パテナ・シンタータの誤算 第9話
〝ぼくら〟が終わった翌朝、いつものようにラジオを聴きながら朝食の準備をしていた。この惑星〝シューニャ〟と〝プリトヴィ〟を往復する軌道上に〝知らない人工物〟が発見されて6年。そいつを調査していた学者たちが『過去に人類が投入した探査衛星の可能性がある』と発表した。
「ずいぶんと回りくどい言い方だな」
温めたスープをテーブルに並べ椅子に座ったときに、以前、パテナが落ちていたと言って見せてくれた〝知らない人工物〟の画像を数枚浮かべる。そこには幾つかの人工衛星が絡み合うようにひとつになった物体が映っていた。恐らく、惑星連盟はこの〝知らない人工物〟についても、第三惑星の情報のように隠匿する準備がなされていたのだろう。
ぼくが見た画像には、骨董品ほど旧式なアンテナや発電パネルのようなものが見てとれた。人類が惑星〝シューニャ〟と惑星〝プリトヴィ〟にたどり着く前に投入した、衛星。それが惑星移住船から投入されたものなのか、それとも、まだ第三惑星に人類がいた頃に投入したものなのか。これから、そいつは調査船団に回収され〝シューニャ〟へと降ろすらしい。
そいつの名は第三惑星時代の叙事詩から〝ウズ・ルジアダス〟と命名したとラジオが教えてくれた。
悪戯を受けた【バベルの図書館】に修正プログラムを走らせて、四日目の朝。
研究室の扉を開けると、再び同僚たちがモニタを睨むようにして腕を組んでいた。大学時代からの友人であるシキイと、恋人のニアンを見つけ隣に並ぶ。彼らは渋い顔で、ぼくを見るや否や「また面倒が増えた」と深いため息を吐く。モニタに映るのは〝プリトヴィ〟で、最大の国力を持つ某国の大統領候補が高らかに演説をする姿。
『神は我々にチャンスを与えて下さった! それなのに惑星連盟を始め、多くの同盟国が馬鹿げた計画に大金を注ぎ込んでいる! これでは第三惑星で、我々の先祖が苦しんだ歴史の二の舞になるだけだ! 我々は宇宙の意思や法則に打ち勝つことなど出来ない! すべては受け入れるしかないのだっ! これが生命本来の姿であるッ! 私が…………』
─────── 私が大統領に就任した暁には【バベルの図書館計画】からの撤退を命ずる。
長方形に空が切り取られた中庭で、シキイとニアンでベンチに座り、浮かぶ〝プリトヴィ〟を眺めていた。
あの大統領候補が言った〝宇宙の意思〟という視点は面白いと思う。では〝宇宙の意思〟とやらを知ろうとしてきた、我々ヒトという生命体はなんだ? 意思に背くことをするなという思考こそ奢りではないのか。
「ぼくらが宇宙のことをどれだけ解明していて、宇宙にとってヒトなんて塵以下の存在だなんて知らないんだろうな」
例えば、宇宙が意志を持つ存在だと仮定した場合、巨大な生命体だとするのが適切なのだろう。ヒトは宇宙の体内に寄生している微生物や菌みたいなものだ。あの大統領候補の言うように、ただ意思に従順に抗うことなく宇宙の意思だけを受け入れることはない。我々、動物の体内で暮らす微生物や菌の類いは、体内で生きることで何かしらの利益になる行動をして共生している。もし、動物が微生物や菌を悪さをするものとして排除をしようとすれば、微生物や菌も黙ってはいない。何かしらの抵抗をし、自らが体外に排除されるか絶命するまで排除行動に抗う。
「あの候補は風邪をひいたことがないのかもな……」
「確か名家の出だしね。あり得るかも」
この宇宙で、ぼくらは菌として生きるしかないことくらい、生命として誕生したときから受け入れている。何かの災難にも人間らしい生活を捨てた菌として生きるか、宇宙が熱を出す【バベルの図書館】を創り、生命を繋ごうとする存在のちがいにしかすぎない。捨てることと得ること、どちらが正しい進化なのかはわからないが、宇宙の仰せのまま痛めつけられるか、身を護る手段を持つかのちがい。どちらが正しいのかは未来が決める。
あの大統領候補がこれらを説明できず、感情や信念だけで訴えているのなら、簡単に〝宇宙の意思〟という言葉を使うな。主観だけで事象を認識しているだけなら法則という言葉を使うな。ただ綺麗なスペルの並びだからとスピーチに入れたのなら、それこそ人類が積み重ねてきた知恵や教訓への冒涜ではないのか。
「タタミ、俺たちは何をやっているんだろうな」
「最近、ぼくも考えるよ」
「シキイとタタミさんが、そんなこと言ってちゃダメだよ……」
こんな仕事に携わりながら美味しいパンを焼いて、皆に振る舞うことを喜びとしているニアンほど、ぼくとシキイは覚悟をしていないだけだよ。
風邪を引いたこともないであろう某国の大統領候補のことを、言いたい放題に話しているとパテナが声を掛けてきた。ぼくにはドリンクのパックを差し出し「やあ。ご機嫌よう、お三方。タタミ君、これを飲むかい?」と無理やり渡される。ラベルを見ると、それは人間が飲めるように調整された偽物のコーヒーだ。恐らく、間違って購入したものを〝パテナ様の犬〟に恵んでくれた優しい飼い主というわけか。
彼女にベンチを譲り、立って偽物のコーヒーを飲む。ぼくらの住む狭い惑星ふたつのあいだで、移住船時代より爆発的に増えた人類のために、コーヒー豆が賄えるほどコーヒーノキは栽培できない。所詮、コーヒーは嗜好品で暮らしや生存に必要なものではなく、土地に負荷をかける意味もなければ、他に育てなければいけない作物を押しのけてまで栽培する意味もない。
「あの大統領候補は風邪をひいたことがないのかもしれないな」
「ははっ、シンタータも俺たちと同じことを考えていたのかよ」
人類が第三惑星で起こした出来事や被った事を、二度と経験しないように計画された【バベルの図書館】に携わっていることが、心から誇れる日とひどく情けなくなる日が交互にやってくる。たまにパテナとニアンが遊んでいるオセロゲームのように、ころころと白と黒が変わっていく。ぼくたちは立場だけじゃなく〝こころ〟まで、ころころと忙しくひっくり返る毎日だ。
「ある国が【バベルの図書館】の軍事転用を恐れているのだよ」
そうパテナが言い、本物のコーヒー豆で淹れられたコーヒーをひと口含んだ。
パテナ・シンタータの誤算
第九話、終わり。
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