第二話 強がりとお節介

とある晩。


ミゲルとカルシダはカルシダの提案により、ソニアと共に三人で入浴していた。


「ミゲル。背中洗えていないわよ。」


「え?自分じゃ分からないな。」


「いいわ。私が特別に洗ってあげる。」


「ありがとう…。って、くすぐったい!」


風呂場に二人の華やかな笑い声が響く。


湯以上の温もりがミゲルの胸を満たしていた。


「それにしても、ミゲルは随分打ち解けたわよね。来たばかりの頃だったらこんな提案聞いてくれなかっただろうし。」


「そうか?来たばかりの頃からカルシダさんにはお世話になりっぱなしだったと思うが。」


「そうねえ。少なくとも私からすれば、最初の頃はとても気軽に話しかけられる雰囲気じゃなかったわ。」


「そうか…。」


ミゲルはこの屋敷に来たばかりの頃の自分の記憶を手繰り寄せる。


確かに最初はどう接したらいいのか分からなかったが、記憶の中にあるカルシダのはいつも優しい笑顔だった。




記憶の始まりにあるのは燃えるような夕日が輝く橙色の空。


「ミゲルさん。もうすぐ着きますよ。」


ソヨルはソニアを抱きかかえ、重たい荷物を背負っていても汗一つ掻かずに涼しい顔をして歩いている。


「すまない…。何から何まで持ってもらって。」


ミゲルは傭兵団の宿舎の近くから馬車に乗ってカルシダの屋敷の隣の町までやってきたが、寝不足故か酔ってしまい。案内をしてくれるソヨルに気を遣わせてしまったことを憂いていた。


しかし、そんな中でもソニアがよく眠ってくれていたことが幸いだった。


足取りも覚束ないまま歩き続けていると、人気のない道の前にやや古めかしい大きな屋敷が聳え立っていた


「さあ、ここがカルシダさんのお屋敷です。」


「大きい…。ここに二人で住んでいるのか?」


「そうですね。やはり二人だと広すぎますが。」


ソヨルは古びた門をこじ開け、中に案内する。


門と屋敷の間に広がる庭はもうすぐ色とりどりに咲き乱れるであろう季節の花が植えられていた。


(きっと家主の方の心はここの花たちみたいに綺麗なんだろうな。)


綺麗に手入れされた庭からそんなことを考えていると、背後に気配を感じた。


「お花、好きなの?」


「え?」


呼びかけられたのと振り返ったのはほぼ同時だった。


「はじめまして。この屋敷の主人のカルシダです。」


「あ、ああ。ミゲルです。今日からよろしくお願いいたします。」


「ふふっ。そんなにかしこまらなくっていいわよ。」


深々と頭を下げるミゲルにカルシダは柔和な笑みを浮かべる。


「ところで、赤ちゃんも連れてきてるって聞いたけど。」


「えっと…。ソニアならソヨルが…。」


ミゲルはソヨルの方に目をやる。


「こちらがソニアさんです。」


「まあ、かわいい。よろしくね。」


カルシダはソヨルの腕の中で眠っているソニアの頭を優しく撫でた。


「ご迷惑はおかけしません。ソニアの世話はオレがしますし、家事もしっかり手伝いますから。」


「いいのよ。とにかく中に入ってゆっくりして。疲れたでしょう。」


カルシダはミゲルとソヨルの背中を押して屋敷に連れていく。


(責任感が強い子なのね…。でも、大丈夫かしら。)


カルシダの不安はその日のうちに的中することになった。




「ミゲルさん?いいのよ。食器洗いは私がするから。」


「いいえ。お食事の準備を手伝うことができなかったのでこれぐらいは…。」


ミゲルは黙々と皿を洗っている中、ソニアが泣き出した。


「え?さっきおしめは変えたばかりなのに…。」


ミゲルは軽く舌打ちをすると、ソニアの元に駆け寄る。


「お腹が空いているんじゃないかしら。」


「そうみたいです…。すみません。一度魔法を解かなくてはいけないので、お皿は置いておいてください。終わったらすぐにやりますから。」


「いいわよそれくらい。私やっちゃうわね。」


「大丈夫ですから!」


ミゲルが思わず大声を出すとソニアの泣き声も一層大きくなってしまった。


慌ててソニアを抱きかかえるが、ミゲルの顔には疲労の色が滲んでいる。


「ミゲルさん。疲れているんじゃない?馬車酔いもしたんでしょう?」


「あなたに気にしてもらうほどやわじゃありません…。」


「あ、待って!」


ミゲルは制止も聞かずに自室に行ってしまった。


足取りは先ほどから覚束ない様子でどう見ても大丈夫ではないのだが、カルシダには彼女を止める言葉が思いつかなかった。




そんな日が何日か続いたとある真夜中のこと。


先ほどソニアの泣き声が聞こえ目を覚ましたカルシダは、だんだんと泣き声が遠くなっていくことを不思議に思い、自室を飛び出した。


暗闇の中目を凝らしていると、屋敷の扉が開かれるのが見えた。


(あれって…、ミゲルさん?)


ぼんやりとしているが、僅かな光に照らされる髪が長さこそ違えど、美しい白銀色をしていた。


こんな遅くに庭に出て何をするつもりなのか、もしかしたらこっそり屋敷を抜け出そうとしているのかもしれない。


カルシダは階段を駆け下りてミゲルを追った。




「ミゲルさん!何してるの!」


「カルシダさん…?」


ソニアの泣き声でかき消されそうになった呼びかけは奇跡的にミゲルの耳に届いたらしい。


しかし、そんなことよりも振り返ったミゲルの顔の青白さにカルシダはぎょっとした。


月明りに照らされているせいではない。瞳までもが生気を失っている様子ははっきり言って異常だった。


「すみません…。ソニアがなかなか泣き止まなくて、屋敷の中にいると迷惑かと思って…。」


「迷惑なわけないでしょう!私はちゃんと赤ちゃんがいるってことを分かっててあなたたちを受け入れたんだから。」


「すみません…。」


俯くミゲルの腕に抱かれるソニアはいまだに泣き続けている。春先とはいえ、まだ夜中は肌寒い。このままでは余計にぐずり続けるだろう。


「中に入りましょう。抱っこ代わるわ。」


カルシダは有無を言わさずミゲルとソニアを屋敷の中に入れる。


ミゲルは渋々カルシダに抱っこを代わってもらうと、さらに表情を暗くした。


「本当にすみません…。起こしてしまった挙句、抱っこまで代わってもらうなんて…。」


「さっきから謝ってばかりね…。ねえ、あなた疲れているのよ。このままだと正式に軍に入る前に倒れてしまうわ。」


「そんなわけ…。」


「鏡で自分の顔を見てみて。すごく顔色が悪いわ。」


「でも、オレが頑張らなきゃ…。」


「お願い。どうか休んで。」


それでも頑なに頷かないミゲルのことをカルシダは哀れに思った。


(この子は、きっと一人じゃ抱えきれないことを抱え込もうとしてる…。)


ならばとカルシダはミゲルの横に寄り添うように腰かけた。


「ねえ。本当は苦しいのでしょう?私に話してみて。」


「分かったように言わないでください…。」


「確かに私はあなたの気持ちは全て分かるわけじゃない。でも、あなたが今、限界なことは分かる。このままこの子と心中でも図るんじゃないかって心配なの。」


「そんなこと、…しないとは言い切れない。」


表情からなんとなく察しはついていたが、相当追い込まれていたらしい。


ミゲルは観念したようにぽつりぽつりと胸の内を吐露し始めた。


「不安、いや、正直怖い…。母になったことも、これから男として生きていくことも…。」


「そう…。」


「でも、強くならなきゃ。もう守られるだけの女になりたくない…。弱いままじゃこの子を守ることも、失ったものを取り返すこともできないから…。」


「そう…。頑張ったのね…。」


「え…?」


「もちろん今も頑張っているけど、あなたはもう十分恐怖と戦ってきた。そんなあなたを誰が責めることができるのかしら。」


「いや。オレは恐怖に負けてばっかりで、情けない人間なんです。」


「恐怖に負けていたらこの子は生まれてこなかったんじゃない?」


ミゲルはソニアの顔を見つめる。


泣きつかれたのか夢の世界へ行ってしまった寝顔は、先ほどまでのぐずりが嘘のように穏やかだった。


「苦しい思いをしてお腹の中で育てて、お腹を痛めて産んだこの子があなたが今まで頑張ってきた証。ほら、もう十分頑張ったじゃない。」


ミゲルはようやくゆっくりと頷くと、カルシダに背を向けた。


「ミゲルさん?」


「ごめんなさい。今はまだ泣くわけにはいかないんです。今だけは強がらせてください。」


「分かったわ。じゃあ、一ついい?」


「何でしょう。」


「私あなたのことミゲルって呼んでもいいかしら。あなたは敬語禁止で。」


「呼ぶのは良いですけど敬語禁止は…。」


「いいのよ。お互いその方が気楽でしょう。それに、ソヨルにも敬語禁止って言ったのに全然聞いてくれなくて寂しいんだもん。」


「ふふ、ソヨルはソニアにも敬語を使うから…。」


「あら、そうなの?」


ミゲルとカルシダは先ほどまでの重い空気を吹き飛ばすかのように笑い合った。


ランプの小さな光が三人に寄り添うように明かりを灯し続けていた。




大人二人が入るにはやや手狭な湯船に入った三人は湯の温もりに身を委ねていた。


「ふふ、そういえばこの前、私がお母さんだったらいいのにって言っていたわよね。」


「それは…ごめんなさい。妙齢の女性に言うことじゃなかった。」


「いいのよ。でも、どうしてそう思ったの?」


「オレ…私のママは私を産んですぐに亡くなってしまったから、母親が傍に寄り添ってくれることにずっと憧れていたの。だから、カルシダさんみたいに不安な時に寄り添ってくれるママがいたらなって思っただけ。」


「私で良ければいつでも。」


カルシダはソニアを抱きかかえたミゲルごと抱きしめる。


ミゲルは頬を赤らめながらも、黙ってその温もりを受け入れた。


「少し恥ずかしいかも…。」


「いいじゃない。」


三人の笑い声が風呂場に響き渡る。


ミゲルはこんな時間が過ごせている幸せを噛みしめながら、ソニアを強く抱きしめた。



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