第2話 飢狼



「おいおいおいおい、お前……まさか“飢狼”か?」



 サリアの街――地災の渦の最寄りにある冒険者の拠点都市。

 ダンジョンから戻ったシオンがギルドに足を踏み入れた瞬間、周囲の冒険者たちの視線が一斉に集まった。


 目立つのも、異名で呼ばれるのも好きじゃない。

 シオンは声をかけてきた男をギロリと睨み、深くため息を吐く。



「その小っ恥ずかしい名前で呼ぶな」



 しかし男は、瞳を潤ませて拳を震わせた。



「……生きてた! 飢狼が生きて帰ってきたぞォォォッ!」


「「「「「「ウォォォォォォォッッ!!!」」」」」」



 長い沈黙を破るように、ギルド全体が歓声で揺れた。


 シオンが地災の渦に挑んでから七日。

 あのダンジョンに挑み、生きて帰ってきた者などいなかった。

 だからこそ――その帰還は、仲間たちにとって奇跡そのものだった。


 もっとも、当の本人にとっては鬱陶しいことこの上ないのだが。



「ドラン、人の話を聞け」


「飢狼、お前の話はあとでいくらでも聞いてやる! それより宴の準備だ! A級冒険者の帰還だあああっ!」


「……もういい、勝手にしてくれ」



 騒ぎ立てる冒険者たちをかき分け、シオンはまっすぐカウンターへ向かう。

 右から一般窓口、冒険者窓口、買取カウンター。

 その中央――冒険者窓口の前に立つと、そこにいた受付嬢がぱっと顔を明るくした。



「おかえりなさい、シオン君。無事で……ほんとに良かった」


「生きて帰るって、約束したからな」


「ふふっ……ありがとう。約束、守ってくれたんだね」



 受付嬢――フレア。

 地災の渦攻略のため、シオンが三か月間サリアに滞在していた間、ずっと支えてくれていた人物だ。


 原作シナリオの変化を恐れて、人との関わりを避けてきた彼にとって――フレアは、久しぶりに深く関わった存在だった。


 シオンは、彼女の微笑みにほんのわずか口元を緩める。

 だがその表情は、すぐにいつもの無表情に戻っていた。



「ただ――もう一つの約束は果たせなかった」


「え?」



 地災の渦に向かう前、シオンとフレアが交わした二つの約束。

 一つは無事に帰ること、そしてもう一つは、ダンジョンを踏破することだった。


 シオンはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 地災の渦で出会ったモンスターのこと、ダンジョンの構造のこと、完全に閉ざされていた中間地点の漆黒の門のこと――。



「ちょ、ちょっと待って。地災の渦に関する情報は本当に貴重なの。記録する準備してくるから、待ってて」


「分かった」



 フレアは慌てて奥の部屋に駆けていった。

 地災の渦は三百年もの間、挑戦者が現れなかった未知のダンジョンだ。事前情報は冒険者の生命線であり、シオンの証言は未来の命を救う重要な記録になる。



「あんたはお呼びじゃないんだが?」


「つれないなぁ、飢狼」



 窓口でぼんやり待っていると、向こうから近づいてきたのはフレアではなく、酒臭い息を撒き散らすドランだった。



「しかしよ、飢狼のシオンと言えば、誰ともつるまない一匹狼で、関わったら喰われるってまで恐れられてたのにな……フレアの前じゃ随分と年相応の顔を見せてくれるじゃねえか?」


「は?」


「“生きて帰るって、約束したからな”。俺も言ってもらいてえなあ、飢狼にそんなセリフ」


「殺すぞ、マジで」



 腰をくねらせて煽るドランに、シオンは殺意を込めて睨み返す。だが相手はベテランの冒険者。ドランは気にする様子もなくニヤニヤしていた。


(相手にするだけ無駄だ)


 視線をそらすと、フレアが戻ってくるのが見え、シオンはほんの少しだけ安堵した。



「シオン君、ドランさんのことは気にしなくていいからね? あの人、ただ構ってほしいだけだから」


「なるほど」



 二人でそう納得していると、ドランが顔を真っ赤にして割り込んできた。



「別に構ってほしいわけじゃねえから! そもそも、二人とももっと俺を敬え。特に飢狼、お前だ。飢狼は17、フレアは19、俺は38だ。年上を敬えって教わらなかったか?」


「年齢で人を見ていないんでな」


「おいっ! それどういうことだ!?」


「はいはい、ドランさん。フレアちゃんとシオンは大事な話をするみたいだから、離れててね」


「お、おい! 離せ!」



 見かねた他の冒険者たちがドランを引き離し、騒ぎは次第に収まっていった。


 ドランが引きずられていくのを見送り、ギルドの喧騒が少しずつ遠のいていく。

 笑い声や酒の音が背後にぼやけ、窓口の周囲だけが静寂に包まれた。


 フレアが机の上に記録用の紙束を広げ、深く息を整える。



「……ごめんね、騒がしくて」


「いつものことだ。気にしてない」


「ふふ、そうだね。でも……やっぱり無事で良かった。頑張れって背中を押した私が言うのも変だけど、本気でもう会えないかと思ってた」



 フレアの声はかすかに震えていた。

 その言葉に、シオンは短く息を吐く。



「ダンジョンで死ぬつもりはない――だが、最下層にはたどり着けなかった。あれだけ助けてもらっておきながら……」


「ううん、それでも十分だよ。生きて帰ってきてくれた。それだけで、私にとっては……」



 彼女は言葉を切り、俯く。

 沈黙の中で、紙をめくる音だけが静かに響いた。



「それじゃあ、本題に戻ろうか。本当ならこんな重要な情報、ギルマスと一緒に聞きたいんだけど……」


「いないのか?」


「お客様の対応中でね。確認したら、私が先に聞いておけってことだから」


「……分かった。それじゃあ、報告を始める」



 静かに、しかし確かな声で。

 シオンは再び冒険者としての顔に戻り、地災の渦で見た全てを再び語り始めた。

 

 



 

 


 

 

  





 



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