第8話 ステータス
翌朝、シオンの姿は近隣のダンジョンにあった。
【炎砂の洞窟】。原作での攻略難易度は中の上。
「やっぱり……俺の居場所は、ここだ」
人と話すたびに、痛みが増える。
なら、戦えばいい。
血の音だけが、心を黙らせてくれる。
胸の奥にこびりついた不安を振り払うように、シオンは大剣を砂に叩きつけた。
サソリ、ムカデ、節足の怪物たちが蠢き出す。
その姿を見ても、もう気持ち悪いとは思えなかった。
現実を見たくないとき、人間はどんな地獄にも慣れる。
「……どちらにせよ、俺の敵ではない」
迫りくるサソリを一閃。甲殻ごと両断し、紫の体液が飛び散る。
その瞬間、血が熱に変わり、世界の音が遠のいた。
彼の瞳が紅く光り、スキルウィンドウが視界に浮かぶ。
《狂戦士LV10》
・攻撃力+30%、防御力-30%、抗魔力-30%。
・攻撃時、50%の確率で30秒間、攻撃力がさらに上昇。
《狂化LV10》
・攻撃時、100%の確率で狂化状態へ。
・狂化――攻撃力+30%、精神耐性-50%。
《血戦覚醒LV8》
・攻撃時、16%の確率で敵を出血状態へ。
・敵が出血状態時、次の攻撃ダメージ+160%。
視界の隅に漂う淡い光。
血の匂いと鉄の味に満ちた戦場で、それだけが静かに輝いている。
まるで、ここはゲームに過ぎない、と言わんばかりに。
血が舞うたびに、理性が削れていく。
大剣を振るたび、雑音が消える。
それが心地よかった。
「……これでいい。考えなきゃ、楽だ」
思考を止めて、斬る。ただそれだけ。
敵を倒すたび、経験値の数字が脳裏に焼き付く。
その数字が見える限り、まだゲームの中にいると信じられる。
“飢狼”。
人はそう呼ぶが、飢えているのは血でも戦いでもない。
逃げ場のない現実の中で、逃避できる幻想に飢えていただけだった。
「もうボスフロアか……ちょっと休むか……」
大剣を立てかけて、沸き立つ砂の地面に腰を下ろす。
体中が血と汗の臭いで重たい。
息を整えて、小さく呟く。
――ステータス。
名前:シオン
種族:人間
職業:冒険者
LV:76
HP:523/564
MP:201/243
攻撃力:692
魔攻力:312
防御力:241
抗魔力:218
敏捷:502
器用:331
幸運:88
「相変わらずすさまじいステータスだな」
シオンという人間の性能を、他人事のように眺める。
攻撃力はHPを超えて、敏捷は原作に登場する経験値モンスターとほぼ同等。
これほどの力を持ちながら、彼は名前すら原作に登場しない。
「もしゲーム内に登場していれば、パーティのスタメンだっただろうな」
自虐交じりにそう呟いて、すぐに苦い息を吐く。
「……俺は何を想像しているんだ」
青髪の青年と、黒髪の青年が背中を合わせる。
血と炎に包まれた戦場、交差する視線。
あり得ないはずの光景なのに、まるで記憶かのように鮮明に浮かんだ。
「……っ!?」
鈍い痛みが脳を貫く。
思考が一瞬、まっさらになった。
反射的に頭を押さえる。だが次の瞬間、痛みは幻のように消えていた。
「……何だ、今の…………」
残されたのは、自ら遠ざけた未来を思い浮かべてしまった、どうしようもない嫌悪だった。
「おうおう、どうしたんだそんなとこでうずくまって」
ふいに、聞き覚えのある低い声が響いた。
呆然としていた意識が、現実に引き戻される。
目を向けると、砂煙の奥から三人の影が向かってきているのが見えた。
「……ってお前、飢狼じゃねえか!? こんなところで何してんだ?」
「何してるんだって、ダンジョン攻略に決まってるだろ。ここでお茶してるとでも思ったのか? ――ドラン」
「心配してやったのにその言い草はねえだろッ!?」
ドランの顔を見た瞬間、緊張の糸がほどける。
シオンはそのまま視線を下に落とし、強烈な違和感を覚えた。
「ドラン、意外だな?」
「はあ、お前にも言われるとはな。俺はこう見えてれっきとした魔法使いだ。若いころは東の魔法学院にも通ってたんだぞ」
自慢げに胸を張ったドランの装備は、筋肉質な肉体に似合わない身軽なローブだった。
手元のスティックは枝のように細く、どう見ても物理攻撃には向かない。
言葉に嘘はないのだろうが、妙なギャップが拭えなかった。
「似合わないって顔をされるのが嫌で、ダンジョンを出るとすぐに着替えるんですよ、この人」
「なるほど、だからギルドじゃ前衛に見えたのか」
「お前らうるせえ……魔法使いが鍛えたって別にいいだろ」
シオンは苦笑しつつも、少し真面目に返す。
「冒険者にとって大事なのは、生き延びることだ。ここにはセーブもロードもないからな――肉体を鍛え上げて生存確率を上げるのに、前衛も後衛も関係ない」
「そ、そうだよな。わかってるじゃねえか、さすが飢狼だ」
「そういえば、おじいちゃんも似たようなこと言ってたな」
「……お前は、ジャイルだったか?」
シオンは話題を切り上げて、隣で笑う青年に目を向ける。
「あの飢狼のシオンさんに名前を知られているなんて、光栄です」
ジャイルは大きなバックパックを背負ったまま、深々と頭を下げた。
背丈はシオンと同等だが、線は細く、まだ幼さの残る顔をしている。
パーティでの役割はポーター――ドロップ品を回収して保管する荷物持ちだ。
一見地味な役割に見えるが、熟練のポーターは戦場の裏方として重宝される。
荷物の整理、撤退ルートの把握、等々。それらを怠れば、どんなパーティでも崩壊する。
「……そりゃ、まあ、同年代の冒険者の名前は自然と覚える」
「へえ、飢狼にも仲間意識ってあるんだな?」
「ドランさん。失礼ですよ――でも、嬉しいです」
シオンは、ほんのわずかに胸が疼くのを感じた。
純朴な笑みを浮かべたジャイルを見て、息を詰める。
その言葉は嘘だった。接点のない冒険者の名前など、彼はいちいち覚えない。
前世の記憶を遡る。
彼の名はサリア支部所属のポーター、ジャイル。
原作のとあるクエストで炎砂の洞窟に同行し、状態異常耐性ゼロですぐに死ぬ――そのせいで、ただの護衛任務のはずが鬼畜クエストに。
そんなネタキャラとして、有名だった。
よくここまで生き延びたものだ。
そう思いかけたが、言葉にはしなかった。
「それで、そっちは?」
話をそらすように、視線をもう一人の仲間へと向けた。
直剣を腰に下げた金髪の女性。
サリア支部では一度も見たことがない――いや、記憶のどこを探しても、彼女に見覚えはなかった。
話が振られたのに気が付くと、女性は一歩前に出て、やけに整った所作で頭を下げる。
「私はジル。二日前にサリア支部に登録した冒険者だ。噂の飢狼に会えて光栄だ」
「どんな噂か、気になるところだな」
「ははっ、あまり聞かないほうがいい。冒険者の噂には、尾ひれが付き物だろう?」
「確かにな」
穏やかで落ち着いた、凛とした声。
無駄のない所作と、少しも乱れがない呼吸。
それが、不自然なほど自然に見えた。
(会えて光栄か――だったら、ジャイルと同じくらい胸の鼓動を速めてほしいものだ)
違和感の理由を、演技臭いセリフと結論付けて、シオンは起き上がる。
「休憩は終わりだ。ボスは一人で行く。悪いが群れるのは性に合わないんでな」
「お、おい、せっかく会ったんだから――」
「――ドランさん、シオンさんはソロ冒険者ですよ! 返って迷惑になります」
「ぐぬぬ、まだ何も言ってないが……確かに、飢狼に助太刀は必要ねえか。だが、お前は昨日まで、地災の渦に七日も挑んでたんだからな。気をつけろよ」
「ああ」
「って、お前、そうだよ、昨日まで最難関ダンジョンに……ちょっとは休めよ……」
話が長くなりそうだったので、ドランの言葉を無視して大剣を背負う。
呼吸を整えて、ボスフロアへの巨大な扉に手をかけた。
――すみません。
その時だった。
背後から呼び止められたのは。
振り返ると、静かに話を聞いていたはずのジルが手を挙げていた。
「なんだ?」
「もしよかったら……シオン殿の戦闘を、間近で見学させてくれないか?」
「……いや、あのな。パーティ活動だろ、ほかの二人はどうするんだ」
たしなめるように伝えると、ジルはにこりと微笑んで仲間たちに視線を誘導する。
「なっ、飢狼の戦いを!?」
「シオンさんの戦闘を……血に飢えた孤高の狼の戦いを、この目で……!」
随分と乗り気なようだった。
満足そうに再び見つめてきたジルに、シオンは大きなため息をつく。
どう断ろうか――そう考える間もなく、ジルがさらなる追撃を繰り出した。
「だったら、報酬も払おう。大陸に三十といないA級冒険者の戦い、最高の学びになる気がするんだ」
「……報酬なんていらない。そこまで金にがめつくないからな。言っておくが、手出しは不要だ」
「分かった。ありがとう」
整いすぎた言葉の調子に、どこか冷たさを覚えた。
ジルの瞳を見つめると、学びより別の目的があるようにも思える。
だが、深読みかもしれない――そう結論づけ、息を吐く。
そもそも断ろうにも、彼らがフロアに入るのを防ぐ方法がない。
背後から歓喜の声が上がっているのが聞こえてくる。
緊張感の薄さに、胸の内で小さく舌打ちした。
(それにしても、サリアにやってきてから、急激に人との関わりが増えたな)
――この世界が、自分の意思を無視して進み始めている気がした。
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