためだけに、私の脳は使われていました。焦らされる心も悪くないなと思いつつ、これ以上焦らされては私の心が持たないと思うところもあり、声をかけるという強行手段、いや、もはや最終手段に出るしか無いと脳裏にイメージがふつふつ湧いてきた頃、案外あっけなくその時は来ました。

 あ。その声は多分貴方に届いていたと思います。だって、あまりに不意打ち、あまりに予想外にその顔が見えたんですから。こちらに向いた、つり上がった目に固く閉ざされた口、ぱっとしないと普通は思われそうな雰囲気の顔。見た瞬間、心の色はより一層濃くなりました。貴方の目の奥に諦めの色が見えたからです。

「どうしたの」

 じっと我慢したご褒美か、声まで聞くことができました。暗くて、低くて、地の底に響きわたりそうな声。失礼ながら化け物みたいな声だなと思ってしまった私を何度も罰したい気持ちでいたのは、ここだけの話ではありません。(様々な思考の行き来や争いによって沸騰しそうな頭の片隅を使って、渡されたプリントを後ろに回すことができたのは最早奇跡でした。)

 家についたのは午後の日が暮れそうな時間。貴方の背中を追いかけたい気持ちを、両親という楔と縄でどうにか縛り上げた私は、暴れまわる気持ちに体を振り回されていました。(その時、母に笑われ、父に不審な顔をされた事をよく覚えています。)貴方の全てが知りたかったからです。普段、どんな事をしているんだろうか。貴方の家はどこだろうか。ご両親はどんなお方だろうか。恋愛の経験は有るのだろうか。もしあったのなら、いや現在も継続しているなら、どうしたものだろうか。全て些細な思考でした。ですが大事でした。国の終わりどころか、世界の終わり、いや宇宙の終わりでした。でも、宇宙の終わりよりも、もっと気になることが有ったのです。

 あの時、目の奥に見えた色は、一体何なんだろう。諦めという二文字が実に似合うあの色はどうして、何を思って染まってしまったのだろうか。残念ながら、その色は実に、運命のように貴方に似合っていました。きっと、背中からすら感じ取ることのできたその諦めこそが貴方の魅力なのだと気づいたのはベッドの上でのことでした。もし仮に、その色が消えてしまえば、それは私が恋した貴方では無いのです。そして、那由多の彼方のにすら無いであろう可能性で、私が貴方に告白できたとしても、貴方は決して私を好きで居るわけが無いのです。本当に、悲しかったです。涙はとめどなく溢れました。枕も布団も、服さえも濡らしては、涙を枯らしました。涙は枯れても、貴方への興味関心は決して枯れることはなく、むしろ湧き上がり、筆舌に語り難い色になっていきました。もう私には、這ってでも貴方に近づくことしかできなくなりました。

 次の日の貴方も、晴れる事なく、曇天を維持して足を進めていました。涙を枯らしたおかげとでも言うべきなのかはわかりませんが、自然と貴方の隣へと足は進みました。吸い込まれるみたいに、ゆっくりまるで風に乗せられたように。(その時、貴方が私に視線を送ってくれたことは、後になってようやく気づくことができました。)私は、こうして貴方の隣を長く歩くにはどうすれば良いか、考え始めたのも多分この時からでした。

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