第3話 美味い飯




「なるほど……中間地点に“開かずの門”、そう来たか。もしかしたら、特定のスキルが必要なギミックの可能性もある。ただ、それを確かめようにも――」


「――生半可な冒険者じゃ、簡単に命を落とす。そんな場所だった」



 机の上には、シオンの報告をまとめた新しい資料が広がっている。

 フレアは真剣な表情でそれに目を通しながら、今後の対応について言葉を交わした。



「そうよね。シオン君の話だと、中間地点にたどり着くまでの七日間、睡眠も食事も取らずに戦い続けてたんでしょ?」


「ああ。運良く、持っていたスキル同士の相性が良かったおかげだ――普通の人間には、到底真似できない。技術の問題ではなく、構造的に不可能だ」



 《不眠不休LV10》

 ・睡眠と休息を必要としない体質へと変化する。


 《エネルギー転換LV8》

 ・魔力を生命エネルギーに変換し、“8日間”まで肉体を維持できる。


 この二つのスキルがあったからこそ、シオンは地災の渦を生き延びた。

 どれほどの強者であっても、睡魔や飢餓には抗えない――それこそが、あのダンジョンを最難関たらしめる理由だった。



「ほんと、シオン君ってどんなスキルを持ってるの? ――って、ごめんごめん!」



 慌てて手を振るフレアに、シオンは小さく笑う。



「スキルを聞くのはタブー、だったな」


「うん。ごめんね、つい気になっちゃって。秘密くらい、誰にだってあるからね」


「……フレアにも?」


「ふふっ、勿論、私にもだよ」


「な、なるほど」



 頬を指でかきながら、シオンはわずかに視線を逸らす。

 どこかくすぐったいような空気が二人の間に流れた。



「話がそれちゃったわね――分かったわ、とりあえず報告ありがとう。もう少し綺麗に整理して、ギルマスに提出してみる。もしかしたら、同じ内容をギルマスに話してもらうかもしれないけど……」


「分かった。当分はこの街に滞在するつもりだから、そのときは声をかけてくれ」


「ありがとう。それじゃ、私は後ろで資料をまとめてくるね」



 フレアは紙束を抱えて、軽く会釈を残し、奥の部屋へと姿を消した。



「……さて、とりあえず飯でも食うか」



 【エネルギー転換】のスキルのおかげで、“8日間”は何も食べなくても生きていける。だがエネルギー不足にならないだけで――食欲そのものが消えるわけじゃない。


 再び食事を取ると、スキルの持続時間はリセットされ、また8日間は空腹を感じなくて済む。

 ちなみにレベルが上がるごとに期間は一日ずつ延び、最大の【エネルギー転換LV10】では、魔力が尽きない限り、無期限で食事を必要としなくなる。


 【不眠不休】も同じ仕組みだ。

 今はレベル10で期限がないが、かつては9日間の制限付きだった。

 つまりスキルレベル10は――人の限界を超えた存在になった証である。



「デザートコカトリスの照り焼きを一つ」


「おう! 久しぶりの食事だろ? めちゃくちゃうまいの作ってやるよ」



 ギルドに併設された酒場。

 厨房では、店主が軽快にフライパンを操りながらニカッと笑う。


 テーブルに肘をつきながら、シオンはふと小さく息をついた。


 声をかけてくる冒険者は何人かいたが、誰も長居はしない。

 シオンが“ひとりを好む男”だと、皆が知っているからだ。


 この世界の冒険者たちは、粗暴に見えて、強者には礼を尽くす。

 それが彼らの流儀であり、掟でもある。


 喧騒の中にあっても、心が静まる。

 そんな雰囲気が、今のシオンには心地よかった。


 まあ、例外が一人いるのだが、ソレのことは周りの冒険者が取り押さえているので、シオンに近づいてくる気配はない。



「ほらよ、デザートコカトリスの照り焼きだ。それと――」


「え?」



 香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

 照りつけるような艶、滴るタレ。

 こんがり焼かれた鶏肉の表面を見ただけで、白米三杯はいけそうな完璧な照り焼きだった。


 それだけでも十分満足だったのだが――。



「サリア砂漠に生息するレアモンスター、“砂塵牛”のステーキだ。今朝入ったばかりで新鮮だぜ? こいつはサービスだ、ま、。味わって食えよ!」


「でっっっか……!」



 皿に乗せられたそれを見た瞬間、思考が止まった。

 サービスの域を軽々と飛び越えた、岩盤のような巨大ステーキ。


 厚さは二十センチ、横幅はシオンの肘先ほど。

 鉄板の上でジュウジュウと音を立て、湯気が立ち上るたびに香ばしい匂いが周囲を満たす。

 ……テーブルがわずかに揺れているのは気のせいだろうか。



「い、いただきます」


「おうよ!」



 店主が笑顔で奥へ戻っていくと、残されたのは照り焼きの甘い香りと、胡椒の効いた暴力的な肉の匂い。

 ――醤油も胡椒も普通に存在している中世ヨーロッパ風ファンタジー。

 改めてゲームっぽい世界だなと苦笑しながら、シオンはフォークを手に取った。



「……うっめえ」



 一口噛んだ瞬間、口の中が肉汁に沈んだ。

 噛むたびに弾けるように溢れ出す甘い油。

 舌の上を熱が滑り、脳が痺れるほどの快感が走る。

 それでいて、まるで絹のように柔らかい。

 中心は薄紅色のレアで、肉そのものの旨味が存分に主張してくる。



「……照り焼きもうまいな」



 次に箸を伸ばしたのは、デザートコカトリスの照り焼き。

 サリア砂漠に広く生息する鳥型モンスターで、その肉の旨さは“王の鶏”と呼ばれるほどだ。


 甘じょっぱいタレが舌に馴染み、どこか懐かしい。

 ――日本で食べた鶏の照り焼きの味を思い出す。

 この世界に転生して5年。前世の自分を思い出す味だった。


 久しぶりの食事だったこともあり、シオンは目の前の料理に完全に没頭していた。

 だから――近づいてくる気配に気が付かなかった。



「んぐっ……うまっ、ん」


「美味しそうね、それ」


「……ん?」



 不意に耳に届いた、澄んだ女性の声。

 その響きに、シオンの手が止まった。


 聞き覚えのある声だった。

 だが、この世界で聞いたことはない。

 ――前世、日本で暮らしていた頃に、確かに聞いた声。


 (……ありえない。ここに今、彼女がいるはずがない。)


 背筋に、懐かしさと恐怖が同時に走る。


 ゆっくりと顔を上げる。

 そこに立っていたのは、見覚えのある少女だった。



「ちなみにそのお肉、今朝私が狩ってきたの。だから、私のものと言っても……差し支えない」


「……え?」



 少女は軽やかな動きで懐からフォークを抜き取り、ためらいもなくステーキへ突き立てる。

 そして、そのまま――堂々と頬張った。


 唖然とするシオンの前で、彼女は口いっぱいに肉を詰め込み、嬉しそうに目を細めている。

 その姿が、まるで画面の中から抜け出してきたように美しかった。



「……シルフィ・クレスタ・アランクレード」



 思わず、名前が口からこぼれる。


 間違いない。

 目の前でステーキをもぐもぐと頬張る彼女は――かつて画面の向こうで俺が救った、《エンドサーガ》のヒロインの一人だ。

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