第28話 ひとときの休息

 昼下がり、冒険者ギルドに併設された酒場は閑散としていた。

 日中は冒険者が出払い、閑古鳥が鳴くのがいつもの光景だ。


 そんな落ち着いた雰囲気の店内で、並んで座る男女が二人。

 白い光が差し込む窓の外を見て、言葉を漏らす。



「しっかり対面で話すのはこれで二回目――なんだか、変な気分」


「変?」


「うん、一緒に死線を潜り抜けて……会ったばかりなのに、仲間って感じているのは私だけかな」



 シオンは、窓越しの光に目を細めた。

 彼女の言葉に返す言葉を探すが、うまく見つからない。

 仲間――それは、かつての彼が決して踏み込まなかった言葉だった。



「……いや、俺もそう思ってる」



 ようやく絞り出した声に、シルフィが小さく瞬きをする。



「そう?」


「不思議だけどな。出会って間もないのに、昔から知ってる気がする」


「……それ、口説き文句?」


 わずかに笑みを浮かべる。

 その笑顔は、戦場で見せた凛々しさとは違い、年相応の柔らかさと、人間味があった。


 ちょうどその時、店主が料理を並べた。

 熱いスープ、大皿の煮込み肉、焼き立てのパンが次々と置かれていく。


 そしてシルフィは、ぱぁと音がしそうな勢いで目を輝かせた。



「……わあっ、こんなに……!」



 驚くシオンをよそに、シルフィは湯気の立つスープに目を細める。

 次に煮込み肉を見た瞬間、ほんのり頬を染めた。



「その、こんなに頼んで大丈夫なのか?」


「え? うん。まだこれじゃ少ないかも」


「……そ、そうか」



 (やっぱり、原作どおりだ。その細い体のどこに入るんだか)


 シオンはひそかに安堵する。

 どれだけ物語が狂っても、変わらない部分がある。

 その事実が、妙に嬉しかった。


 シルフィは早速スプーンを取り、ふうふうと息をかけてスープをすくう。

 口に含んだ瞬間――。



「……おいしい」



 心底嬉しそうに呟き、もぐもぐと幸せそうに頬張る。

 その姿があまりにも自然で、シオンは思わず笑ってしまった。


 そして、ふと呟く。



「ずっと、こうやって話してみたいと思ってた」


「……え?」


「いや、なんでもない。ただ、こういう時間が――ずっと欲しかった」



 スープを飲む手がぴたりと止まり、シルフィはわずかに目を丸くする。



「シオンって、そんな遠くを見るような目するんだ」


「……悪い癖だ」


「いや、嫌いじゃない。まっすぐな人間は、眩しすぎるから」



 柔らかな光のような言葉に、胸の奥が静かにほぐれる。

 原作とは違う。

 今目の前にいるのは、一人の生きている女性だ。


 少しして、シルフィは煮込み肉をほおばりながら、ふと口を開く。



「ご飯に誘ったのは、一昨日約束したのはあるけど、ちゃんとお礼を言いたかったの」


「お礼? 何度も言ってくれてるだろ」



 シルフィはスプーンを置き、真っ直ぐシオンを見据えた。

 翡翠色の瞳が、言葉より先に想いを語る。



「魔族から助けてくれたこと……それもあるけど、あの時、私を追いかけてくれたこと」



 スープの湯気が二人の間をふわりと揺らす。



「家族を、国を、仲間を失って……私だけ生き残って。全部、自分のせいだと思ってた。でも、あの時あなたが必ず守るって言ってくれた時、ちょっとだけ心が軽くなった気がした」


 

 声がかすかに震え、彼女はそれを隠すように微笑む。



「今こうして温かいご飯が食べられるのも、みんなが私と一緒に魔族と戦ってくれるのも、全部シオンのおかげ。だから、本当にありがとう」



 その言葉が、心の奥で静かに広がっていく。

 暖かくて、そしてどこか痛い。


 シオンもスプーンを置き、少し間を置いて答えた。



「……俺のほうこそ、礼を言わなきゃいけない」


「え?」


「俺に助けられたって言うが――違う。助けられたのは、俺の方だ」



 薄い光の中で、シオンは言葉を選んで続けた。



「俺はずっと、何もしないことが、大切なものを守る方法だと信じていた――だが、お前に出会って気付けた。何かを守りたいなら、動くしかないって」



 シルフィは驚いたように目を瞬き、やがて穏やかな笑みを浮かべる。



「……なんだか、お互いにお礼ばっかり」


「そうだな」



 ふたりの間に自然と笑いがこぼれた。


 そうして、またシルフィは――煮込み肉をぱくりと噛んだ。


 思わずシオンが苦笑すると、彼女は肩をすくめる。



「……戦ってる時より、お腹が減るの。落ち着いた瞬間が一番危ないのよ」


「そういうものか?」


「そういうものよ。食べられる時に食べておかないと、すぐ倒れちゃうんだから」



 その言い方は冗談めいているのに、どこか切実だった。

 シオンはその言葉の裏に、彼女の過去を感じて、胸が締め付けられた。


 短い沈黙。

 窓の外では、陽光がゆるやかに傾いている。

 遠くの鐘の音に混じって、どこかで鳥の群れが飛び立つ声がした。


 シオンはふと、スプーンを止めて呟く。



「……ジャイルは、大丈夫だろうか」



 シルフィの手が止まる。

 その表情から、笑みが静かに消える。



「きっと、平気じゃない。家族を失って、居場所を失って。その気持ちは、痛いほどわかる」



 シオンは何も返さず、ただ視線を落とした。

 テーブルの上の光が、ふたりの影をゆっくりと伸ばしていく。


 ――守る、と決めた。

 それでも、誰かの痛みが消えるわけじゃない。



「……でも、だからこそ守らないといけない」


「うん。もう誰も、失わないように」



 言葉を交わすたびに、胸の奥に小さな痛みが残る。

 それでも、今はその痛みさえも生きている証のように感じられた。


 スープの湯気が、淡い光の中で揺れている。

 気を紛らわすように口に含むと、心に染み渡る優しい味がした。


 二人が黙って食事を続けていると、木目の床を叩く足音が遠くに聞こえる。

 静かな時間が、現実に引き戻されるようにわずかに震えた。



「……誰か来たみたいね」



 シルフィが顔を上げる。

 その表情には、名残惜しさとわずかな緊張が混ざっていた。


 視線の先に、フレアが姿を見せる。

 彼女の表情は穏やかだが、瞳の奥には小さな焦りが宿っていた。



「二人とも、ゆっくりできた? ――ギルマスが呼んでるわ。ドランさんは戻ってきてないけど、伝えたいことがあるみたい」



 スプーンを置く音が、重く響いた。

 休息の時間は、どうやらここまでらしい。


 シオンは椅子から立ち上がり、軽く息を吐いた。

 その背中に、シルフィの声が届く。



「行きましょう――今度こそ、終わらせるために」

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