第八話 怒りと憐みの涙
軍に新たな騒動の火種をもたらしたクリフは朝早くレオに呼び出されていた。
爽やかな早朝に似つかわしくない張りつめた空気が拠点の休憩室を覆っていた。
「何ですか話って。」
クリフは不機嫌な表情を隠すことなく、ため息を吐く。
レオはこの期に及んでそんな態度を取ることができるクリフに苛立ちを感じていた。
「お前が流した噂、本当なんだよな。」
地を這うような声で尋ねるレオはいつもとは明らかに様子が違う。
クリフは一瞬狼狽えながらも、すぐにいつもの笑みを貼り付ける。
「はい。ああ、でも全てが本当と言ったら噓になりますけどね。気になるなら直接本人に聞けばいいじゃないですか。」
「聞いた。」
「え?」
「ミゲルに聞いたよ。お前は誰にでも抱かれるような女なのかって。」
「ふーん。勇気があるんだか無神経なんだか。」
クリフの声は明らかにこの事態を面白がっているような響きが滲んでいた。
「それで?答えはどうだったんですか?まあ、こんなこと馬鹿正直に答えないでしょうけど。」
「いや、あいつは正直に答えた。『否定することはできない。』って!」
レオは机に拳を振り下ろす。派手な音が部屋中に響き渡り、レオの手に鈍い痛みが走る。だが、その痛みでは今レオの胸を締め付けるものを誤魔化すことはできなかった。
「見事に彼女の罠にはまりましたね。」
「え?」
「彼女はとある種族の生き残りなんです。そのとある種族の中には異性の心を惑わす香りを放つ者がいるようなのですよ。」
「何をバカなことを…。」
「覚えがありませんか?」
レオは記憶を辿っていくと、とある日のことを思い出した。確かミゲルが団長に就任してすぐのこと、倒れた彼女を迎えに行ったとき彼女の姿を見て思わず抱きしめたことがあった。そのとき鼻先を掠めた甘い香りの記憶が蘇ってくる。その香りを嗅いでから彼女に触れると急に胸が五月蠅いくらい脈打っていた。
「あいつを好きになったのはその香りのせいだっていうのか。」
「レオさんは単純ですからね。その効果がより強く出たのでしょう。」
「ふざけんな!」
レオはケラケラと笑うクリフを怒鳴りつけた。
「八つ当たりですか?五月蠅いですねえ。なにも恥じることではないですよ。皆そのうちあのお人形さんに夢中になってしまうんでしょうから。」
「俺はそのお人形に夢中になった一人に過ぎないってことか?」
「端的に言うとそうですね。」
レオは握った拳に籠める力を強くする。
自分のミゲルへの想いはただ彼女の芳香に惑わされただけのことであったのだろうか。
「ははっ。俺って本当にバカだよな…。そんな魔性の女の罠にまんまとはまってよ。守りたいなんてかっこいいこと言っといて誰にでも抱かれるような女だって分かった瞬間あいつのことが憎くてしょうがない…。」
「ふふっ。なら、その気持ちをぶつけてみてはどうですか?」
「え?」
「このままでは終われないでしょう?」
クリフが妖しく微笑む。
その笑みを見た瞬間レオの中で何かが切れた。
このままでは終われない―。
彼女を愛したことが間違いであったのなら、その間違いすら利用してしまえばいい。
初夏に似つかわしくない冷気がレオを包み込んだ。
執務室―
ミゲルは再びアンナに手伝ってもらいながら書類仕事に勤しんでいた。
しかし、今日はアンナの動きが妙にぎこちない。声を掛けるといちいちどもりながら謝罪してくる。
「アンナ。調子が悪いんだったら休んでくれてもいいんだが…。」
「い、いいえ!調子は大丈夫です…!」
そう言いながらも目を合わせようとすると露骨に逸らされる。何でもないと言われながらそういった態度を取られるのは正直気持ちが良いものではない。
「少し休憩するか。」
「え!?」
ミゲルは書類を纏めると、アンナに座るように促す。アンナはやはりぎこちない動きで席に着くと明らかにそわそわしている。
「なあ、今日は本当にどうしたんだ?見ていて落ち着かないんだが…。」
「す、すみません…。ミゲルさんにどう接したらいいのか分からなくて…。」
「何を今更…。」
「私、今朝聞いてしまったんです。ミゲルさんのことについて…。」
ミゲルの胸にガラスで切り付けられたような痛みが走る。
(アンナにまで…。)
アンナは唇を固く結んだまま俯いている。
同性として聞いていてあまり気持ちのいい話ではなかっただろう。アンナの膝の上に置かれた手は震えている。
貞淑な彼女のことだ。きっと彼女の目には自分はさぞ汚らしく映っていることだろうとミゲルは彼女の瞳から感じ取った。
「オレのこと見たくもない?そんなに汚らわしいと思う?」
「いいえ…。あんな噂話、信じる方が間違っていると思います…。」
「でも、オレから露骨に目を逸らしているよな?」
「違うんです!」
アンナは椅子から立ち上がるが、すぐにミゲルに背を向けた。
「私…あなたのことが可哀想で見ていられないんです…。」
「可哀想?」
「女性であるというだけで仲間たちから疎まれ、さらには変な噂まで流されて…。もうあなたは今までたくさん傷ついてきたのに…!」
「アンナ…。」
「どうして!?どうしてこれ以上あなたが傷つかなくてはならないのですか!」
「アンナ。もういいから。」
アンナは泣き崩れ、肩を震わせる。
ミゲルはそんなアンナと共に涙を流すこともできず、ただアンナの背をさすり続けることしかできなかった。
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死神団長と革命の旗 ―Post tenebras lux― 桜卯 霙 @mizore-sakura
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