第33話 飢狼を忘れて






「すぐに終わらせる」


「ははっ、やってみなよッ!」



 シオンは大地を蹴り上げ、夜空を裂くように跳躍した。

 狙うは――オリオパトラの頭上。

 あらゆる攻撃を月光に呼応して躱す《幻月》を仕留めるには、輝きそのものを奪うしかない。


 背後から降り注ぐ月明かりを背負い、シオンの大剣が唸りを上げる。


 ――《大出血》。


 紅の閃光が、風を巻き込みながら空間を断ち切った。

 しかしオリオパトラはわずかに身を反らせ、刃を紙一重でかわす。


 シオンが着地し、視線を上げる。

 その先で、オリオパトラは楽しげに口角を吊り上げていた。



「同じ手には引っかからないよ? 光を封じたところで、僕を封じ込めたわけじゃない」


「……読まれてる」



 シオンの吐露が空気に溶ける。

 月光を封じる術は、限られていた。

 跳躍して、自らの影で覆い隠すしかない。


 だが、その動きは読まれやすく、単調になる。

 結果として、攻撃は容易に回避される。


 守りに徹する相手を、正面から崩すのは至難。

 動き続けるこの要塞を攻略しない限り、シオンの手に勝利はない。



「それに、攻撃してもいいけど――ここがどこか、分かってるよね?」


「……」



 あまりに予定調和な挑発に、シオンは退屈そうに目を伏せた。


 ここは、多くの人々が暮らす街の中心だ。

 オリオパトラの一振りで、無関係な命がいくつも散る。

 下手をすれば、シオンの攻撃が二次被害を生む可能性すらある。

 戦うには、あまりに敵に都合のいい場所だった。


 殺すなら一撃。

 でなければ、満身創痍の魔族が何をしでかすか分からない。


 シオンは大剣の刃を見据え、静かに息を整えた。



「動かないなら、僕も動かないよ? きっとママが、その間に全部終わらせてくれる」



 耳をざらつかせる不快な笑い声が、夜に滲んだ。


 シオンはゆっくりと視線を上げる。

 宙に佇むオリオパトラ――そのさらに奥、天に浮かぶ月を見据える。

 あれこそが、この戦いの《鍵》であることに変わりはない。


 冷静に、考える。

 飢狼のまま暴れれば、この街は瓦礫になる。

 狭い。あまりにも、狭すぎる。

 そして、守るべきものが多すぎる。


 その時、シオンの瞳にゆっくりと流れる雲が映った。

 闇に溶け、かろうじて輪郭だけが見える。


 (……チャンスだ)


 月が雲に隠れる一瞬を狙い、シオンは地を蹴った。

 影を伸ばし、光を断つ――完璧なタイミングのはずだった。


 だが、オリオパトラの身体がふっと揺らぐ。

 次の瞬間には、月光は外へ抜け出していた。



「そんな手、とっくに予想済み――昨日、君の一撃を食らった後、何の対策もしていないとでも思ったのぉ?」



 余裕の笑みが、夜気を震わせる。

 雲が流れ去り、再び月が空を支配した。


 (……雲が覆う一瞬を狙っても、攻撃の意図を読まれては意味がない。月明かり関係なく、タイミングそのものを見抜かれて、躱されている――)


 一度目の策は崩れた。

 だが、シオンの瞳の奥には、まだ確かな光が残っている。



「あー、退屈だなぁ。時間だけが過ぎていくけど……いいの?」



 オリオパトラの声が、夜気を撫でるように響く。

 その挑発は、わずかに生まれた焦りの隙を、正確に突いていた。


 シオンは答えない。

 ただ、静かに息を吐き、再び剣を構える。


 ――もし、これが“主人公”の戦いなら。


 新たな必殺技でも編み出して、華麗に勝利を掴むのだろうか。


 シオンの脳裏に、ふと雑念が浮かぶ。

 もしシルフィなら。もしカシムなら。

 理不尽を覆す力とご都合主義で、どんな苦難も乗り越えるのかもしれない。


 いくら頭を働かせても、勝利には届かない。

 その事実が――自分は所詮モブだという現実を、冷たく突きつけてくる。


 転生者として、この崩れゆくシナリオを守ろうだなんて。

 そんなのは、きっと身の程知らずの夢物語だ。


 焦りが、不安が、苛立ちが。

 視界を曇らせ、腕を震わせ、喉を痺れさせる。


 飢狼として戦場を駆け抜けていた頃は、それでよかった。

 ただ斬り、ただ生き延びる――それだけの存在。

 だが今は、多くのものを背負い、考えなくてはならない。


 一度目のオリオパトラ戦。洗脳のアリオージー戦。

 血に飢えた狂戦士のように剣を振るい、力で勝利を掴んできた。

 頭を使うのは、原作の知識が通じる時だけだ。


 (未知の敵に、理屈で勝てるほど――俺は賢くない)


 ――俺は、何がしたいんだ?


 策を巡らせても、浮かぶのは邪念ばかり。

 その奥で、ゆっくりと血が沸き立つのを感じた。


 首を振るって、再びオリオパトラを見据える。

 今は考える時だ――それが勝利への道だと信じて。



「あー、攻撃しちゃおっかなぁ。いやいやダメダメ、ママに言われたでしょ。僕の役目は街を人質に、シオンを足止めすること」



 シオンは、まだ諦めていなかった。

 頭の中で、いくつもの線が走る。

 敵の立ち位置、月の角度、風の流れ――すべてを瞬時に組み合わせ、勝機を見出そうとする。


 次の瞬間、宙へ飛ぶ。

 瓦礫を踏み台に、屋根の上を駆け抜け、角度を変えてオリオパトラの背後を狙う。

 月を隠しながら、攻撃のタイミングを惑わす、渾身の一手。



「――これで、終わりだ!」



 閃光が夜空を裂く。

 だが、その刃は虚空を切った。

 オリオパトラの姿が、揺らぎの中に溶ける。



「……うーん、考えすぎる君は、なんだかつまらないね」



 その声が背後から響いた。

 振り返る間もなく、シオンの頬に衝撃が走る。

 世界が、ぐらりと傾いた。



「あっ、攻撃しちゃった」



 地に叩きつけられ、息が詰まる。

 冷たい石の感触が、現実を突きつけてくる。


(届かないのか……俺は、変わったんじゃないのか?)


 月が、冷ややかに笑っているように見えた。

 勝ち筋を見出せぬまま、シオンの思考は闇の底に沈んでいく。


 ――そして夜は、静寂を取り戻した。

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