第三話 雨と嫉妬
とある雨の昼下がり。
ソヨルは一時間ほど前に街に買い出しに行ったミゲルを落ち着かない様子で待っていた。
急に降り出した雨はどんどん勢いを増していて、窓に容赦なく打ち付ける音が屋敷の中に響いていた。
「あら、酷い雨ね。」
「はい、ミゲルさん大丈夫でしょうか。」
カルシダはミゲルが濡れて帰ってくることを見越して、風呂のお湯を沸かしたり、大量のタオルを用意したりしている。
ソヨルも温かい茶を用意しようと椅子から立ち上がった時、屋敷の重い扉が軋んだ音を立てて開かれた。
「おかえりなさい。ミゲルさん。と、レオさん?どうしたんですか?」
扉の前に立っていたのは大方の予想通り今日は珍しく耳飾りを外していた為、長い髪が張り付き濡れ鼠のようになったミゲルと同じくびしょ濡れのレオだった。
「街で偶然見かけてさ。重そうな荷物持ってたから、つい手伝っちまって。」
「オレはいいと言ったんだが、どうしても持つと聞かなくて…。」
「そんな寂しいこと言うなよ。まあ、荷物も届けたし俺は帰るわ。」
レオはずぶ濡れのまままた外に出ようとするので、ソヨルは慌てて止める。
いくら丈夫とは言えこの雨の中そのまま帰らせるのは可哀想である。
「この雨はもうすぐ止みそうですし、少し休んで行って下さい。」
「そう言うことなら少し邪魔するわ。ありがとうな。」
レオは屈託のない笑顔を見せているが、ソヨルは内心気が気でない。
自分から休んでいくように伝えといてなんだが、以前からレオはミゲルに対し距離が近すぎるところがあるのだ。
以前レオがミゲルに抱き着く姿を見たときソヨルの中で何か黒いものが蠢いた。
それからというものソヨルはレオに対して晴れやかな気持ちで接することができない。もちろんそれが悟られることはないだろうが、罪悪感というものは拭えない。
「ソヨル?どうしたんだよぼーっとして。」
レオの視線に気づき、慌てて平静を装う。
「いいえ。なんでも。僕の服をお貸ししますので服を乾かしていって下さい。」
「おお、助かる。」
「ミゲルさんも早く着替えを…。あっ…。」
「何だ。急に目を逸らして。」
ソヨルはミゲルが着ている白いブラウスが濡れてその下をはっきり透かしているのをしっかりと見てしまった。いくら旧知の仲とはいえ、流石に口に出すことは躊躇われる。どうしたものかと頭を悩ませていると、レオの声が飛んできた。
「ミゲル。下着が透けてる。このままだと風邪ひくぞ。」
「え…!?ああ、何でこんな日に白い服着たんだろう…。すまない…見苦しいもの見せて。」
ソヨルはレオのデリカシーに欠ける発言に耳を疑いつつも、ミゲルは気分を害していないようでひとまず安心する。
あまりにも直球に物事を言えるレオが恨めしくもあり、少しだけ羨ましかった。
とはいえ、彼女の無防備な姿をレオにも見られたという事実にソヨルは奥歯をぎりと噛みしめる。
こんなに自分は器が小さい人間だったかと虚しくなる。
ソヨルが一人悶々としているとカルシダが戻ってきた。
「ミゲル。お風呂湧いたから着替える前に入っちゃいなさい。」
「ありがとう。でも、レオもあの通りずぶ濡れだし…。」
「なら、一緒に入るか?」
「駄目です!」
レオは冗談めかして言っていたが、ソヨルは思わず大声で制止してしまう。
慌てて誤魔化そうとするが良い言葉が思いつかない。
「じょ、冗談だよ。俺は冷えてないし身体拭けば大丈夫だよ。早く入ってこい。」
「ああ。悪いな。」
ミゲルが姿を消すとカルシダはソヨルの脇腹をちょいと突き、別の部屋に行こうと耳打ちされる。
「ねえ、ソヨル。そんなにミゲルのことでやきもきするんだったら、もう自分のものにしちゃえばいいのに。」
「やきもきなんてしていないですよ。」
「嘘おっしゃい。私が戻ってきたときすごい顔でレオのこと見てたわよ。」
レオに対する気持ちが上手く隠しきれていなかったらしい。
ソヨルはカルシダから目を逸らす。
流石は大人だ。レオに対してあんな表情をしていた理由がミゲルであることも見事に見破られている。
「いつまでも大切にしたいからなんて言って見てるだけじゃ何の進展もないわよ。壊しても良いからって多少強引に行くことができる相手に女は案外持ってかれちゃうものよ。」
カルシダの言葉はソヨルにとって耳が痛かった。
確かにいくら長い付き合いだとしてもこちらから何のアプローチもしないでいたら、ただの良い友人で終わってしまうだろう。その点、多少強引なところもあるレオの方が上手く距離を縮めていけそうだ。
レオと並ぶミゲルの姿を想像した瞬間、嫌な汗が垂れてきた。
「カルシダさん。助言ありがとうございます。僕はもう戻りますので。」
「ええ、私は夕食の準備をしてるわ。」
見送るカルシダはなにやら含みのある笑みを浮かべていたが、ソヨルは気づかないふりをしておく。
レオたちがいたダイニングに戻ると、レオは着替え終わっており、ミゲルも風呂から上がっていた。
ミゲルの頬は湯上りのせいかほんのり上気しており、やたら艶っぽい。
ダイニングで眠っていたソニアは目覚めたらしく、ミゲルの腕の中であやされ、レオの変顔をみて大笑いしている。
ソニアを見つめる二人はどちらも絵に描いたような幸せな家族に見える。
「お茶、できましたよ。」
腹の中で蠢く闇を悟られないように、努めて穏やかな表情で茶を配る。
「ありがとう。ああ、でもこの状態だと飲めないな。」
ミゲルがソニアに視線を移すと、ソヨルはとあることを思いついた。
「それは失礼しました。」
ソヨルは茶をふうふうと冷ますとミゲルの口元にティーカップを近づけた。
「え!?ソヨル!?」
「どうぞ。」
「どうぞって…そんな子どもみたいに…。」
ミゲルがあわあわとしていると、レオは片眉を僅かに釣り上げた。
「そんなことしなくても…。俺が抱っこ代わろうか。」
「いや、それだとレオが飲めない。…分かった。」
ミゲルはおずおずとティーカップに口づけ茶を啜る。
恥ずかしそうに微笑むミゲルの顔に思わず笑みが零れる。
「お前らいつもそんな感じなのか…?」
「さあ、どうでしょう。」
いつもは見せない少し意地の悪い笑みを浮かべるソヨル。
レオはそんな彼を見て思わず口元が引き攣るのであった。
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