番外編

第一話 草原の記憶

暖かな日差しが差し込む窓際―


ソヨルはせっせと手を動かしているミゲルを横目に本を読んでいた。


日中でも珍しく耳飾りを外しているのは定期的な手入れの為で、彼女の手元を見ると小さな銀色が光り輝いていた。


「ミゲルさん。」


「…。」


ミゲルは夢中になって耳飾りを磨いている為、こちらの呼びかけにも気が付かないようだった。ソヨルはそんなミゲルの姿にちょっとした悪戯心が芽生え、気配を殺してミゲルに近づく。日の光を浴びてきらきらと輝く白銀の髪にそっと触れると、ミゲルはようやく気付いたのかびくりと肩を震わせた。


「ちょっ…。おどかさないでくれ…。」


「くくく…。すみません。呼びかけてもお返事してくださらないので少し驚かせてみようかと思いまして。」


「子どもみたいなことして…。」


「でも、そんな注意散漫になってしまっては、万が一敵が近づいてきても気づけないのではないですか?」


「今はソヨルがいたし、家の中だし警戒する必要はないだろう。」


ミゲルは不満そうに頬を膨らませると、ソヨルは笑みを零す。


普段は勇ましく戦っている彼女もこうしているとやや子どもっぽいところを見せてくれる。そこが彼女の可愛らしい一面であり、思わず守ってあげたくなってしまう理由でもある。


「なんだかグレンを思い出すな。」


「え?」


「グレンもしょっちゅう悪戯を仕掛けてきてはオレの反応を見てからかってくるんだ…。今となってはそれも良い思い出だが。」


「そうでしたか…。よろしければその時のことを話していただけませんか?」


「悪戯の参考にしないって約束するなら。」


「もちろん。」


ソヨルが頷くとミゲルは目を細めながら話し始めた。


グレンとの温かくも切ない出来事を―




「おーい、ルシア。起きろ!朝メシ冷めちまうぞ!」


「もうちょっと寝かせて…。」


「はあ、相変わらず寝坊助だな。」


グレンは朝に弱いルシアに毎朝手を焼いていた。


掛布を引き剥がそうとすると慌てて起きるのだが、毎朝同じことをしても学習しないというのは困りものだ。


そこで、グレンは考えを巡らせるとある方法を思いついた。


「なかなか起きない悪い子にはこうしてやる!」


「ひゃ、ひゃあ。な、なに…。くすぐったい…!」


グレンは掛布から飛び出しているミゲルの小さな足の裏をくすぐり始めた。


「ほら、早く起きないと。」


それでも起きないルシアに足の裏だけでなく、全身をくすぐり始める。


「あ、あはは…。や、やめて…。せ、背中はぞわぞわする…!」


「起きるまでやめない。」


「わ、分かった。起きるから!」


ルシアはがばりと身を起こすと、涙目でグレンを睨みつけた。


グレンはそんなルシアを見て思わず噴き出す。


「な、なによ!なんで笑うの!」


「だって、髪はぐしゃぐしゃだし寝間着は乱れまくってるしでなかなか酷い有様だぞ。」


「な…!グレンのせいじゃない!もう…お腹の子だってびっくりしてるわ。」


「毎朝ちゃんと起きないお前が悪いんだぞ。ちゃんと整えて来いよ。それじゃ待ってるからな。」


グレンは笑いながら部屋をあとにした。


ルシアはグレンを恨めしく思いながらもいそいそと朝の支度を始めた。




とある夏の日―


その日は夏にしては涼しく爽やかな風が吹いていて外に出ても心地よい日だった。


「わあ、すごく広い原っぱ!」


「そうか?まあ、気に入ったのなら嬉しいが。」


グレンは妊娠中どうしても部屋に籠りがちになってしまうルシアの気分転換になればと近くのなだらかな丘に連れ出していた。


ルシアは草原が珍しいのか、子どものように目をきらきらと輝かせている。


「空気がおいしいってこのことを言うのね。」


「おお、良い言葉知ってるな。確かにここら辺は空気が美味いな。」


二人して草原に寝転がると雲一つない青空を見上げた。


(ああ、この青空あの子のことを思い出す…。)


自らの腕で抱くことが叶わなかった我が子。


その子は王城に残してしまったが、元気に生きているのだろうか。


青空はときに残酷に当時のことを思い出させる。


せっかくの気分転換だというのに、鬱屈とした気持ちが蘇ってしまい、グレンに申し訳なくなる。


「ルシアこっち向いて。」


「え?」


グレンの方に目を向けると、すかさず鼻を抓まれる。


ルシアは目を点にして状況が掴めないでいると、グレンは大声を上げて笑った。


「ははは!あっさり騙されたな!」


「も、もう…。お腹の子がびっくりするからやめてって言っているでしょう!」


「悪い悪い。でも、あまりにも寂しそうな顔してるからさ。」


「そう…?そんなに寂しそうに見えた?」


「ああ、俺のことなんか忘れたように遠い目してたぜ。」


「そうだったの…。ごめんなさい。せっかく連れてきてくれたのに。」


「いいって。ただ、俺もいるんだってこと忘れんなよ。寂しくなる必要なんかないんだからな。」


グレンなりの気遣いに胸がいっぱいになる。


グレンはいつもルシアのことを気遣っては、心配してくれている。


ルシアはそんなグレンのことが大好きだった。


「なあ、赤ん坊が産まれたらまた来ようぜ。その時は余計な事思い出す暇なんかないぐらい楽しくしようぜ。」


「そうだね。ありがとう。」


爽やかなそよ風が頬を撫でる。


二人はしばらく寄り添いながら緑の匂いに包まれていた。




「ソヨル?どうかしたのか?」


ミゲルは心配そうな顔でソヨルの顔を覗き込む。


ソヨルの手がいつの間にかミゲルの手の甲に重ねられていたのだ。


「ああ、すみません。素敵なお話ありがとうございました。」


「素敵なお話か…。そう思ってくれたのなら良かった。」


ミゲルは嬉しそうにはにかむ。


「そういえば、その丘はどこにあるのですか?」


「傭兵団の宿舎の近くだからここからは遠いな。」


「そうですか…。それなら今度休暇をいただけたときに里帰りがてら傭兵団の皆さんやカルシダさん、ソニアさんも連れて草原にピクニックに行きましょう。」


「それはいいな!ソヨルにはいつか傭兵団の皆を紹介したいと思っていたんだ。」


「僕も是非ご挨拶したいです。あなたの命を救ってくださった恩人ですから。」


ミゲルは目を輝かせ、どんなお弁当を持っていこうかなどと楽しそうに計画を練り始めた。


どうかその計画が無駄にならないように、ソヨルは脆い平和の中でも小さな希望を見いだしていきたいと心に誓うのであった。



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