第五話 秘密の吸血
「レオ…。そんなとこで座ってたら邪魔なんだけど。」
蹲るレオの前に現れたのは、アンリだった。耳に届いた声は心底呆れたような響きが滲んでいた。
「悪いな。ほっといてくれ。」
レオはよろよろと立ち上がると、頼りない足取りで歩き始めた。
「そっちは行き止まりだけど。」
レオは壁に激突する直前で何とか踏みとどまる。
明らかにレオの様子がおかしいと察したアンリはため息を吐きながらも、レオに話しかける。面倒事に巻き込まれるのは御免だが、このまま放っておくほうが厄介なことになりそうだった。
「何か団長にやらかしたの?」
「何でミゲルが出てくるんだよ…。」
「団長の様子もおかしかった。」
レオは「そうか…。」と言ったきり再び頭を抱えて座り込んでしまった。
「あのさ、大の男がそんなにうじうじしていたらはっきり言って気持ち悪いんだけど。」
「ぐ…。そうだよな…。」
「で、何したの。」
「勢い余ってキスしちまった。」
「は!?」
アンリはレオの爆弾発言に固まってしまった。
貴族育ち故、そういった事には人一倍慎重になるように幼い頃から口酸っぱく言われてきた。とはいえ、アンリは16歳だ。恋愛事に敏感になったり、興味を持ったりする時期でもある。
「き、キスって!そんな破廉恥な!」
「破廉恥って…。キスって言っても手の甲にだぞ!?挨拶みたいなもんじゃないか!」
「なんだ…。そこは日和ったんだね。」
「いきなり唇は流石にまずいだろ…。」
アンリはとりあえず胸を撫でおろす。正直、仲間の色恋沙汰など聞きたくはないが、この話は気になってしまう。以前からレオがやたらとミゲルのことを気にかけていたのは知ってはいたが、まさかそういった感情まで持ち合わせていたとは思いもよらなかった。
「それで?何でまたそんな展開になったの。」
「そうだ!こんな話より大変なことが起こったんだよ!」
レオはアモルの正規軍の話をすると、アンリは眉を顰めた。
「今朝、やたら体格の良い男が団長のことで何か隠していることはないかって聞かれたんだよね。咄嗟に知らないって答えたけど…。」
「あいつらミゲルを取り囲んで暴力まで振るいやがったんだ。今後何してくるか分かんねえ。」
レオは拳を握り締め、唇を噛む。
アンリはレオがどれほどミゲルを大事に思っているのかを知っている。しかし、正直疑問に感じるところもあった。
「レオはさ、団長を守ってどうしたいの?」
「どうしたいって?」
「恋人になりたいのか。仲間のままでいいのか。」
「それは…。」
レオは言葉を詰まらせる。
見返りを求める気持ちは全くなかったと言えば嘘になる。しかし、彼女と恋人になりたいかと問われると返答に困ってしまう。
「俺にはあいつと恋人になったとして全てを受け止めきれるだけの器はないと思う。それに、あいつにはソニアもいる。恋人になるってことは同時にソニアの父親になるってことだ。俺にはまだグレンさんみたいな覚悟はない。」
「グレンさん、ね…。あの人はすごいよね。詳しい事情も分からないまま抱えてきた赤ん坊ごと愛する覚悟あったなんて。」
「グレンさんと結ばれていたらあいつは今頃普通の女性として幸せに暮らせていたんだろうな。」
自分の本当の姿を覆い隠し、強くあろうと名まで捨てた彼女の幸せはどこにあるのだろうか。
二人はただ黙ってそんなことを考えるのであった。
白で埋め尽くされた殺風景な部屋にペンの硬質な音が響き渡る。
ペンが走る便せんにはやや丸みの帯びた字が書き連ねられている。
やがて、ペンが走る音が止むとミゲルは大きく伸びをした。
「手紙なんてしっかりと書くのは初めてだな。」
軍の資料や報告書とは違う柔らかな口調で書こうとすると、素の女性口調が出てしまう。最初はそれで何度か書き直したが、堅い口調で書こうとするとどうも気持ちが乗らないのだ。どうせ自分の素顔を知る人にしか出さない手紙だ。せっかくなら自分の素直な気持ちを書こうと思い立ち、ペンを走らせていた。
椅子からおもむろに立ち上がると、ゆりかごに寝かせていたソニアの小さな手に触れる。その体温はいつも戦場で荒んだ心を癒してくれるのだった。
「ソニア、もしママがいなくなっても一人にはさせないから安心してね。」
そんなことを呟くと部屋の扉が控えめに叩かれた。
「ソヨルです。」
「ああ。入って良いぞ。」
ソヨルは静かに部屋に足を踏み入れる。
その姿を見ただけでミゲルの胸は五月蠅いほどに高鳴る。
「どうしたんだ。」
「先日アモルの正規軍の方たちが拠点にいらっしゃったことについてです。どうやら、正規軍の方に問いただされ、ミゲルさんの素性のことを話してしまった方が何人かいるようです。」
「そうか…。」
ソヨルは眉間に深い皺を寄せ、話を続ける。
「ミゲルさんがシリウス様の側室だったという話が正規軍の耳に入っている可能性が高いです。このままだと近々王家との接触は避けられないかと。」
「どうせ国を取り戻すには早かれ遅かれ王家と対峙する必要があったわけだし、問題ない。」
「本気でおっしゃっているのですか?」
「ああ。」
「あなたがきっと無事では済まされないだろうということも分かっているのですか?」
「ああ。」
ミゲルはそっと立ち上がると、先ほど書き上げたばかりの手紙の束を手に取る。
ソヨルはそれを目にすると背筋が凍るような感覚を覚えた。
「この手紙にオレに万が一のことがあった場合について書いてある。カルシダさんやソニアの分もあるから預かっておいてくれるか?」
ソヨルはその言葉を聞いた瞬間立ち上がり、ミゲルを壁に追い詰める。
「ふざけないでください…。」
今まで聞いたことのない冷たい響きにミゲルは思わず息を呑む。
「何で…生きることを諦めるんですか?カルシダさん、ソニアさん、そして僕だってあなたに生きていてほしいのに…。」
「私は、そんな風に思ってもらう資格なんてない。嘘つきで弱虫で、どうしようもない女なの。」
「僕はそんなあなたも含めて大好きなんです。だからどうか…。」
「やめてよ…。私は、私は…。」
ミゲルは声を震わせ、膝から崩れ落ちる。
それでも、伝えなくてはと嗚咽を漏らしながらも、声を振り絞る。
「私は…吸血鬼なの…。人間じゃない、化け物なの…。」
ソヨルはミゲルの肩を抱き、耳元でそっと囁く。
「知っていました。」
「え?」
「あなたの十字の耳飾り。これは吸血鬼の血を引く者が身に付ける物です。」
「それって…。」
ミゲルはソヨルの耳に視線を移す。そこには、ミゲルの物と同じ銀色が光り輝いていた。
「もしかして…?」
ソヨルは言葉を返さずにミゲルの首筋に唇を落とす。そして、今度は触れるだけの口づけにとどまらず、歯を立てた。
「あっ…。」
僅かな痛みと甘い痺れ。
生まれて初めての感覚にミゲルはただ身を委ねることしかできなかった。
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