第六話 血と噂の狭間で

首筋に僅かに走る痛みと甘い痺れ。


ソヨルから突如与えられた未知の感覚にミゲルは思わず身震いする。


「っ…。」


「痛いですか?」


首筋で熱っぽく囁かれ、ミゲルは首を振ることしかできない。


なぜこんな状況になっているのか、もっと大事な話をしていたのではなかったのか、そんなことは頭の片隅に追いやられ、まともな思考を保つことができない。


しかし、そんな思考の中でもふと先日のクリフの発言を思い出し、なんとか理性を取り戻す。


「ね…ソヨル。こんなことしていたら、クリフに変な噂流されちゃう…。」


「構いません。どうせまたその内噂は流されます。いっそのことこうしてしまえばあなたに変な虫は付かなくなるでしょう。」


「でも…。」


ミゲルは身を捩って離れようとするが、ソヨルに強く抱すくめられ、思うようにいかない。このままだと危ないと本能が警鐘を鳴らしているのに、与えられる熱が心地よいとさえ思ってしまう。


しかし、それでも聞いておかなくてはいけないことがある。ミゲルはソヨルの胸をそっと押すとかすかに潤んだ瞳でソヨルを見つめた。


「ソヨル…あなたも吸血鬼なの…?」


「はい。黙っていてすみません。」


顔を上げたソヨルの口の端には紅いものが滲んでいる。


「私の血を吸ったの?」


「はい。少しだけですが、言うより実践する方が分かりやすいかと…。すみません。突然こんなことをして。」


ソヨルはミゲルの首筋をそっと指でなぞる。


「僕はあなたが何であろうと傍にいたいんです。ミゲルさんは吸血鬼の僕に傍にいられるのは嫌ですか?」


「そんなことない…。でも、私の傍にいたらあなたまで危険に巻き込んでしまう。それが嫌なの…。」


「巻き込んでください。いくらでも…。」


深紅の瞳に見つめられ、胸がドクリと脈打つ。


「あなたはいつも一人で抱え込もうとしますよね。僕が唯一あなたに直してほしいところです。何度言っても聞く耳を持ってもらえないと流石に悲しくなります。」


「ごめんなさい…。」


ミゲルは思わず俯く。


「すぐには難しいと思います。でも、僕はあなたの傍にいます。それだけは忘れないでくださいね。」


「ありがとう。ごめんね。変なこと言っちゃって。手紙は誰の手にも渡すことが無いように私ちゃんと生き延びてみせるから。」


「そうしていただけるとありがたいです。」


ソヨルはそっとミゲルの頭を撫でると、静かに部屋をあとにした。


ミゲルはソヨルの背中を見送った後、先ほど書き上げたばかりの手紙を机の引き出しにしまい込んだ。


「ソニア…ママは頑張って生き延びてみせるからね。どんなに大変なことがあっても必ず帰ってくるから待っててね。」


ソニアはその言葉に応えるようににこやかに笑った。




翌日―


軍の拠点はただならぬ空気に包まれていた。


ミゲルは何事かと辺りを見回すと、目が合った者に露骨に目を逸らされる。


(またこの感じ…。)


以前、自身の素性が軍内に広まったときと同じような状況になっていることに戸惑いを隠せない。


暫く考え込んでいると、突如肩に衝撃が走った。


「ったく、ボケっと突っ立ってんじゃねえよ売女が。」


「え…?」


ミゲルは思わず聞き返すが、肩をぶつけてきた団員はさっさと行ってしまった。


(売女って…。私のこと…?)


あまりにも唐突に投げかけられた侮辱の言葉に、胸がきつく締め付けられるようだった。


さらに、よく耳を澄ますと皆こちらを見てはひそひそとミゲルについて話しているようだった。


「団長。少し良いか?」


「カイ…。分かった。」


ミゲルに声を掛けたカイは眉間に深い皺を寄せている。


十中八九まずいことが起こったのであろう。


黙ってカイの背中に付いていく。何と声を掛けたらいいのか分からず重い沈黙の中足を進める。


やがて、執務室に着くとカイは念入りに鍵をかけた。




「団長。今から聞くことは正直に話してもらえるか。」


「それは…質問の内容によるな。」


「分かった…。答えられる範囲で答えてくれ。」


カイは眼鏡越しに真っ直ぐミゲルを見据える。


「単刀直入に聞く。お前は副団長…ソヨルと男女の関係があるということは本当か。」


「なっ…。」


なぜそんなことをと聞くまででもなかった。


クリフがついに行動に移したのだ。カイの言葉に背筋に冷たいものが走る。


「答えられないのか。」


「いや…そんな関係はない。」


「そうか…。なら構わないんだ。」


てっきりあれこれ問いだたされるのかと思っていたミゲルはカイがあっさりと退いたので思わず拍子抜けする。


「追及しないのか?」


「ああ。この話を持ち出してきたのはクリフだからな。あいつはあの手この手でこの軍を混乱させようとしているだけというのは分かっている。」


カイはクリフの話をあまり信じていないようだった。どこまで話され、どれだけ脚色が加えられているのかは分からないが、クリフの話が全くの嘘という訳ではないだろう。ミゲルはこのまま真実を話さずにやり過ごそうかとも考えたが、やはり良心を裏切ることはできなかった。


「あのな…カイ。クリフが話したこと教えてもらえるか。」


「それは構わないがどうせでたらめな話ばかりだろう。」


「確かにオレとソヨルの間には男女の関係はない。だが、そうと誤解されかねない行動には身に覚えがあるんだ。だから確認させてもらえるか。」


「なっ…。」


ミゲルからの思いもよらない告白にカイは言葉を失った。


部屋に流れた沈黙はこれから起こるであろう波乱の嵐の前の静けさを表しているようであった。

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