誰かが泣いて終わる恋のはなし

@manatei

第1話 ココナッツの香り

 眉上で綺麗に切り揃えられた前髪に、腰上まで長くまっすぐ伸びる薄桃色の髪。スッと通った鼻筋に、緩やかに垂れ下がる目尻の上には、顔全体の印象を締めるようなキリッとした眉毛。少々日本人離れの端正な顔立ちは、彼女を大人びた雰囲気にさせる。

 しかし、彼女は中学生である。名前は世羅せいら


 まだ、Tシャツが汗ばみ、生ぬるい風が頬をそよぐ、猛暑の名残りが体を包む9月。

 ドタドタ、ギシギシと慌ただしい足音と木材の固い軋みが二階で鳴り響く。千陰ちかげは頭上で右往左往する足音を聞きながら、玄関で靴ひもをかたく結んでいる。そして自分の足元から顔を離し、真上の足音に向かって声を張り上げた。

 「世羅せいらー!そろそろ出るよ。」

 「はぁーい!」

 千陰ちかげの背後から階段を駆け下りる音が聞こえる。薄桃色の長い髪が、千陰の頬をかすめる。

 「そんなに慌てるならちゃんと昨日のうちに準備しておきなさいよ。」

 「あれ?千陰ちかげさん、せいらの靴は?ないよ?」

 「自分で出しなさい。」

 「なんで?いつもだったら綺麗に揃えてせいらの分用意してくれるじゃないですか。」

 「だってこの前ひなくんに怒られちゃったんだもん。兄貴は世羅せいらを甘やかしすぎだ、って。だから今日からは、履いていく靴くらい自分で出しなさい。」

 「陽太ひなため…。」

 世羅せいらはブツブツ小声で文句を言いながら、脇にあるシューケースの扉を開いた。世羅せいらが靴の金具を止めるのにもたついていると、後ろから陽太ひなたが声を掛けてきた。

「ああ、今日も京都本部に行くんだっけ?」

「そうそう。しばらく私も幹部会議に同行しろって大吉さんが言うからさぁ。」

「大吉兄さんに見張られてるんじゃねーの?兄貴。」

「そうかもね。あの人なかなか腹の中見せないから私も慎重に行動しないと。」

千陰ちかげさん!はやくしないと電車乗り遅れちゃいますよ!せいら靴履けちゃいましたよ!」

「あんたを待ってたんでしょうに…。じゃあ行ってくるねひなくん。妖退治諸々よろしく。」

「おー、いってら。」


 世羅せいら千陰ちかげは住んでいる神楽浜町かぐらはまちょうを離れ、新幹線で京都へと向かった。行先は、陰陽師おんみょうじ連合会京都本部。


 そう、彼は陰陽師である。この世界での陰陽師の定義は、人々に災いをもたらす妖を退治することを生業とする者のことをいう。彼の弟、陽太ひなたも陰陽師なのだが、訳あって今は陰陽師の力を失っている。

 では、千陰ちかげの隣で呑気にむしゃむしゃお菓子を頬張っている少女、世羅せいらもそうなのかというと、それは違う。彼女は陰陽師ではない。陰陽師の間でと呼ばれる特殊な力を持つ少女だ。

「あーあ、嫌だなぁ。毎週土曜日に本部に行かなきゃいけないなんて。なんでせいらまで。」

「さぁ?幹部の人たちが考えてることなんて常人離れしてるからね。悩むだけ無駄だよ。変人しかいないじゃない。」

千陰ちかげさんはいいかもしれないけど、せいらはだからあの人たちに嫌われてるんですよ。めっちゃ睨んでくる人もいるし。なのにせいらも千陰ちかげさんと一緒に毎週本部に来い、って。意味わかんない。」

「まあ、幹部会議終わったら本部長に武術を教えてもらえるのはいいんじゃないの。」

「えぇー!?やだ!舞子まいこさん怖いんだもん!全然笑わないし、褒めてくれないし!」

「…ちょっと世羅せいら。あなたそれ何袋目?」

「え?このポテチですか?5袋目ですけど。」

「あんたさっき駅弁も食べてなかった?食べすぎ!もうダメ!」

「あ!ちょっと千陰ちかげさん!そんな適当にバッグに入れたらポテチ粉々になっちゃう!」


 京都の某山の奥にどっしりと構えている陰陽師連合会京都本部。

 何回訪れても、この厳粛な空気漂う空間に慣れることはない。

 広く長く続く廊下を、キョロキョロ忙しそうに視線を泳がせながら進む世羅せいら。一方、世羅せいらの少し前を歩く千陰ちかげは、軽やかな足取りで京都本部内を進んでいく。廊下を渡り終え、少し開けた談話室へと足を向ける。ムワッと煙たいにおいが世羅せいらの鼻をつく。

「やっぱりここにいましたねー、大吉さん。」

 千陰ちかげはソファーに座っている少々派手な出で立ちの男に話しかけた。

 大吉と呼ばれたこの男は、今にも中身がこぼれそうな灰皿に、無理矢理手に持っているタバコをぐりぐりと押し付けている。そのまま千陰ちかげと大吉が談笑し始めたので、世羅せいらは手持無沙汰になった。

(せいら、この人のタバコのにおい嫌なんだよなぁ。)

 世羅せいらはそっとこの場を離れ、座れる場所を探して談話室をウロウロ彷徨った。すると、どこからかココナッツの甘ったるいにおいが世羅せいらを包んだ。あたりを見渡すと、奥の方でカウンターチェアに座ってコーヒーを飲んでいる男がひとり。ハーフアップでくくった金髪と、太陽に焼けた褐色の肌のコントラストのせいか、遠くにいても一際目立っている。

 なんとなくそのまま目を離せずにいると、男は世羅せいらの視線に気付いたのか、ふっと顔を上げた。そしてパッと明るい笑顔を世羅せいらに向け、ひらひらと手を振っている。

世羅せいらちゃん、おはよー!」

「あ…おはようございます、浄士じょうじさん。」

 世羅せいらは自然と浄士じょうじの座る椅子の方へと歩いていく。

 ピリッとした視線を向ける陰陽師が多い中、この男だけはである世羅せいらにも他の人にも分け隔てなく笑顔で話しかけてくれるのだ。

「今日も神奈川から京都まで来たの?大変だね~。」

 世羅せいら浄士じょうじの傍まで来ると、彼は自分の隣にあるカウンターチェアをガタッと後ろに引いて、どうぞと促した。世羅せいらはよいしょ、と引かれた椅子に座りながら、

「えっと、浄士じょうじさんは熊本なんでしたっけ。」

 と、たどたどしく会話を続ける。世羅せいらに向かって真っすぐ向けられるブル アルマーニの瞳に自分の顔を向けることが出来ず、テーブルに目を落とす。

「そーそー!よく覚えてるね。世羅せいらちゃんは新幹線で来てるの?」

「はい。新幹線です。」

「そっか~。こっちもまだまだ暑いし、来るだけで体力消耗するよな~。」

 浄士じょうじ世羅せいらの方に体を向けたまま、テーブルに右ひじをついた。その瞬間、ふんわり漂っていたココナッツの甘い香りがグッと濃くなる。

「……ココナッツのいいにおい。」

 強くまとわりつく香りに、思わず世羅せいらがぽろりとこぼす。

「ああこれ?俺の香水かな。世羅せいらちゃんこのにおい好き?」

「うん、好きかも。」

「そう?ならさ~」

 浄士じょうじがなにか言いかけたその時、被せるように後ろから軽快な男の声がふたりを遮った。

「こんなところにいた、浄士じょうじ。」

 男は大きな音を立ててガサツに椅子を引き、浄士じょうじの隣に座った。そして、浄士じょうじの肩越しに顔をのぞかせて世羅せいらを見ると、大きな瞳を少し細めて

「なんでお前が一緒にいんの?」

 と、彼女に向かってぶっきらぼうに投げかけた。

 世羅せいらは露骨に嫌そうな顔をしながら、浄士じょうじの向こうに座ってこっちを見ている男に文句を返す。

「いちゃ悪いわけ。かい。」

「うん。」

 かいは肩にかかるくらいまである細い髪を耳にかけ、無表情でスマホをいじり始めた。中世的で端正な顔立ちにキリッと目立つ大きな瞳は、いつも刺すように世羅せいらを見つめ、張り詰めたオーラを放っている。

 世羅せいらはこのかいという男が少々苦手だ。

 最初こそ世羅せいらに好意的な態度で接していたかいだったが、のちにそれが世羅せいらの力を自分の家系に取り入れたいがための計算だったことが判明し、警戒しているのである。

 己の計画がバレてしまったかいは、もう取り繕う必要もないだろう、と、このように素を現すようになった。

「そんなんだから友達、浄士じょうじさんしかいないんじゃん。」

「あ?お前だって友達いないくちだろ、絶対。」

「せいらはだからしょうがないもん。じゃなかったらいるもん。」

「はっ、どうだか。」

 火花を散らす二人の間に挟まれていた浄士じょうじは、なんの気なしにハハハと笑いながら

「ふたりとも仲良いねぇ。」

 なんて言うものだから、

「絶対違う!」

 と、タイミングピッタリに揃った怒号を左右から浴びるはめになった。

「…って、クソガキ世羅せいらに構ってる暇なんかないわ。もうすぐ会議室行かないとあのうるさい本部長がこっちまで来るな。」

 かいはスマホで時間を確認しながら、席を立った。

「な、なにさクソガキ世羅せいらって…!」

 世羅はスタスタと自分の後ろを通るかいに体を向けるが、かいは横目で世羅せいらをチラリと見たあと、ハンッと鼻で笑い会議室へ向かってしまった。

 浄士じょうじも、かいに続いて向かおうと、ガッチリとした長身を椅子から床へと下ろす。

世羅せいらちゃんはここで待ってる?」

「えっと、はい。幹部会議が終わるまで、ここで千陰ちかげさんを待ってます。」

「そっかー。じゃあこれで飲み物でも買って。」

 世羅せいらの目の前に、スッとお札を差し出した。

「え!?あ、あのこれ…!」

「じゃあね~。」

 世羅せいらはテーブルに置かれたお札と浄士じょうじの背中を交互に見る。

(え、いいのかな…。)

 世羅せいらはそっと両手で、浄士じょうじから貰ったお札を握りしめた。


 この日はなんだか、あのココナッツの甘いにおいがずっと世羅せいらの傍に漂っているような気がした。

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