パテナ・シンタータの誤算 第15話

 【バベルの図書館】への〝悪戯〟が一段落し、通常の構築作業をしていた。


 仮想世界に存在する【バベルの図書館】は、数多のサーバーや糸くずの塊のようなノードすらも仮想だ。そうやってシステムが自分を騙すようにして負荷を分散させ、能力以上の演算をさせている……という幻想とでも言えば最適なのか。この巨大な【バベルの図書館】を格納する現実世界のサーバーは、仮想世界にあるそれより塵のようなもの。小説『バベルの図書館』が実在すれば宇宙より巨大だという〝ボルヘス数〟に基づく面積らしいが、ぼくらの【バベルの図書館】はシステムを騙すプログラムと圧縮技術により、宇宙から生命体が生息する場所を奪われることはない。ていない。


「タタミ君、こちらの動作をモニター可能か?」

「ああ。ただモニタ自体にもノイズが多いね。ちょっと待って……」

「原因は、いま君が触れているナンバリングの末尾が5から9のノードだ」

「アイ・コピー。このノードは設計にないね。デバッグ時に排除しなかったのか?」


 まったく、パテナの仕事の早さには舌を巻く。同僚たちが超一流のエンジニアや学者であることに違いはないが、パテナだけが飛び抜けていると理解できる。小さな頃からシステム構築やセキュリティ関係で活躍し、世界は彼女を〝奇跡的な天才〟と呼ぶ。ぼくらが送る生活のどこかに、彼女の手掛けたものが介在している。この世界は彼女の才能無しで、ここまで住みやすい世界にはなっていない。


 この両惑星に住む以上、パテナ・シンタータという名を知らないと言わせたくない。


「昨晩はアパートメント近くまで送ってくれて感謝する」

「まあ、そういう時期だからね。これでどう? テストシグナルを打ってみて」

「大丈夫だ、心配ない。このノイズは、わたしが以前から走らせていたものだ」

「それはどういう意味だ? パテナ」


「君と二人きりになりたかった」


「二人きり? 監視モニタがあるし、多目に見てもらっているけど私語は禁止だ」

「監視モニタ上には、せっせと仕事をする二人のダミーが映っているよ」


 やはり、パテナが妙な組織にリクルートしていなくてよかったと思う。彼女は仮想世界に構築されたシステムのなかから、そのシステムに片手でハッキングをして、もう片方の手でダミープログラムを流すという手品をやってのけた。


「それで? 誰かに聞かれるとまずい話でもあるのか?」

「ロマンチックでない言い方だな」

「それはどうも。でも、ぼくよりパテナ・シンタータという女性のほうが、その点において長けているよ」

「それはどうも。貴重なご意見として参考にするよ。タタミ・グリズリゥ君」


「それで何だ?」

「聞きたいことがある。君はカマド女史に対して恋心があるのか?」


 また妙な噂が立っているのか、それともパテナの研究対象になったのか。


「昨晩、先輩から話を聞いただろう?」

「わたしが聞きたいのは君の気持ちだ」

「聞いてどうする? 君に話さなきゃいけない理由もない」


「それはカマド女史の件は聞かない方が良いという意味か?」


 いい加減に……と思いHUDユニットを脱いで隣のブースを見ると、パテナもHUDユニットを膝に置くところだった。


「どうしたんだ? パテナ」

「君は、わたしに好意を持っているか?」


 ぼくらが携わる【バベルの図書館】が世界の動向を左右しようとしている時に、色恋沙汰で盛り上がるほどの余裕があるのか。何故か、このチームには色恋沙汰に興味津々な奴らが多いのだけど、まさかパテナが感化されたのか。


 この脈略がわからない会話をしている時、惑星連盟本部で開かれていた環境会議では、あの大統領候補と足並みを揃えると声明を出した首脳が三人もいた。またひとつパチっと音を立てて、この宇宙で行われるオセロゲームの石がひっくり返ったのだ。誰が勝者なのかは、人類が宇宙の果てにたどり着いたときにわかる。世界の終わりは、いつもそこにあるというのに……という物騒な口癖を持つ〝奇跡的な天才、パテナ・シンタータ〟の、いつもの不機嫌な顔に白い髪がかかっていた。


「先輩だの、君だの……色恋沙汰で騒ぐ奴らに感化されたのか?」

「あんな奴らと一緒にしないでくれ。わたしはいつも真面目だ」


 こんな話をするために【バベルの図書館】にハッキングまでして、せっせと働くぼくらのダミーデータを流したのか。


「とにかく、今は勤務中だ。それに仮想世界と現実世界で動きが違うことへの言い訳はできない」

「それなら対処の仕方は考えている。バグをでっち上げて報告すればいい」

「それはどうも。君のおかげで減給や転職を望まれなくてすみそうだよ」


 顔にかかった白い髪を指で払う褐色の肌に薄く浮かぶ笑みは〝救世主〟の笑顔と見ればいいのか〝破壊神〟がする狂気の沙汰として見ればいいのか、わからないときがある。


 彼女の才能をもってすれば、何度でも白と黒の石を好きなままにひっくり返せる。彼女の楽しい様に。彼女が望むだけ。


パテナ・シンタータの誤算

第十五話、終わり。

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