第20話 余韻
「……終わった」
激闘の余韻だけが残る紅蓮の谷に、シオンの呟きが沈む。
足元には、驚愕を貼りつけたまま絶命した魔族――洗脳使いの亡骸が横たわっていた。
吐き出すように息を整え、シオンは仲間へ視線を向ける。
金髪の女――ジルが、白銀の少女シルフィをしっかりと抱き留めている。
その腕の温度だけが、今の戦場で唯一の人のぬくもりに思えた。
「この傷で……よく動けたな」
「とりあえず、癒さないと」
シルフィの身体はひどかった。
裂けた肌、焼けた布、砕けた鎧。
ここに至るまで、どれほどの恐怖に晒されていたのか――考えるだけで、胸が痛んだ。
シオンはポーチから遠慮なくポーションを取り出し、その身にそっと注ぐ。
淡い煙が立ち、焼ける音とともに傷口が閉じていく。
苦悶に歪んでいた表情が、安堵へと変わる。
その変化を見届けたあと、ジルはゆっくりと立ち上がった。
洗脳使いの亡骸へと無言で歩み寄る。
「……ジル?」
返事はない。
ジルは魔族の死体を見下ろし、表情ひとつ動かさない。
その沈黙が、逆に温度のない怒りを表していた。
次の瞬間、ジルは片手でその亡骸の足を掴む。
まるで汚れを触ったかのような、冷ややかな指の動きで。
そして――何の躊躇もなく、谷の縁へ向かって歩き出した。
「おい……ジル?」
その背中は、炎の光を浴びてもなお、影のように黒かった。
「……その顔を二度と見たくない」
低く、押し殺したような声。
だがその裏には、紙一枚分だけ覗いた、彼女の感情があった。
ジルは魔族の亡骸を深淵へと放り投げた。
落下の音はしない。
ただ、赤黒い底の闇がそれを飲み込む。
背を向けたまま、ジルは小さく呟いた。
「……魔族には厄介な種がいる。蘇るものがいても、不思議ではない……処理は徹底すべきだ」
その声音は冷静そのもの。
だが――その最初の一言だけ、ほんの一瞬、感情が滲んでいた。
怒りか。嫌悪か。
それとも、別の何かか。
シオンには判断できなかった。
「街に戻ろう」
「……ああ。報告は急務だ」
ジルの返しは静かだが、どこか急いでいた。
シオンはポーチから、青い光が脈打つ結晶――転移石を取り出す。
「これを使えば、ダンジョンから一瞬で脱出できる」
「これが――A級冒険者にのみ許された、最高位の魔道具。シオン殿が使えばいいだろう。受け取れない」
「転移石の定員は二人までだ……俺はまだ動ける。いち早くシルフィを街に連れ帰って、起きたことの報告を頼む」
小さく頭を下げると、ジルは「分かった」とだけ言って、素直に受け取った。
あまりにも話が早く通る――正直、今はそれがありがたかった。
ジルが転移石に魔力を込める。青い光が瞬く間に輝きを増していく。
やがて光は二人の体を包み込み、静かに飲み込んでいった。
――静寂。
炎の音だけが、遠くで揺れていた。
出口を見据えると、多くのモンスターが、獲物を求めて蠢いている。
胸の奥で渦を巻く、名のない苛立ちをぶつけるように、シオンは大剣を構えた。
そして、燃え盛る足場を蹴った瞬間、熱気を切り裂く風が背を押した。
立ちふさがる敵を、感情のままに叩き伏せ――それでも、胸のざらつきは消えなかった。
(……何も、出来なかった)
シルフィを救い出す。
それが、街を飛び出したときの唯一の目的だった。
そして、確かに――彼女を救うことはできた。
代わりに、多くの犠牲を生んでしまった。
すべてを救えるという驕りは、とっくに捨てたはずだった。
それでも――ここまで命を失うとは、思っていなかった。
死者の上を越えて歩く覚悟が、自分にはまだなかった。
過信と油断。
それが、シオンの胸に重い無力感を刻みつけていた。
「……もう、朝か」
出口へ近づくにつれ、太陽の光が視界の端に差し込む。
その眩しさが、シオンの心の闇を、痛いほどに照らし出していた。
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